第10話
薄暗い部屋の中で、僕はソファ―の上で膝を抱えていた。
光源はテレビだけで、照明は点いていない。何もやる気が起きなかったのだ。
やれると意気込んで実機試験に臨み、その結果周囲に醜態を晒してしまった――どころか、危険に晒してしまった。大失態だ。
あれから
玄関のドアが開いた。フィオナが帰ってきたのだろう。
だが、動く気が沸かない。
フィオナは僕のことをどう思っているのだろうか。彼女も僕の失態を、格納庫で見ていたはずだ。
慰めてくれるだろうか。それともいつも通りだろうか。もしくは、情けないと罵倒されるかもしれない。
薄暗い部屋の中を進む足音だけが、やたら大きく聞こえる。それだけフィオナの動きに集中しているせいかもしれない。
「なんだ、ホラーでも見ているのかと思ったぞ」
いつも通りの声音だ。凛とした落ち着き払った声。予想はしていたつもりだが、拍子抜けというか、「電気くらいつけろ」と呆れられるくらいに思っていたのに、第一声はこの暗さを映画鑑賞の一環――平常運転として捉えられたらしい。
こんな状況を、異常と思ってほしい。
そんな希望が、僕の中であったのかもしれない。とんだ構ってちゃんだ。
テレビには、お笑い芸人が北海道で食べ歩きをしている姿が映っている。
最近の情勢的に、国内で最も北にある地域として――戦場から最も離れているという意味で――密かに注目度が上がっているエリアだったが、この前の横須賀基地での戦闘から、あからさまに人気急上昇中だそうだ。元より沖縄から人が流出しているというニュースは聞こえていたが、どうやら関東でもその流れができつつあるらしい。
画面の向こうの芸人の笑い声が、やけに明るい。当然だ。バラエティ番組が暗くなってどうする。
だが、その笑いが、無邪気さが、僕の心に苛立ちを生じさせる。
僕がこんな
何も知らないくせに。
この苦しみの、欠片すら想像できないくせに。
理不尽な怒りであることはわかっている。彼らも仕事であり、大変な側面だってあるはずなのに、それを理解しようとしても心がそれを拒んでいる。
他人からの失望。
自分は期待に応えられなかった。
自分は不要なのではないか。
そんな思いが、僕を内側から揺さぶっていく。
「つまらんな」
そんな僕の内心を一切察することなく、フィオナは呟いた。
リビングの照明を点けてからテレビのリモコンを操作する。DVDプレイヤーの電源を入れ、ケースに大量に詰め込まれた僕のコレクションを漁り始めた。
一分後、一本の映画を取り出し、プレイヤーにセットする。
「ずれろ」
僕の前に立って仁王立ちするフィオナに言われ、僕はすごすごと隣にずれる。
フィオナはリモコンを片手に、クッションを抱えて映画鑑賞を始めた。
「夕飯は?」
視線を向けず、フィオナが訪ねた。
「……ごめん、ちょっと、今は……」
フィオナに言われても、僕は腰を上げる気力が沸かない。ソファに縫い付けられたかのように。さっきは勢いで横にずれたけど、再び縫い付けられたんだ。つっこまないでくれ。
「そうか……」
フィオナは何やら考えると、自分の携帯端末を操作しだした。
すぐに端末をソファの上に投げ捨てると、ちょうど再生が始まって放映会社のロゴが映り始めた。
何を見始めたのかと思って、テーブルの上に置かれた空のケースを見る。
異星人のUFOが攻めてきて、世界規模で立ち向かうSF映画だ。物語後半でアメリカ大統領が「人類の独立記念日だ」と演説するヤツだ。
それはそれとして、僕が持っているのはオーディオコメンタリーや種類の違う吹き替えが収められたコレクターズボックスなので、きっとフィオナは両方見ることだろう。今日も夜更かし確定か。
映画が始まってからどれくらい時間が経過した頃だろうか。
インターホンが鳴った。
僕は小さく息を吐き、立ち上がろうと努力するが、相変わらず腰が重い。
きっとフィオナが「早く出てこい」と文句を言うだろうから、気合を入れ直そうと思ったところ、隣で映画鑑賞中のお姫様ニートが立ち上がって、玄関に歩いて行った。当然映画は一時停止中なのだが、アブダクション信者がビルごと吹き飛ばされるシーンだった。君は毎回タイミングを見計らっているのかい?
白くて薄い箱を持って戻ってきた。
それをテーブルに置く。
ピザチェーンのLサイズだ。香ばしいチーズのにおいがする。
箱を開けると、一層においが強くなった。
フィオナは再生ボタンを押して、ピザを一切れ手に取って口に入れた。映画に夢中なのか、黙々と咀嚼している。
ぐぅ~、と腹が鳴った。犯人は僕だ。もう何もする気がないと落ち込んでいるはずなのに腹は減るのかと、自嘲してしまう。
フィオナは横目で僕を見て、顎でテーブルを差す。食べろということだろうか。
「遠慮するな。奢りだ」
奢り?食べていいってこと?というか、君お金持ってたっけ?
「司令から当面の分をもらった。気にするな」
ああ、高遠司令か。給料日はまだ先だけど、一文無しってのはどうかと思っていくらか貰ったのだろう。もしくは次の給料からその分天引きされるとか?
そんなことを気にしながら、僕はカットされたピザに手を伸ばす。空腹にチーズのにおいは反則だ。落ち込んでいるはずなのに、おいしいものはおいしい。
「風呂は?」
映画を見ながら、フィオナが尋ねる。
「ああ、昨日の夜に掃除済ませたから、給湯すれば入れるよ」
「……リョウトは?」
「いや、僕は…、いいや」
「入ってこい不潔野郎」
「……うん」
僕はピザをもう一切れ食べた後、のっそりと起き上がって入浴の準備を始める。あんなに重いと思っていた体だったが、意外と動く。本当に、ただの気の持ちようなのかもしれない。決して『不潔野郎』と罵られたから体が動いたわけではない。あしからず。
十数分後、お湯張りが完了したのでバスルームへと向かった。
「お先に…」
そっと声をかけると、「さっさと行け」と言わんばかりに手を振られた。
それから、ゆっくりと湯船に浸かれば何か変わるだろうかと淡い期待を抱いたが、出てくるのは前向きな気持ちではなく溜息ばかりだった。
フィオナ・フェルグランドは映画のクライマックスを見ながら、考えていた。
(リョウトもだいぶ堪えているようだな)
龍斗が機体の中で錯乱した現場を、フィオナは見ている。初陣のトラウマか、何か別の原因があるのかはわからないが。
(見るからに『辛いです』と態度に出して…)
フィオナは基地内でミアリーに向けられた悪意を、裂かれて落書きされたシャツを、思い出す。
(あたかも、自分だけが辛いみたいなことを…)
昼間のことを思い出し、唇を嚙む。
本当は帰宅後に龍斗に対して当たり散らしてやろうと考えていたが、あんな態度を取られてはそうするわけにはいかない。明らかに壊れるとわかりきっているものを平然と壊す趣味は、フィオナにはないのだから。
『人種の違いを乗り越えて、一つの目的のために結ばれる――』
画面の中では、国のトップが決戦を前に演説をしている。
人種の違い――
『君らは再び自由のために戦う。地球に存在する権利を守るために』
(わたしとて、自分の役目を果たすんだ。こんなことで気落ちしているなどと…!)
画面の中の大統領の言葉と、フィオナ自身の決意が重なる。
『我々は戦わずして絶滅はしない』
(そうだ、ここで諦めるわけにはいかない。ウルズの好きにはさせない)
ぐっと、拳に力がかかり、リモコンが軋む。
(そのためなら、どんなに悪意を向けられようが、辱めを受けようが――)
自分が今ここにいる意味を、責任を、改めて自身に言い聞かせる。
(必ず、ウルズの思惑を阻止してみせる…!)
途中から、映画の中身などフィオナの頭に入ってこなかった。
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