第140話 ダンジョンエクスプローラーII

 雷邸の厨房にけたたましい音が響き渡る。

 金属製のボウルが勢いよく、床に落ちたのだ。


「レ~オ~」

「大丈夫かい?」


 ユリナは頭から、真っ白な粉小麦粉を被っていた。

 髪と肌の色素が薄い彼女だけにそれほどの違和感はないが、大量の小麦粉を無駄にした事実は消せない。

 罪悪感で押しつぶされそうになり、今にも泣き出しかねない顔をするユリナを麗央は幼子をあやすように労わった。

 このやり取りだけを見る限りはどちらが年上なのか、分からない。

 普段ユリナがお姉さん風を吹かせているのが不思議に思える様子だ。


「どうしよう」

「大丈夫だよ。これだけ、あればちゃんと出来るからさ」


 そう答えながらも麗央は不思議だった。

 何をどうやったら、ボウルにあけた小麦粉をこれほど盛大にばら撒かれるのか。

 おまけにその小麦粉のシャワーを浴びたと言われても分からないほど、見事に頭のてっぺんから足の爪先まで真っ白に染まっている。


 自分から被ったにしてはあまりに不自然だった。

 何より、ユリナの表情に悲壮感が漂っており、わざとやったとは見えない。

 彼女の作る料理が刺激的な色合いと味わいになる理由を何となく察した麗央である。


 しかし、小麦粉の悲劇はいくら考えようとも答えが出そうになかった。

 麗央はそれ以上考えるのを諦め、彼女のフォローをしながら食べられるパンケーキ作りに専念した。




「私も手伝ったんだから」

「うん。そうだね」

「美味しい?」

「うん」


 近寄りがたい雰囲気とは少々、趣きの異なる独特な空気がリビングダイニングに漂っていた。

 麗央とユリナが原因だった。


 ユリナは麗央の膝の上にちょこんと腰掛け、パンケーキを一口大にカットしては互いに食べさせ合っているのだ。

 上気した顔で見つめ合いながら、続けられる愛の囁きが延々と続けられている。

 見ている者の歯が浮きそうになるやり取りである。


 ただ、これまた不思議なことに

 イザークとイリスは伊佐名家の面々とのダンジョン攻略配信を終え、既に帰宅しているが目の前で繰り広げられる砂を吐きそうな光景を悠然とスルーしている。


 もっともイザークは狼としての獣性が強く、人間らしい色恋自体にさして興味を示さないようだ。

 彼は妹のつがいは麗央なのだと認識している。

 そこで既に終了している。

 お腹が膨れれば、惰眠を貪る。

 これで彼は満足している。

 とんだ魔狼である。


 イリスはゼノビアと二人で少女漫画のような反応を見せるユリナを見て、女子高の学生の如く盛り上がっていた。

 女三人寄らなくてもどうやら姦しいようだ。


 ユリナは場の空気に居たたまれなくなったのか、「コホン」とわざとらしく軽い咳ばらいをしてから、すくっと立ち上がった。

 傍目に恥ずかしい行為をしていた自覚はあるらしい。

 恥じらいからか、顔がトマトよりも赤く染められていた。

 そればかりか、普段動揺を決して見せない彼女にしては珍しく、瞳が目を回した時のようにぐるぐる目である。


 それを見て、さらにきゃーきゃーと盛り上がるイリスとゼノビアも相当に重症だった。


「み、みんな~。次の共同配信が決まったのよ? 喜んで?」


 声は上ずっており、なぜか疑問形である。

 問いかけられた面々はイザークを除き、頭上にクエスチョンマークを浮かべる。

 だがユリナが「何を言っているのだろう」と疑問に思うよりも動揺ぶりの可愛さの方が上回るらしい。


 この後、いつもの冷静さを取り戻したユリナが、しっかりと趣旨を説明したのである。

 ……とはならなかった。

 麗央がフォローしようと動いたのが悪手だった。

 木乃伊取りが木乃伊になった。

 ユリナの動揺を抑えようとした彼の行動で彼女のデレ具合が、妙な方向にギアチェンジした結果、麗央も完全に巻き込まれ事故を貰った。

 『ロミオとジュリエット』のような寸劇を始めた二人がまでにそれなりの時を要したのである。




「それでね、レオ。聞いてる?」

「う、うん?」


 入浴を済ませ、就寝前の一時を暫し、のんびりと過ごすのが麗央とユリナ夫婦のルーチンだった。

 入浴の前にこれまたルーチンとなっている刺激的な睦み合いを挟んでおり、余韻でとなっている麗央にとって頭をクールダウンさせる大事な時間でもあった。


 ユリナも徐々に開発され、快楽の実を存分に味わっている。

 二人の知識は相変わらず、欠けたままだ。

 しかし、動物的な本能が求めるのか、麗央の手が触れてない部分は既にない。

 目隠しルールを守っているのはユリナだけで麗央は目隠しをしていない。


 麗央にも知識はないのでどうすればいいのかは分からないが、ただ本能が求めるままに動いた。

 初めのうちこそ、どこを弄ればユリナが感じるのかが分からず、稚拙だった麗央もしまいには慣れてくる。

 今ではユリナの反応を見ながら、果てるまでを己の欲求を満たしながらこなしているほどだ。


 そうは言っても二人はまだ白い結婚のままだった。

 白というには限りなく黒に近い灰色だったが……。


「疲れてるの? もう寝る? でも、レオが興味ある話だと思うんだけど……」

「あ、うん。大丈夫だよ」

「そう?」


 疲れているのは「君が可愛いから、つい我慢出来なかったからなんだ」とは口が裂けても言えない麗央である。

 ユリナを指で導きながら、何度自分が果てたのか分からないほどに滾る熱情を迸った。

 初めの内は変な匂いがすると顔を顰めていたユリナも開発されるうちに箍が外れたのか、何も言わなくなった。

 それどころか、麗央の白濁の匂いになぜか、うっとりとした表情をしているようにさえ見える。


 それは麗央の熱情をさらに煽る。

 彼の手は止まらず、幾ばくかの疲労感を伴う結果を導くのだ。


「レオがよく五十六さんって、いるでしょ?」

「ああ。イソローか。それがどうしたの?」


 「おや?」と麗央は思った。

 ユリナに五十六の話をしたことは一度もない。

 それにも関わらず、ユリナはさも当然と言わんばかりに五十六を話題に出したのである。


 しかし、それを追求すべきではないと彼は考えた。

 麗央は良くも悪くも純粋だった。

 パートナーを信頼し、疑いを抱かないといった点で二人はよく似ている。

 しかし、二人には大きな相違点があった。

 執着心の強さだ。


 麗央は鷹揚にして大らかなところがあり、ユリナの全てを受け止め愛している。

 彼女が何をしても許容できる寛容さとあまり深く物事を考えない質なのが幸いしていた。

 ユリナもまた大らかなところがあり、麗央の全てを受け止め愛している。

 しかし、彼女には致命的な弱点と言うほどに自分を信じていない。

 あれほど自信に満ちたステージをこなし、世界でもっとも愛される『歌姫』と呼ばれる姿からは想像できないほどに自分を信じていないのだ。

 自信の無さが特に強く現れるのは恋愛面だった。

 どこかで麗央に捨てられるかもしれないとの恐れを常に抱いており、それが執着心の強さへと結びついていた。


 それゆえにユリナは外出している麗央のことが気になって仕方ない。

 全てを把握していなければ、不安に苛まれる。

 そこで網を張り巡らしているのだが麗央は気付いてすらいない。


 さすがに五十六の話で疑問を感じたもののそれすら、前向きに考えられるのが麗央という男である。

 女王としての一面を持つユリナなら、もあるだろうと解釈した。


「あの人、迷宮を探求する者ダンジョンエクスプローラーとして結構、有名になってるわ」

「ええ!? 詳しく教えてよ」


 寝耳に水の話が既に半分、眠っていた麗央の脳を覚醒させる。

 呆けたようにぼっと寝そべっていた麗央は突如、起き上がるや否や物凄い剣幕でユリナの肩を掴んだ。

 ユリナは目を白黒させるしかない。


 若夫婦の別の意味で眠れない夜が始まろうとしていた……。

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