第17話 歌姫はご機嫌斜め

 日本全土が真の暗闇に包まれる時を過ごすという異常事態が発生したにも関わらず、人々はそのことを忘れ、日常を謳歌している。

 複数の変電施設で、異常が発生したことによる大規模な停電だったとの報道がされた。


 どこか釈然としないものを感じる者は決して少なくはない。

 ネット上では政府による陰謀論や秘密結社による何らかのテロといった物騒な文字が飛び交っていた。


 だが、多くの話題を独占するのはもっと明るいニュースだった。

 ついに素顔を晒した謎の歌姫『リリー』の話が世間を賑わせていたのである。


 彼女は圧倒的な歌唱力とメッセージ性のみで人気を博していた歌姫だった。

 それが人気若手女優すらもかくやという美貌の持ち主であると判明すれば、どうなるかは明白だ。

 その勢いはもはや止められるものでなかった。


 日本をほぼ手中に収めたも同然の『歌姫』が次に狙うのは世界である。

 かのライブで意識を取り戻さない者が幾ばくか、いたとしても誰も気にも留めない。




 ユリナはご機嫌斜めだった。


 五大都市ライブは大成功に終わっている。

 それにより、目的の一つであるゲートも開くのにも成功した。


 ところが肝心の生体エナジーが思ったよりも集まらなかったのである。

 確かに門は開いた。

 ただし、圧倒的に出力が足りない不完全な門だったのだ。


 ユリナは吐息のように溜息をいた。


 上顎は天に届き、下顎は大地に接する。

 太陽と月を追いかけ、全てを喰らい尽くす魔獣。


 それが門を通った結果、どうなったのか?


「全く、もう。何なの」


 広い庭を気持ちよさそうに駆け回っているというより、転がるように走る銀色の小さな豆弾丸にユリナは恨みがましい視線を投げかける。


 銀毛のポメラニアンである。

 鳴き声は「ワンデアル」と鳴いているようにしか聞こえない。


 だが、そのポメラニアンに自分と同じ血が流れる実の兄である以上、ユリナは見捨てる訳にはいかない。

 しかし、溜息と浮かない表情なのはそれだけが理由ではなかった。


 彼女にとって、最大の癒しは夫である麗央の存在だ。

 麗央がいれば、他のものなどはどうなってもかまわないとまで言ってのけるユリナである。

 そんな癒しの存在にまさか、ここまで悩まされるとは思わず、何とも悩ましい声を上げているのだった。


 事の発端は麗央に届けられた大きな届け物だった。

 それは彼がYoTubeのチャンネルに記載してあった通販サイト『ジャングル』の欲しい物リストに載せていた物だ。


 ロボットの工作キットである。

 かなり高級な代物でプログラミングを組み、学習能力まで有している。

 それだけに高価だった。

 麗央としても半ば、冗談のつもりで載せていたに過ぎず、現物が届いて一番、驚いたのは麗央本人である。


さんが送ってくれたんだと思う」

「そ、そうなの? 嬉しい?」

「あ、うん。嬉しいけど、複雑な気持ちかな」


 麗央が運営しているチャンネル登録者数は非常に少ない。

 YoTubeの収益化認定条件はチャンネル登録者が千人以上である。

 その条件を満たさなければ、投げ銭を受け取ることも出来ない。


 麗央を何とかして、甘やかそうと企むユリナは投げ銭で彼にを与えようと考えた。

 ところがYoTubeのシステム上、決行前に頓挫していたのである。


 そこで考えたのが本アカウントのリリーではなく、麗央を甘やかすだけのアカウントを作ることだった。

 それがだ。

 リスはフランス語でゆり=百合を意味している。


 そして、麗央のライブ配信に熱心にコメントを書き込み、ジャングルの欲しい物リストを知ったユリナが、プレゼントを贈った。

 これが事の真相である。


 だから、ユリナは麗央が喜んでいる姿を見て、嬉しい反面、自分で自分に嫉妬するという何とも間抜けな状況に陥っている現状に不機嫌になっていた。

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