第9話

相模さがみを下ろせ」

 開口一番、芦原頼人あきはららいとは基地司令官である高遠慎哉たかとうしんやへ詰め寄り、普段はあまり見せない厳しい表情で言い放った。

 司令官執務室へのアポなし突撃である。司令官専属秘書官であるメラニー・マイヤー少尉の静止を振り切っての進言に、高遠は面食らう――ことはなく、表情一つ変えなかった。

 たっぷり五秒ほど後、電子書類へのサインを終えた高遠がデスクから顔を上げた。

「芦原大尉、君との時間はスケジュール外だ。悪いけど後にしてもらえるかな。こう見えて忙しいんだ」

「開発試験の運用主幹に物申しに来ただけだ。長くはかからないから聞いてくれ」

 とても大尉から准将への態度とは思えない物言いだった。

 MUF横須賀基地には最新鋭機であるRF-6を主力とした航空団や艦隊が存在するが、それらを指揮する航空団司令や艦隊司令が存在し、どちらも高遠と同じ准将だ。

 だが、開発部隊にはその席がない。正確には、基地司令官がそれを兼務しているというのが正しい。

 MUFの役割の最たるものは対イグドラシル戦闘だが、それと並び、時にそれ以上の重要性を持っているのが開発部隊だ。対イグドラシル、対ハルクキャスターと銘打たれたものは、三〇年に渡る戦争とオーストラリア占領という事実を前にして、その重要度も跳ね上がる。小規模であはあるが生産ラインまで備えている基地も少なくない。

 だからこそ、開発にはかなり高い裁量と予算が与えられている。予算稟議など時間の無駄なので、直接基地司令が首を縦に振れば決裁が下りるという仕組みだ。もっとも、懐事情に厳しい部分があるのも事実だが。

 つまり、目の前の基地司令官が了解すれば、開発部隊員の人事もあっさり決まる。

「相模少尉はCSR、もしくはASDかもしれない」

 芦原は〈アルフェラッツ〉の修理後試験での龍斗の様子から、これ以上のテストパイロット継続は困難だと進言したのだ。

 今、龍斗は医療施設で鎮静剤を打たれて休んでいる。機体から出た後はそれなりに落ち着いているようだったが、とりあえず横にさせた。

 初陣は誰にでも大なり小なり影響を与える。戦功を挙げたからといって、一八歳の部下に何の変化もないなどと考えることが甘かったと、芦原は後悔していた。何より、敵とはいえ、自分が人を殺したと自覚し、その死体を直に目視してしまったのならば尚更だったと。だから、戦闘ストレス反応C S R急性ストレス障害A S Dとなってもなんら不思議ではないというのに。

 芦原の言葉を、開発主幹である高遠は黙って聞いていた。そして、これ以上部下からの上申はないと判断した後、告げた。

「芦原大尉、つまり相模少尉はパイロットをやれる精神状態ではないから〈アルフェラッツ〉に乗せるのをやめさせろと、そういうことか?」

「……それ以外にどう聞こえると?」

「いや、主旨を間違えないようにと思ってのことだ」

 芦原の中で苛立ちが沸く。普段はニコニコしているくせに、こういう時は冷え切った思考と表情を見せる上官の、持って回った言い方に。

「結論から言おう。却下だ」

 そして、何のひねりもなく、芦原の上申を捨て置いた。

「いや、正確には棄却だ」

 これは単に、「芦原の主張の仕方がおかしい」ではなく、「龍斗が乗らないという選択肢は取れない」と、そう告げたのだった。

 当然、芦原には納得がいない。

「どうして?〈ペルセウス〉の目途が立たないから、俺が〈アルフェラッツ〉に乗るでもいい。相模以外にも、他の候補だって探せばいるだろう。なんだったら、操縦技術だけで言えばもっと技量のあるやつだっていくらでもいる。相模にセンスがあるのは認めるが、それ以外の選択肢がないというのは誇張が過ぎる」

「今更の疑問だね。適性の問題だと、命令書を渡した際に言ったはずだ」

「そういう命令だったから従ったまでだ。だが、今は状況が変わった。相模あいつはもう、パイロットとしてはダメだ。致命的だ。相模本人だけじゃない。このままじゃ、事故だって起きるぞ」

 ついさっき起きた格納庫での出来事を思い出す。あれだって、周囲の誰かが巻き込まれて死傷者が出てもおかしくない状況だった。たまたま無事だっただけで、同じようなことが起きればいつ誰の命が脅かされるかわかったものではない。

 だから、これは龍斗のためでもあり、この基地の人間を守るために必要な措置なのだ。

 だというのに――。

「何度も同じことを言わせるな、芦原。相模龍斗が乗らない〈アルフェラッツ〉では、価値は半減だ」

「ハルクキャスターとしての価値……、魔法どうこういうなら、それこそあのお嬢ちゃんが乗れば事足りるだろ。なんで相模にこだわる必要がある?」

 納得いかず、説明しろと詰め寄る芦原の語気は、徐々に強まっていった。

「最初はただの適性だった。それが、相性に変わっていった。ただそれだけだ。確かに君の言う通り、〈アルフェラッツ〉の運用はフィオナ・フェルグランドがいれば最低限の役割を果たせるが、それだけでは不十分だ」

「なにを……」

「それだけでは、オペレーション・シャングリラ――オーストラリアの奪還作戦は成功しない」

「は?ちょっと待ってくれ。すると何か?相模はテストパイロットってだけじゃなくて、そのオーストラリア奪還に組み込まれて……、しかもその言い草、まるで中核に組み込むような言い方だな」

「そうだが?」

「さも当然みたいに言ってくれるな。相模アイツは先週実戦を経験したばかりの新兵だ。任官したてのヒヨッコに、一体何を背負わせるって?」

「軍人だろう?新兵だろうが老兵だろうが、使えるものは適切に使うさ」

「お前っ…!」

 このやり取りで、芦原の沸点は優に超えていた。

 芦原とて、高遠とは年単位の付き合いになる。普段は温厚で親切な顔を見せているが、腹の内では冷たい計算をしていることも、芦原は承知している。

 死ねと言われれば従うのが軍人だと、昔聞いたことがあったが、芦原はそれを認めるつもりはない。命令に従うのは軍人の必須事項だが、大人しく命を差し出すことは違う。はいそうですか、と頷くようでは、もう人間として壊れているのだと、芦原は思っている。

「それ、副指令も知ってるのか」

「ああ、もちろんだ。納得いってない顔をしていたけどね」

「ざけんなってんだ…」

 芦原は舌打ちを隠そうともしない。沸いた頭の中から、どんどん暴言が出てくる。

「だったら――」

 しかし、沸点を超えていたと思ったら、意外と冷静さは残っていたらしい。

「俺とあのお嬢ちゃんが〈アルフェラッツ〉を乗りこなせば、文句はないな」

「ほう?」

 その提案、というよりも、主旨に芦原が気づいたことに、高遠は感心した。

「どういうことかな?」

「簡単な話だろ。司令官殿は奪還作戦成功のために〈アルフェラッツ〉の複座を埋めたい。後部シートは魔法を使うためにフィオナ・フェルグランドが乗る必要がある。で、前部シートに相模を乗せるのがベストだと思っている」

 一度芦原が区切ると、「続けて」と高遠は笑う。

「だが、俺は相模を乗せることはリスクだと思っている。だから、代わりに俺が乗る。それでうまくいけば、文句はないはずだ」

「なるほど」

 にやにや笑いながら、高遠は頬杖をついた。

 成長を見せた生徒に喜ぶ教師のように。もしくはおもちゃを見つけた猫のように。

「ならば、結果を出してみせろ。とはいえ時間がない。オペレーション・シャングリラまで、あとひと月しかないからね。だから、一週間あげるよ。フィオナ・フェルグランドと同乗した模擬戦闘演習で、相模少尉がシミュレータで彼女と出したスコア以上を叩き出せ。できなければ、僕はどんな手段を使ってでも、相模少尉を〈アルフェラッツ〉に乗せる」

「あとでやっぱなしとか、そういうのはナシだからな」

 芦原は踵を返した。

 条件は取り付けた。あとは結果を出すだけだ。

 当然フィオナとの連携訓練は必要だが、確か龍斗とフィオナの訓練時間があったはずで、今の龍斗の状態ではこなすことはできないはずだ。だからその時間をもらえばいい。

 問題ない。戦闘経験も何もかも、龍斗よりも上だと、芦原は自負しているのだから。

「あ、そうそう、ちなみになんだが」

 執務室のドアを出ようとする芦原の背中に、司令官の、実年齢に反して若々しい声がかかる。

「計算上、君はフィオナ・フェルグランドとの相性は悪くないが、当然最高ではない」

「んなこたぁわかってるよ」

「せいぜいがんばれ、応援しているよ、暫定

 そう言って、高遠は自身の軍務に戻った。

(第三位、ねぇ)

 芦原は執務室を出て、通路を歩きながら考える。

 言い方からして、ハルクレイダーの操縦技術ではなく、フィオナ・フェルグランドとの相性のことだろう。計算上の、という枕詞がつくだろうが。

(ん…?)

 と、そこで芦原にちょっとした疑問が浮かぶ。

(一位は相模だとして、じゃあ二位って誰だ…?)

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