第2話
気絶した下着姿の少女をそのまま連れて行くわけにもいかず、とりあえず僕の上着を着せた。しかし、元々丈が長くないので、上半身は隠れても、逆に下半身の白い布がちらちら見えるので、余計にいやらしく見えてしまう。
これについては妥協した。少女を背負い、まずは家に帰ろうとする。が、このまま六キロ近い道のりを歩くのは、かなり辛い。体力的にはどうにかなるが、問題は精神的に、だ。もうそろそろ夕飯時だが、まだ買い物客が街には多い。このまま下着姿の少女を背負って歩くのは勘弁してほしい。
というわけで、結局タクシーを拾うことにした。これで多くの視線を気にする必要はなくなったと思ったが、乗車中、運転手さんとの無言の空間が痛かった。上着を着せているとはいえ、下着姿の女の子を背負った男に対して、どう接したものかと気を遣わせてしまったようだ。
「……お客さん、学生さん?」
なんか当たり障りのない声をかけてきた。一〇分ほどのドライブになるはずだが、流石に運転手さんもこの空気には耐えられなかったらしい。
「え、ええ」
なんかノリで答えてしまった。本当は軍人なのに。
「実は、彼女が海で遊びたいって言うんで遊んでたら、疲れちゃったみたいで…」
少女のことも、フォローを入れておく。見ようによっては強姦か、もしくはお持ち帰りに見えるかもしれないと思ったし。うん、そういう設定にしよう。ついでに着ていたはずの服をどこにやったのかという疑問も忘れてくれると助かる。
「そう、こんな海で遊ぼうなんて、学生さんは思いきったことするねー」
会話に緊張がなくなってきた。よし、いい感じだ。
「そうですか?」
「ああ。こんな軍の施設が近いところで遊ぶなんて、しかも海だってそんなに綺麗じゃないでしょ?」
あ、はい。僕もそう思います。なんてことは言えないので、とりあえず笑っておく。
「今は戦時中で、経済だって楽じゃないんでね。結構商売上がったりなんですよ」
どうやら世間話にシフトしたようだ。何の脈絡もなかったが、僕としては大助かりだ。
「それに、今はまだこの辺は大丈夫だけど、いつ敵が来るかもわかったもんじゃないからね」
すいません。今あなたの真後ろで気を失ってます、その敵さん。
「MUFがいるって言っても、ここのはひよっこが多いって聞いてるし、不安だしね」
すいません。僕、もっとがんばります。
「アメリカが勝てないんじゃ、無理なのかねぇ」
……やっぱり、そういう認識なんだな。
世界のリーダーアメリカが手を焼いているほどの敵に勝てるのか。みんな、半分諦めているのかもしれない。
「早くやられてくれないかねぇ、イグドラシルっていったっけ?」
そう、その敵を、数十年来の敵を、僕は助けようとしている。これは間違っているんだろうか。これはただの僕の我が儘で、偽善で、安っぽい、『青い』感情なんだろうか。
「四五五〇円になります」
いつの間にか、マンションの前に到着していた。僕は財布からカードを取り出し、運転手に渡す。
タクシーから降りて、少女を背負い、マンションへ入る。外で部屋番と暗証番号を打ち込み、まずは中へ。それからエレベータで一八階まで昇り、一番奥の部屋まで歩き、ドアを解錠。ドアを開けて電気を付けて、リビングに入る。まずはエアコンのスイッチオン。これはもうテンプレートと化した動作だ。多分夢遊病になって帰ってきても、この動作をすることだろう。
二九型のテレビと、ガラステーブルを囲むL型に置かれたソファーのある六畳のリビング、そのフローリングのひんやりした感触を今日ばかりは実感せずに、すぐ隣のドアを開け、寝室へと入る。
照明を点けた後、少女をベッドに下ろし、寝かせる。ただ、流石に不安だったので、リビングの引き出しからビニールテープを取り出し、少女の手足を拘束した。手首はさらに枕元の格子に結びつけた。下着姿の少女の手足拘束という、なんだかとても犯罪じみた構図だったので、薄手の毛布だけ掛けることにした。下着や髪が濡れているのも気になったが、下着を脱がすわけにはいかないし、仕方なくバスタオルを持ってきて、枕の下に敷いた。
「さて……」
僕はここまでして、これからどうするかを、今更になって考えた。
このまま軍に渡してしまってはいけない、と思って保護するつもりだったのだが、仮にも彼女は僕の顔を見た瞬間に攻撃しようとしていたのだ。保護するには大人しくしてもらわなければならないが、その前提すら崩れそうな気がする。もしこのことが知られれば、彼女が連れて行かれるだけではない。匿った僕まで罰せられる。間違いなく。
冷静になってみると、実は僕人生を賭けた物凄い大変なことをしている気がしてきた。うん、間違いない。とんでもないことしたよ僕。
「この世の終わりみたいな顔だな」
「はえ?」
急に声をかけられたので、思わず変な声が出てしまった。
ベッドの上の少女は目を覚ましていた。無機的な、落ち着き払った視線を向けながらも、手足を動かしてみて、自分が拘束されているという事実に気づく。いくら動いても拘束は解けそうにないと判断したのか、少女はもぞもぞと動くのを止めた。
一息置いて、少女は言った。
「こういうプレイが好みか?」
「違うよ!」
自分でもびっくりするくらいの反応速度だったと思う。一八年の中で最速ツッコミ記録を更新してしまった。
そんなことに現を抜かしている場合じゃない。彼女には聞くことが山ほどあるのだから。
「いろいろと聞きたいことがある」
僕は至って真面目に聞いた。きっと僕の表情は威圧感のある、表情の読めない顔になっているに違いない。
「君の名前と所属は?」
第一に確かめる必要がある、少女の素性。この問いに、
「ナンパなら他を当たれ」
唇の端を僅かに吊り上げ、少女は言った。完全に舐められている。というか、遠回しに僕に威圧感なんてないと言われた気がする。発言というより、むしろ態度で。
こういった態度を取るのなら、僕にも考えがある。
バッ、と毛布を剥ぎ取る。白い照明に照らされた白い下着と、これもまた白い素肌が、隣のリビングのエアコンにより冷やされた空気(実は寝室のエアコンは一週間前に天寿を全うされた)に晒された。
初めて見たときも綺麗だと思ったが、改めて見ても感想は変わらない。
まず目に入るのが、コットン(だと思う)の下着に包まれた二つの丸みである。決して巨乳というわけではないのだが、仰向けの状態でも存在を誇示している。そこから視線を下げると、ウエストはキュッと締まっており、ヒップへ向かうとふくよかになっていく。そこから伸びている脚はすらりと細長く、腕にも同じような印象を受けた。というか何より、濡れて張りついた下着がかなりいやらしい。しかも腰まである長い髪は黒く美しいし、切れ長の眼と小さく結ばれた唇、鼻筋の通った顔は、まるでこの少女を創り上げるために特注されたのではないかと思ってしまうほど、バランスの取れたものだった。
僕はあんまりこういうことしたくはなかったが、仕方がない。少女の口を割るためには、一番短絡的ではあるが、有効な手段だと思う。
「なんだ、犯すのか?」
少女もこれから僕がしようとしていることを理解しているようだった。しかし、怯えるどころか身を捩りもしない。逆にこっちが照れてしまうほどだ。
「僕の質問に答えるなら、許してやる」
なんだか悪役になった気分だ。っていうか、完全に悪役だろう。
一応弁明しておくが、僕は始めから彼女を犯す気などない。ただ脅しをかけるだけの行為に過ぎない。
「性感帯なら教えてやらんぞ」
あくまで抵抗する気のようだった。それどころか、笑っている余裕があるらしい。っていうか、ボケで言い返すならせめてスリーサイズとか言ってほしかった。いきなり性感帯とか、びっくりするじゃないか。
「なら、仕方ない」
僕はゆっくりと少女の体に手を伸ばす。
しかし、全く怯える様子を見せてくれない。むしろ「さあ、触ってみろ」と言っているみたいに堂々としていて、全く感情が読めなかった。
僕は躊躇った。このまま手を進めていいのだろうか。いいわけがない。
でも、この少女は敵なのだ。だったら、明らかに彼女にとって敵である僕の尋問に答えなければどうなるかわからないと思うのは当然じゃないか。それがわかっていて逆らっているのなら、それは少女の自業自得だ。
しかし、どんなに言い聞かせても、僕は『強姦』なんて真似ができるわけがない。これまで女の子の手すら握ったことがないのに、今日になって突然びしょ濡れの女の子を背負ったのだ。勢いで動いていたために意識できなかったが、僕は彼女の太股を掴み、背中に豊かな胸の感触を感じていたはずだ。それだけで、そんなことを思い出すだけで心臓が高鳴っているというのに、本物の女の子を犯せるはずがない。もしこのまま彼女のブラジャーを外してショーツをズリ下ろせば……、ダメだ!考えただけで鼻血出そう!いや、むしろ下半身に血が…!
「どうした?」
いつまでも動こうとしない僕を見上げ、少女はまたしても唇の端を吊り上げた。
「やり方がわからないか、童貞ボウヤ?」
今の言葉にはムッときた。人は嘘を言われるよりも事実を突きつけられる方がダメージが大きいという。それを実感した。女の子に童貞って言われるの、思った以上にダメージ大だ。
僕はそんな少女からの口撃に抵抗するために、止めていた手を動かす。
彼女の胸の間、ブラジャーの真ん中を掴む。親指の腹や人差し指と小指が柔らかな感触を得る。その布を力の限り無理矢理に、上に引っ張り上げる。
「………………………………………………………………………………………………」
すいません、嘘です。できませんそんなこと。本当は指に当たる柔らかさを感じた瞬間に手を引っ込めました。
「ふっ」
笑われた。
進むも地獄、戻るも地獄。僕の行動はどこから間違ってましたか神様?
僕は結局、ベッドの脇に座り込んだ。
少女はその様子を横目で確認した後、別に何を言うわけでもない。ただ天井を静かに見上げるだけだった。
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