Amuse

無月彩葉

Amuse

1.

くだらないとばかり思っていた。最初から信じてなんかいなかったはずだ。

「なにこれ」

 だから、目の前の光景だって、私の子どもっぽい夢なんじゃないかと思った。

 でも、頬を抓ってみても痛いし……妙に生々しい風がこれを現実だと伝えてくる。

 それでも、おかしいんだ。

 私の目の前では、とっくに営業時間が過ぎたはずの遊園地が、明かりをつけて音楽を流して、豪快に遊具を動かしているから。


『その遊園地は、年に数回決まった日の夜にひとりでに動き出すらしい』

 と、そんな噂を聞いたのはいつのことだっただろう。

 誰から聞いたのかも忘れてしまった。ただまあそんなの都市伝説のようなもので、現実に起こりうるなんて本気で信じているわけじゃなかった。

「まさか本当に……」

 夜空の星さえ霞むほどの眩い光が、ある一点を中心として湧き上がるように輝いている。

 噂を信じてなんかいなかったけど……でも、僅かな希望を抱いてここに来たのは確かだった。

 それで、やっぱり噂は噂だったと、落胆しながら帰るようなつもりでいた。

 それなのに、どうしてこの遊園地は、営業中とばかりに周囲を眩く照らしているのだろう。

 肩にかけた鞄の紐をぎゅっと握りしめる。

 ここまで来て、そしてこんな光景を目にしてしまったのだ。半信半疑で来たものの、今更引き返すわけにもいかない。

 意を決して、十数メートル先にある正門へと向かった。

  

「おいお前、何勝手に入ろうとしている?」

 無人とばかり思っていたけれど、正面ゲートのところにある窓口には人がいて、既に決意を込めた足取りで遊園地に入ろうとした私を呼び止めてきた。

 係員がいるなんて聞いていない。もしやこれは遊園地側の試運転か何かなのだろうか。

「え? 入れないんですか?」

「逆に何故入れると思った」 

 とぼけたフリをしても無駄みたい。癖のある髪に隠れた目は完全にしかめっ面で、不審者を見る様な目で私を見ている。

「お金を払えば入れたりします?」

「入れねえよ。そもそも今は営業時間外だ」

「でも、動いているじゃないですか」

 ジェットコースターは勢いよくレールを駆け抜けていくし、観覧車だって七色の光を放ちながらゆっくりと回っている。

 一見営業時間外なんかには見えない。

 確かに、時間的には営業しているはずはないんだけど。 

「こんな時間にここに来るってことは知ってるんだろ? 夢のほとりの話を」

 夢のほとり……そういえば、そう言われてもいた。

「この遊園地が建てられているこの場所が夢のほとりっていうパワースポットみたいな感じで、そのせいで年に数回不思議な力が働いて遊園地が勝手に動き出す……っていう都市伝説のことですか?」 

「まあ……大方正解だ」

 男の人は私の相手をするのが面倒だと言わんばかりの顔で頷いた。この人全然愛想がない。本当に遊園地の係員なのだろうか。

「この遊園地は夢のほとりとかいう変な力のせいで夜中に勝手に動き出す日がある。そこに一般人が誤って入ってしまわないように夜勤者が一人つけられているんだ。俺は今日の当直」

 なるほど、この遊園地が動き出すのは、少なくともスタッフの人たちはみんな知っていることなのか。

 そして事故を防ぐためにちゃんと対策をしていると。

 どう考えてもおかしな光景なのに、経営側の対応が妙に現実的なのは少し面白いかもしれない。

「そこをなんとか、少しだけ入れませんか?」

「だめだ」

 両手を合わせて下から可愛く覗き込むような感じで言ってみても無慈悲に顔を横に振られる。

 すごく堅物な人を相手にしてしまったかもしれない。それとも単に面倒事を起こしたくないだけなのか。

 ちょっと入ることくらい許してくれたっていいのに。

「あの……私、どうしてもこの遊園地で見つけたいものがあって」

 だとしたらもう、素直にいくしかない。

「それは明日じゃダメなのか?」

「今がいいんです。大丈夫です、変なことはしません。疑わしいならお兄さんも一緒についてきてくださいよ」

「は?」

「どうせ門番してても他に来る人はいませんって」

 私は窓口の隣をすり抜けて無理矢理ゲートをくぐった。

「おい、お前」

 勿論呆気にとられた係員さんは私を追って出てくる。だから、私を引き留めようとするその腕を逆にぐいっと強く引っ張れば、先ほどの仏頂面が少し驚きの表情に変わった。作戦成功。

 これ以上引き留められないうちにと、夜の遊園地への第一歩を踏み出した。

「私、古森月花こもりつきかって言います。お兄さんは?」

 睨まれたことは気にしないふりをして笑顔で名乗る。すると係員さんは少し驚いたような顔をした後、

「……椿木日向つばきひなた

 と、名乗ってくれた。どこかで聞いたような名前だけど……気のせい、かな。

「日向さん……いい名前ですね」

 お日様みたいな名前で少し羨ましい。表情はずっと暗いけど。

 私は日向さんの制止を一切聞かず、奇妙な遊園地への第一歩を踏み出した。

 途端に私を歓迎するかのような音楽が頭上から降り注いできたように聞こえたのは、気のせいだろうか。


2.

「いいか? 絶対に食べ物を口にするな。それから何かに会っても言葉を交わすなよ」

 日向さんは私を止めるのを諦めたのか、ブツブツと何かを言いながら私の後を着いてきてくれる。

 変な注意事項だけど、そもそも食べ物とか人がいないこの時間帯にあるんだろうか。

 入口の前に並んでいる売店は全部閉まっていて、ランプに明かりが灯っていること以外面白味がない。

 そう思っていると、目の前から車輪のついた屋台をひいたうさぎの着ぐるみが歩いてきた。

 屋台の上には色とりどりのマカロンが山のように乗っていて、こちらを誘うような甘い匂いを放っている。

「なんですか、あれ」

「分からない。ただ、あいつと話をしたり食べ物を口にしてはいけないらしい。二度とこの夢の世界から現実に戻れなくなるんだと」

 そういえば、異界のものを食べたらこちらに戻って来れなくなるというのは、ネットでよく見る都市伝説の定番だ。

「日向さんってマカロン作ったことあります?」

「作ったことどころか食べた事すらないが?」

「あれ作るの難しいんですよ。クックパットには簡単って書いてあったのに、いざ作ってみたら色のついたせんべいみたいになっちゃって」

 ちょっとした失敗談を話しても日向さんはクスリとも笑わない。

「それ以来マカロンには少しトラウマがありまして」

 そう言った途端、屋台に乗っていたマカロンの姿がぼやけて、次の瞬間キャラメルの芳ばしい匂いを放つポップコーンに変わってしまった。

「嘘……」

 目を擦っても変わらない。

 この場所が現実ではないと……その何よりの証拠を目にしたような気分だった。

「私がマカロンを食べないと分かって別のものに変えてきた感じですか?」

 日向さんに尋ねている間にも、うさぎの着ぐるみが手でポップコーンを掬ってこちらに差し出してくる。

「だろうな……何度見ても気味が悪い」

 うさぎと目が合った瞬間、背中にぞくりと冷たいものが流れた気がした。

 あの中にいるのは人間じゃないんだと……なんとなく、そう感じ取ってしまう。なんというか……もっと別の生き物に思える。手と足の動きがなんだかちぐはぐで……まあ、それ以上は想像したくない。 

「まあ、気を取り直していきますか」

 うさぎには背を向けて、都合の悪いことは考えないようにして、可愛い絵柄のマンホールをジャンプで跳び越える。

「てかお前さ……どう見ても未成年だろ? 両親は家を出ていること知っているのか?」

「こそり抜け出したので家の人は気づいていないと思います。高校生ですけど、土曜日だから問題ありません」

「いや地域の条例じゃ確か未成年は……」

「ここは現実じゃないんですから、細かいことは気にしなくていいんです」 

 不真面目そうな顔をして案外真面目な人だ。いや、普通の人ならそう言うか。

 でも、今はそういう現実的な話は無視したい。そんなことより大事なことがあるから。

「日向さんは今おいくつなんですか?」

「今年で二十五。そんなことを聞いてどうする」

「別に、ちょっと気になっただけですって。日向さんって結構童顔なんですね」

 学生アルバイターかなと思っていたけど意外に大人らしい。

 じゃあ、私のおもりは任せてもいいだろう、なんて。

「あ、あれ乗りたいです。乗るのはいいですよね?」

 目の前を勢いよく通り過ぎていく機体を見て咄嗟に指をさす。

 ぐねぐねと曲がる白いレール。普通だったら悲鳴とかが聞こえてきてもおかしくない。

「マニュアルでは禁止されていないけど……安全という保障は……おい、待て」

 今はのんびりしている暇はない。早く、探し物をみつけないといけないし。

 白いレールを巨大な機体が駆け抜けていくあれは多分、この遊園地で最も長いジェットコースター。

 昔この遊園地に来た時は身長制限で乗れなかったやつだ。

 乗ってみたいと駆け寄ってみると、やがて異変に気が付いた。

 何故か座席の付いた機体が前後逆に取り付けられている。つまり普通に乗ったら背中から進んで背中から落ちてしまうと言うこと。

 私の記憶が正しければ、本当はこんな作りじゃなかったはず。

 だとすればこれも夢のほとりの力か。まあ動いていること自体変だしな。 

 いずれにせよ、探し物を見つけるためにも乗ってみなければ。


「日向さん、一緒に乗ってください」

「いや、何で俺も」

「乗車中に何かあったら大変じゃないですか」

「だからって……俺を巻き込むな」

 腕を引っ張り続ければ諦めたのか、日向さんは抵抗をやめて着いて来てくれることになった。

 一人で乗ってもよかったけど、こういうのは隣に人がいる方がそれっぽい気がしたから。

 てか日向さんって結構流されやすいのかな。

「これ、どうしたら動くんですかね……あ、安全バーを下げたりすればいいのかな」

 頭上にある黄色いレバーを降ろしてみれば、誰もいないのに発車の合図が鳴る。

「おお……本当に動いた」

「いや、おかしいだろこれ」

 私たちを乗せた機体はやっぱり背中から動き始めた。逆に取り付けられているから当たり前と言えば当たり前。

 全国を探せばこんな仕様のジェットコースターもあるかもしれないけど、それ専用に作られている訳ではないから見た目はどこか不格好。

 遊園地の中心にある七色の観覧車と同じくらいの高さまでゆるゆると昇っていって、頂点に着く辺りで僅かに機体が停止した。

 そして下りへと差し掛かった瞬間、身体が強い重力に包まれる。

 頭を地面に打ち付けてしまいそうな、まるでビルの屋上から身を投げ出したかのような、抗えない力に押しつぶされそうだ。

「わあっ、面白い!」

「いや……おもしろくは……」

 くるりと機体が一回転したり、左右に勢いよく揺れたり。普段乗るジェットコースターよりもスリルがある。

 落下の時に息が詰まる感覚だって、普通に生活していたら味わえないものだし。

 面白い……よね?

 いや、やっぱり何が起きているか分かりもしないのに「面白い」なんて変だろうか。

 そう思って日向さんを見るも、彼はこの絶叫マシンに耐えるのが精いっぱいらしく、ブツブツと文句を言っている。

 もしかするとジェットコースターはよくなかったかもしれないなと思いながら乗り場まで戻ってくると、安全バーが勝手に上がった。すぐ隣にスタッフさんがいそうな雰囲気があるのに、目を凝らしても誰もいない。

 首を傾げて元気よく機体から降りて振り向くと、日向さんがふらふらになりながら身体を伸ばしていた。

 少し可哀想なことをしたかもしれないけど、なんだかんだで乗ってくれたのは日向さんだし仕方がない。

 ていうかこの人何故か……全然私を止めようとしていないような気がする。

 まあ、それならそれで好都合だけど。


「なあ、お前って……」

「え? なんですか?」

 日向さんの声が聞き取れない。まあ、回転ブランコに乗りながらじゃ無理もない。

 長いチェーンで天上から吊るされたいくつものブランコが、天井の回転による遠心力で宙を舞う。まるでたくさんの流れ星が列をなして走っているような……そんな景色にも見える。

 動きが不安定で読めない分、ジェットコースターよりもスリルがあるかもしれない。

 本当に夜空を飛んでいるような気持ちにもなれるし。

 小さい頃も……お父さんとこうやって乗ったっけ。それで、お母さんが下でカメラを構えていて、手を振って。

「探し物があるなら遊んでないで真面目に探せよ」

「遊ぶことに意味があるんですよ」

 日向さんにはきっと、私の探し物なんて分からない。

 足を伸ばしたりしてできるだけスリルを感じようとしてみたけど……そうすればするほど何だか虚しくなるような気がして、星のない空を見上げた。

 結局私は……いつまで経っても変わらない……そんな気さえして、頭を横に振る。

 こんな奇妙な遊園地なんだから、もっと楽しんでみたいんだけどな。


「コーヒーカップ、メリーゴーランド……いや、次はバイキングかな」

 一つ一つの遊具を指さして次に乗るものを考える。

 目の前のメリーゴーランドは軽快な音楽を鳴らしながら回り続けている。普段は子どもたちが乗る馬がやけにリアルに見えて、今にもそこを飛び出して駆けだしていきそうだと思った。

 コーヒーカップの方からはケーキのような甘い匂いとコーヒーの芳しい匂いが漂ってくる。

 バイキングは地面と垂直に何回転もしているから、人が乗るのはちょっと無謀かもしれない。ピコピコと可愛らしい電子音がすごくちぐはぐに感じる。

「あのさ、お前って……」

 日向さんが何かを言いかけた時、目の前からいくつもの風船を持ったリスの着ぐるみがやってきた。

 多分これも、人じゃない何かだ。

 笑みを浮かべたリスの中に何がいるのかが全然分からない。

 リスは私の目の前まで来ると足を止め、ぺこりとお辞儀をした。

 こちらも合わせてお辞儀をしてみると、風船を差し出される。

 食べ物はダメだっていうけど、こういうのって受け取っていいのだろうか。

 ふわふわと宙に浮かんだ大きな赤い風船。何故か、触れてみたいと思ってしまった。

「駄目だ」

 そっと手を伸ばすと、日向さんに遮られる。

「でも」

 触れるくらいいいじゃないか……そう思って赤色の風船とリスの顔を交互に見ると、リスが持っている風船が急に破裂した。

「な、何で……」

 地面に散らばる、割れた風船。リスはこれを私に渡して何をしようと考えていたのだろう。

 逃げるようにどこかへ走っていくリスの背中を見ながら呆然としてしまう。

 最初からずっと奇妙だったけど、それでもその奇妙な中に頑張って楽しさを見出そうとしていたのに。

 これじゃあうまく行きそうにない。目頭が熱くなりそうなのを、拳を握ってなんとか耐えた。


「風船、勿体ないな」

 暫く黙った後、やっと口から飛び出したのはそんな言葉だった。

 人を驚かすために膨らませた風船なんて、遊園地に似つかわしくない。

 もしかしたら笑うべきところだったのかもしれないけど、全然面白くない。

 やるせなくなって、近くにあった緑のベンチへと腰を下ろした。

 マカロンがポップコーンに変わるのも、動き方がおかしなジェットコースターも、懐かしい回転ブランコも、全部「面白い」と思おうとした。夢のほとりで動き出す奇妙な遊園地は絶対に楽しいものなんだって思いこもうとした。

 それなのに全然うまくいかない。

 探し物も全く見つかりそうにない。

 そのことに涙が出そうな気分だ。

「まったく……」

 日向さんは私を見下ろして溜息を吐くと、自分のズボンのポケットに手を入れた。出てきたのは赤色をした小さなゴム。そこに彼が空気を吹き込めば、途端に縦長の風船へと姿を変える。

 それを真ん中からちょっと上でねじって、もう一回ねじって……そうして手の中でくるくると弄られていくうちに、それは単なる風船でもなくなっていた。

 多分こういうのをバルーンアートというのだろう。彼の手の中には風船で作られたうさぎがいて、それを手渡される。

「遊園地の係員さんってみんなこんなことができるんですか?」

「いや……俺は昼間一応ピエロやってるんだよ。遊園地の」

「ピエロ?」

 この、常に無気力な顔をした彼が? 

 あまり想像ができなくて、しかも風船のうさぎが彼に似合わないくらい可愛く思えて、どんな顔をすればいいのか分からなくなった。

 こういう時こそ、笑えばいいのかな。

 こんな彼でも人を楽しませる仕事をしている。

 私もちゃんと、うまく振る舞えたらいいんだけど。

「お前はさ、本当は誰なんだ?」

「誰って……名乗ったじゃないですか。古森月花、現役高校生ですって」

「いや……俺もさ、古森月花っていう名前のやつを知っているんだけど、そいつはお前じゃないんだよ。同姓同名なのか……それとも……」

「同姓同名だとしたら、かなりの高確率ですね。こんな珍しい名前なかなかないと思いますけど」

 まさか遊園地じゃないところでも不思議なことが起こるとは。さっきから日向さんがずっと何かにひかっかるような顔をしていたのはそれが理由なのか。

「あのさ、今って何年の何月何日だ?」

「え……2022年の9月20日ですよね?」

「ああ、そういうことか」

 妙に納得した様な日向さんの反応で、一つの可能性が頭をかすめる。

 それこそ私はいろんな都市伝説とかホラーゲームとかを人並に見てきた方だから、なんとなく日向さんの言いたいことが分かってしまった。

「えっと、日向さんは……」

「俺は2030年にいるつもりなんだけどな」

 だとすれば、私が未来に……もしくは日向さんが過去にいるってことになる。

 それもまた夢のほとりの力だろうか。

「じゃあ本当は私と日向さんって同い年なんですね。今、八歳差なので」

「そうだな。俺の知っている古森月花は同い年だし」

「日向さんは未来の私と知り合いなんですか?」

「まあ……それなりにな。でも、あいつはお前みたいに……そんな不自然な笑い方はしないはずなんだけど」

 未来の私はこんな不自然な笑い方をしない? 

 じゃあ、ちゃんと笑えているということ?

「お前の本当の目的を教えてくれ、月花」

 どうして……私の名前を呼ぶその声は迷いがなくて……随分と呼び慣れたような響きがあるのだろう。

 長い前髪に隠れていた瞳が真っ直ぐに私を捕らえる。そこから目を逸らせば、ゆっくりと回転する巨大な円が目に飛び込んできた。

 七色に光り輝いて見ているだけでも綺麗だけど……これに乗ったら一体どんな景色が見られるだろう。

「最後に、あれに乗りたいです。その中で話すので」

 きっとこれに乗り終えたら夜が明ける。だからこの奇妙な遊園地を見下ろして今度こそ向き合いたいと思う。

 感情を失くした自分と。


 この遊園地には、幼い頃に両親と来たことがある。

 まだ身長が低いから大きなジェットコースターには乗れないけど、子ども用のジェットコースターとかメリーゴーランドとか、そういう遊具に夢中になって、朝から晩まで大はしゃぎをしていた。

 私はその頃の自分を取り戻したかった。

 でも、どれだけ奇妙なことがあってもやっぱり同じ気持ちになることができない。

 念願のジェットコースターに乗ったって、思い出の回転ブランコに乗ったって、ちっとも心が動かない。


「私……三年前に事故で両親を失くしていて、今は叔父さんと叔母さんの家にいるんですけど」

 あの時一緒に遊園地で遊んだ両親はもういない。

 結構衝撃的なことを言ったつもりだったけど、正面に座る日向さんは何の反応もなかった。多分知っているんだろう。

「あの時以来……私、感情を落としてしまって」

「感情を?」

 そう、だからずっと探していた。

 窓の外を見れば回転ブランコがもう低い位置に見えた。

 とりあえず、観覧車は普通に動いているみたい。

「どれだけ頑張ってはしゃいでみても、思いっきり笑ってみても、なんだか全部他人事のように思えてしまうんです。何が楽しいのか、面白いのか、分からなくなっちゃって……だから頑張って偽物の笑顔を浮かべてみてる。それが悲しくて、もっとあっと驚くべきものに出会えば本当の感情を見つけられるかなって、そんな風に思っていました」

「お前がずっと口にしていた探し物というのはその感情のことなんだな?」

「はい」

 でも、残念ながらそれは見つけられなかった。

 スリル満点な遊具にも、奇妙な着ぐるみにも、突然割れた風船にさえも心が動かされなくて。

 どんどん自分が空っぽになってきている気分。

「私どうしたら……ちゃんと笑えるようになるんでしょうね」

 観覧車がガタガタ揺れるのは風のせいなのだろうか。それともまたあの着ぐるみのように厄介なものが近づいてきているのか。

「別に、無理して笑わなくてもいいんじゃないか?」

「え?」

 日向さんの手がそっと私の頭に触れた。

 大きな手が、どこか慣れたような手つきでゆっくりと頭の上を行き来する。

 何故だか懐かしいような気がして……それに、心地よくて。

 呆気にとられた後、どんどん視界が滲んでいく。

「俺だって……仕事の時にはそりゃ営業スマイルで笑顔を振りまいているけど、勤務外でもそんなことしたいとは思わないし。お前だって無理に笑う必要はない。むしろ無理に笑おうとするからそうやって自分を失いそうになるんだろ」

 息が詰まりそうになった。確かにその通りかもしれない。

 別に笑わないっていう選択肢だって私にはあるんだ。無理に笑って、無理に楽しもうとするから、頭の中が余計なことに支配されて本当の感情を見つけられなくなった可能性だってある。

 でも、それを辞めてみてもやっぱり感情が見つからなかったことを考えると怖いんだ。 

「日向さんの知っている私は……ちゃんと笑えていますか?」

 真っ直ぐ前を見れなくて俯いた私の膝には、ぽつぽつと小さな雫が落ちていく。

「俺の知ってる月花は……あんまり笑わないやつだよ。寧ろどうしようもなく泣き虫だ。今のお前みたいに」

 日向さんはそう言ってポケットから白いハンカチを取り出すと私に差し出した。

 素直に受け取って涙を拭った後に見た遊園地は……どこかぼやけていて、小さくて、もうすぐ消えてしまいそうな儚さがあった。


3.

 なんだか懐かしい夢を見たような気がして身体を起こす。

 伸びをして意識が覚醒した途端に夢の内容は消えてしまったけど、少なくとも悪い夢ではなかった気がする。

 ただ、土曜日だというのに目覚まし時計より早く目が覚めてしまったのは、少し損をした気分だ。昨日も遅くまで仕事をしたんだからもっとぐっすり寝ていたい。

 もう一度伸びをして、二度寝をする決心をして、それから枕元に白いハンカチが置かれていることに気が付いた。

 私のものではないけど……見覚えはある。だってこれは、彼が度々私に差し出してくれるものだから。

 でも、今回は……いつの間にハンカチを借りたんだろう。何故か思い出せない。

 それでもとりあえず返さないといけないような気がして、今日は彼の職場に向かうことにした。


「あ、いた、日向」

 私の恋人は遊園地でピエロをしている。笑顔を振りまいて、子どもたちに風船で動物を作ったり簡単な手品をしたりしてみんなを楽しませているらしい。

 普段はこんな仏頂面なのにピエロなんて全然似合わないけど、性格が真逆だからこそ逆に演じられるというのもあるかもしれない。

 私はそういうの、向いてないけど。

「遊園地の職員なのに夜勤なんてあるんだね」

 彼が今日夜勤なのは予め聞いていて、だから仕事が終わる時間を見計って職場へ突撃した。

 皴の付いたシャツを着て眠そうに欠伸をする恋人は、何故か少し目を逸らして、

「ああ……年に数回設備点検みたいなのがあってさ……いなきゃいけねえの」

 と、面倒くさそうに告げる。

 設備点検……か。

 そういえばこの遊園地には変な都市伝説があるけど……まさか、そんなものが本当のはずはないよね。

「そういえば、何故か私日向のハンカチ借りていたみたい。いつの間に借りたっけ」

 そう言って白いハンカチを差し出すと、日向は少し黙った後、ハンカチと私の顔を交互に見た。

「……まあ、お前泣き虫だしな。いつ貸したかなんて思い起こせばきりがない」

「あ、酷い」

 確かに私は泣いてばかりだ。両親を失ってから数年は無理矢理にでも笑って過ごそうとしたけど、いつからかそれも無意味な気がして辞めてしまった。

 そうしたら今度は泣き虫になっちゃったけど……無理に感情を我慢するよりもずっと楽だと思う。

 そんなことを思いながら、日向の背後でゆっくりと回っている観覧車を見ていると、次第にあの遊園地がなんだか懐かしく思えてきた。

「ねえ日向、遊園地デートしない?」

「いや、俺夜勤明けだから……早く帰って寝たいんだけど」

「大丈夫、大丈夫」

 日向の腕を引っ張ると、やがて抵抗するのはやめてくれた。渋々ついてきてくれるけど、何故か私の顔をじっと見つめている。

「何?」

「いや、強引なところは変わらないんだな……と」

 何故か急に笑い出す日向を不審に思いながらも、チケットを二枚買うべく窓口へと向かった。

 記憶の中よりかは幾分か寂れてしまった遊園地。

 なんだか今日は面白いことに出会えそうな予感だ。

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Amuse 無月彩葉 @naduki_iroha

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