第12話 “ぎぶあっぺ”


「おや、お嬢様こんな所にいらっしゃいましたか」

「じっ、じいー! なんとかせんか、儂はもう“ぎぶあっぺ”じゃー」


 廊下を曲がった先の隅の所で、ヨドミは耳に手を当ててガタガタと震えている。しかし大五郎はと言うと、苦難に喘ぐヨドミを満面の笑みを見下ろすばかりなのであった。


「おやおや、まだまだこれからじゃ無いですか、ほら“すたーんどあっぷ”ですぞ」

「“すたーんどあっぷ”ってどう意味なのじゃ爺ー!」

「恐怖はまだまだこれからだ、と言う意味です」

「うがぁあああ!! なんで敵側からものを言っとるんじゃあ!!」


 貝のように丸くなったヨドミ。もう何があってもその場を動かないぞと言う意思表示らしい。


「お嬢様……」

「なんじゃ爺、揺すっても無駄だ! こうなった儂がどれだけ頑固かは知っておろうがー!」

「ええ、それはそうなのですがお嬢様」


 再び肩を強く揺すられてヨドミは鬱陶しそうに顔を上げた――


「へ……」


 後ろ手に燕尾服の裾を揺らした大五郎。朗らかに微笑む爺の目前、すなわちヨドミの肩を揺すっていたのは、手のひらに巨大な目を二つ携えた、顔の無い坊主であった。


「びゃああああああお化けぇええ!! それならそうと早う言わんかハゲェエ!!」

「“手目坊主”さんお疲れ様でした」

「あ……どうもぉ」


 走り去っていった主人と、律儀に会釈をする大五郎。

 ヨドミが次に抜けていった先は、庭の見える吹き抜けの縁側であった。月明かりの漏れる夜の庭にヨドミは勢い良く飛び降りていく。


「外じゃ、外……っ! しかし何故夜なのじゃ、さっきまでお昼ご飯を食べておった筈なのにっ」


 ヨドミが首を傾げていると、ボトリと頭に何かが落ちて来て仰天した。あらためて見るとなんとそれは、頭上の細木より落ちて来たであった。大人とも子どもとも形容出来ないつるりとした無毛の顔は、ジロリとヨドミを見つめて苛烈に唾を飛ばし始める。


「おい、落としてんじゃねぇよ! ほら、まだまだ来るぞ」

「ハ――!?」


 葉が擦れる物音に顔を上げると、無数に垂れ下がった顔の木の実が、それぞれ激しく揺れ出してヨドミの頭に降って来る所だった――


「イデェエエエ!! それにきしょいいいいい!!」

「何してんだよ!」

「落とすな!」

「俺を拾え!」

「パンツ白じゃん!」


 口々に話し出した恐ろしい顔に、ヨドミはピューッと逃げ去る所だった。遅れて庭先に降りて来た大五郎は「お、“人面樹じんめんじゅ”懐かしいですね。爺もヤングの頃はよくこの木の下で女性と待ち合わせしたものです」などと言いながらヨドミの後を追っていった。


 ヨドミはやたらと広い庭を行き、やがてギクリとして足を止めていた。何故なら視線のこの先では、幽霊の代名詞とも言える柳の木が鬱々と垂れ下がって、駄目押しに古びた井戸までもが傍らに見えているのである。


「なにか……聞こえるぞっ!」


 ……案の定と言うべきなのか、井戸の奥より女の啜り泣く声が聞こえて来た。女は一枚、二枚と何かを数え、九まで数えた所で火でもついたみたいに狂ったように泣き始めた。


「わじゃああああ古典芸能――!!」


 井戸へと投げ捨てられた皿屋敷の下女の怨霊――“皿数え”の元を走り抜けていってヨドミは柳の影を駆けていく――


「もう無理じゃあああ!!」


 泣きべそをかきながら風の様に走っていく耳元で突如――「うわん!!」と大声を上げられてヨドミは泡を拭いた。仰向けになったまま瞳を開けると、自分を見下ろす三本指の赤鬼を目撃する。


「なんじゃお前、もうやめてくれ〜」

「うわん!」

「お前鬼か? なんなんじゃ?」

「うわ〜ん?」 

「それしか言えんのか」

「うわんうわん!」


 目的不明の妖怪“うわん”は、それだけ言うと満足そうに立ち去っていくのだった。

 

「もう許してくれ豆狸〜……儂の、儂の負けじゃ〜」


 大泣きしながら空へと喚くヨドミ。しかしてお化けの世界は終わる事をしないでいる。何処ぞで覗いているのであろう豆狸は、とことんヨドミを追い詰める腹積りであるらしい。


「なんッじゃあ鬼畜の狸が〜っ! 負けを認めとるのじゃから許してくれても良いじゃろうが〜!!」


 地団駄を踏み始めたヨドミの元へと大五郎はようやく追い付いた様子である。しかしそこで執事が目にしたのは、哀れな姿で醜態を晒し続けるヨドミの姿。


「お嬢様……なんと痛ましい、これが白雪家次期当主の姿ですか」

「“ぎぶあーっぺ”! “ぎぶあーっぺ”!! もう許してくれ豆狸様ぁあ、儂が悪かったのじゃああ!!」


 ――大五郎が額に手をやったその時、三日月浮かんだ夜の空に、豆狸の声が鳴り響いた。


『なんやねん、もう降参かいな姉ちゃん』

「そうじゃーー!!! さっさと勝ちを認めんかいボケダヌキおらぁああ!! とっとと出せこのやろおお!!」

『降参する奴の態度ちゃうけど……ま、そういう事ならええで、そこに見える縁側を上って障子を開けば、元の屋上に帰れる様にしたりますわ、僕も鬼じゃないさかい』

「とっととそう言えばいいんじゃクソガァああ!! 煮るなり焼くなり好きにするのじゃーッ、引きずり回されたいのかこの狸が!」

『なんやほんま情緒凄いな姉ちゃん……』

 

 顔を真っ赤にしながら逆ギレし始めたヨドミ。そんな彼女の自棄になった背中に大五郎は囁きかける。


「良いのいですかお嬢様……負けを認めれば、白雪家再興の夢はもう二度と……」

「……いいんじゃ爺、どうせ儂程度の力では、番長なんぞ夢のまた夢だったのじゃ」

「……」

「……あと友達もおらんし」

「おいたわしや……」


 目頭抑えてふらふらと庭を横断していったヨドミは、豆狸に言われた通りに縁側に上がると、その胸に深い敗北感を刻み付けたまま障子を開け放った――


「ドーーン!!!」

「イッッギャアアアアアアアア――――!!!!!!!」


 天井破って現れた緑の異形――“天井下り”が、おちょくる様に赤い舌を出してヨドミをひっくり返した。そうしてヨドミはその場所が、元の屋上なんかには戻っていない事にゆっくりと気が付いていく。

 するりと天井に戻っていった怪異の後に、空で豆狸のせせら笑う声が起こっていた――


『ひぃやーっはっはっはっ!! そんな簡単に許す訳がありませんがなキツネの姉さんっ!! あんたはこれから死んだ方がマシやっちゅう恐怖を味わってぇ、僕が満足するまでこの無限迷宮を彷徨ってもらうんやからぁ』


 目を見合わせたヨドミと大五郎。口を開いたのはジジイの方だった――


「無限迷宮……? 順路通りに行けばいずれ出口に辿り着けると言っていたのはどうしたのですか?」

『そやから僕は言ったやないか、ここはやって』

「……!」

『まさか信じとった〜ん? そんなんに決まっとるがな〜! ここは僕が自由に組み替えられる“無限お化け屋敷”やで〜? 僕の勝ちは始めっから決まっとって、姉さんはこれから僕が許すまで絶叫し続ける玩具になったんや〜』


 気まずそうに大五郎が振り返ると、ヨドミが息を止めて絶望を刻んでいくさなかだった。


「お嬢様……」


 瞳を伏せていった大五郎。

 ――だがしかし、彼はそのしわがれた瞼をすぐに見開く事になるのであった――


「…………さん……ぞ……」

「え……お嬢様?」

「さんぞぉお……!」

「お嬢……さ、ま…………?」




ッッボゲダヌキイイイイ――!!!」




 大五郎が目にしたのは、深い闇に落ち掛けた少女の瞳に、が燃え上がるその瞬間であった――

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