第一章

第1話

 フィオナとの出逢いは三日前になる。

 前日に、付近で戦闘があったとのことで、警戒態勢が敷かれた。小笠原諸島で哨戒機がHCハルクキャスターを発見したとのことで、それはもうかなりバタバタした一日だった。

 そんな、一日シフトも何も無視して詰め込まれた後、僕はぐったりしながら基地からの帰路についた。遠回りになってしまうが、心に癒しが欲しくて、海岸線をしばらく歩いていた。

 コンクリート製の硬質な土手の上を、左手に海を見ながら歩く。押しては返す波音が心地いい。しかし、視線を向けようとは思わない。昔は綺麗な砂浜が広がっていたらしいのだが、今は数メートルしかない貧相な砂浜に、灰色の海水が乗り上げて、それから海に戻り、また乗り上げ……、という、見ていると寂しくなる光景だからだ。僕はよく昔の映画を見ていて、それを趣味にしているのだが、そこで見た白い砂浜と蒼い海は、少しずつ、着実に減っている。日本国内、特に太平洋側は、軍事化が進められており、海岸は埋められ、東京湾もかなり埋め立てが進み、その上にビルが建ち、滑走路が敷かれていった。時代の流れと言えば、それで終わりなのだが、映画を見る度に、昔はよかったんだな、とまだ成人すらしていない僕は見たこともない過去の世界に思いを馳せていた。

 今は夏真っ盛りなのだが、ここに海水浴客などほとんど来ない。昔は日本有数の海水浴地帯だったらしいが、客は全盛期の三分の一以下。みんな、ここが軍事化されていることを知っているから、来るのはビーチボールを持った水着の女の子じゃなくて、サーフボードを持った波乗りか、近所の子供くらいだ。安心して遊ぶには日本海側がいいということで、多くは新潟とかに流れているらしい。別に僕は海で遊びたいとかそういうのは特別ないけど、でも嘗ては賑わいを見せていた、と言われると、なんだか寂しい気がする。

 でも、波音は好きだった。

 胎内にいたころの心臓の音に似ているから落ち着くんだと聞いたことがあるが、そんな理屈はいい。とにかく落ち着くし、基地でピリピリしていた後には、まるで波が心を洗ってくれているように感じた。特に、夏はパイロットであることから、対Gスーツの格好が暑くてたまらない。だから、今はTシャツの上に赤いチェックの半袖ウエスタンシャツ、ジーパンという普段着であることも含めて、波風も心地いい。

 一五分ほど歩いただろうか。そろそろ帰ろうと海を背にしようとした時だった。

「…………ん?」

 何かが見えた。波打ち際に、何か白いものが。

 漂流物は別に珍しくはない。流石に死体が流れ着いたことはないが、ゴミが漂着すること自体は珍しくない。ただ、僕の視線に捉えたものは、明らかに大きい。一.五メートルくらいある、装甲板?いやいや、そんなわけない。

 別に放っておいてもよかったけれど、なんとなく気になって、僕は貧相な砂浜に降り立ち、その『白いもの』に寄った。

 人だった。

 黒くて長い髪を振り乱し、対照的に白い衣服を着ていて、しかもこの暑いのに服の袖が長い。さらに腰の辺りまで波が寄せているので、衣服はずぶ濡れ。俯せに倒れているのだが、若干ではあるが、僅かに肩が上下している。

 僕は駆け寄り、体を揺する。

「大丈夫ですか?」

 俯せの状態から仰向けにして抱える。すると、黒髪が垂れ、そこから細かく震える長い睫毛と、チアノーゼで紫色になった唇が現れた。

「女の子…?」

 結構かわいい子だな、とは思った。歳も僕と同じくらいだと思う。

 しかし、なぜこんな女の子がここで土左衛門一歩手前みたいな状態でいるのか。海で溺れたとか、その末に流れ着いたっていうのが普通だろうが、今は午後の六時を回っている。しかも空模様は朝から曇り。とても今日の海水浴客には見えない。

「う……」

 と、少女がうっすらと、呻いた後に目を開けた。

「あ、気がつい――」

 僕がほっと一息ついて、よかったと思った瞬間、

 少女の手が、金色の光に包まれ、球形を取っているのに気づいた。

 僕は反射的に少女から一歩離れ、いつも携帯している拳銃、その銃口を少女に向けた。

「魔導師……!」

 少女はまだ腰を砂浜に下ろした状態で、鋭い視線と光る右手の光球を僕に向けている。

 対する僕も、一メートルも離れていない少女の眉間に、銃口を向けたまま硬直している。

 僕は人を撃った事なんてない。銃撃なんて映画で見るばかりで、軍に席を置いてからも的しか撃ったことがない。拳銃を握る掌は汗で滲んでいるし、震えそうになる全身を必死に叱咤している。

 一応前置きしておくが、僕はかなり強い。銃の扱いも、その道のベテランと比べられたら困るが、訓練で的以外を撃ってしまったことはないし、格闘においても、複数の格闘技を幼少時から続けていたお陰で筋肉隆々な軍人に対しても互角に張り合える。まず街の不良二、三人なら、百回やって百回勝てる自信がある。

 でも、やっぱり人を撃つのは恐い。魔導師と戦ったこともない。

 講義の記憶を呼び起こしながら、銃口を向ける。

 魔導師は単体での戦闘能力が高いが、身体能力が優れているわけではない。全ては魔法の補助であり、体の構造は基本的に地球人と同じである。彼らの攻撃は瞬時に発動できる簡易射撃魔法や、時間をかけて行う大出力砲撃魔法がある。そのため、時間を与えず、迅速に倒すことが望ましい。防御用のバリアを展開することも可能で、それ以外にも体は特殊なフィールドで守られている。よって、魔導師に対して白兵戦を行う場合は牽制しつつ距離を縮め、迅速に打ち倒すことが求められる。

 つまり、僕がこうして硬直しているのは間違っているわけか。もしかしたら、僕の知らないところで魔法が使われているかもしれない。

 撃たなきゃならない。じゃないと、僕がやられてしまう。

 わかっているのに、でもできない。

 具合悪そうにしている女の子に引き金を引くことが、躊躇われる。撃たなきゃいけないと理性が訴えるが、感情がそれを邪魔している。この女は敵だと訴えているのに、それでも女の子を殺すなんてできないと、感情が訴えかけている。

 ザッ、と砂に何かがめり込む音がした。

 少女が倒れた。

 切れ長の目を向けることなく瞼を閉じ、右手はもう光っていない。

 僕にとって、少女は魔導師ではなく、ただの傷ついた女の子に見えた。こんな、敵を前にして倒れるくらい、傷ついている女の子を撃つことなど、僕にはできなかった。

 ポケットから携帯電話を取り出す。ここから基地まで二キロもない。連絡一本入れれば、すぐに軍人が飛んできて、彼女を拘束するだろう。元々、魔導師の捕虜はあまりいない。全く未知の存在であるイグドラシルの人間を捕らえることは、彼らを知る最も効果的な手段の一つである。この子は捕まれば最後、捕虜など名目だけで、吐くだけ情報を吐かせたら、あとは実験動物になるだろう。そして、そんな貴重な『サンプル』を発見し、拘束した僕には勲章をもらい、昇進する。なんてシナリオだろう。実戦を経ることなく、一八歳で中尉。すごい出世だ。

「くそっ」

 しかし、僕は電話を仕舞った。恐かった。別に僕が尋問するわけでも、体を切り刻むわけでもない。軍に引き渡せば、それで僕の仕事は終わり。いつも通りの訓練と任務をこなし、少しだけ上がった給料の記された明細を見るだけ。

 たとえ名前も知らない、会話もしていない、出会ってたった数分の、互いに銃口を向け合った仲だとしても。

 自分の平穏の外で、誰かが無慈悲に死んでいくなど、認めたくなかった。

 それが嫌で、僕は多国籍統合軍MUFに入ったのに。

 僕は彼女を抱え上げた。さっきも思ったが、かなり軽い。

 そして、僕はさらに驚かされることになる。

 彼女が、正確には彼女が身につけている白い服が光り始めた。

 結果……、

 衣服が消え、

 下着だけの女の子を抱えている自分に気づいた。

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