第35話 カンガルーとエトピリカ
二つに共通する特徴は「元々その個体の名前でなかった」ということにあります。
カンガルーという言葉は元々アボリジニの人たちの言葉では「私は知らない」と
なります。なぜそういう答えが個体名になったのかを考察してみると、そこには翻訳ミスというのが浮かびます。
オーストラリアに来た
アボリジニの言語に語彙が少ないことは4以上の数字が概念としてなかったことなどから類推される。だとしたら「あれは動物(もしくは生き物)である」という言葉が戻ってくる可能性が高い。
文字の残っていない言語ほど、固有名詞が少なくなり、普通名詞による代用が行われやすい。「大きい動物」「小さい動物」「空を飛ぶ動物」「水の中にいる動物」(生き物のほうが適切かもしれない)、そういう区分になりやすい。
これを質問者に返すとおそらく「そうじゃなくてアイツの名前(種類としての名前)を聞こうとする。当然質問は「What Is That Name ?」になるだろう。
訳すと「あいつの名前は何だ?」ということになる。
聞かれた方は困る。元々そういう区分で動物を分けているわけではない。そうなると、あいてが「あの動物の名前はなんだ?」という質問は、あの生き物には我々と同じように個々に名前があるのか?それを聞いているのか?という発想になる。
そう考えるとカンガルーの語源が「私は知らない」という言葉になる。価値観と翻訳のミスであろう。
同様に北海道にはエトピリカと呼ばれる鳥が生息しているが、これも元はアイヌの言葉で「先っぽにあるきれいなもの」とう意味である。
アイヌ語も単語の種類の多い言語ではない。この場合も「エト」と「ピリカと」いう単語の合成である。「エト」とは「先のとがったもの、何かの先端、何かとの境界」なんて意味の言葉であり、それは使われる状況において意味が違う。
同様に「ピリカ」も「きれいなもの全般に使われる単語」であり、そこには動物であろうが、植物であろうが違いは存在しない。
今回の場合も、おそらく木のてっぺんにいる鳥を見つけた人が「あれはなんだ?」と質問したのだろう。アボリジニの時と同様に固有名詞が少ないから「エト ピリカ」と答え「木のてっぺんにいるきれいなもの」と伝えたのだろう。
このような少数言語は、現在国際的にその発音をラテン語表記することによって、後世に残すという作業が行われており、日本のアイヌ語も国によって、語り部と呼ばれた人の言葉を聞き取り、それをどういう意味かを分類し、元々知らない人でも解るようにまとめられた資料が存在する。今回エトピリカについてもそれを参照して調べることによって、どういう意味かが分かった。
ちなみに「レブンカムイ」とはアイヌの言葉でシャチを神としたものであるが、意味は「遠くにいる神」となり、その遠くがどれだけの距離を表すのかが私にはわからない。
Thatと同じように「遠い」の定義がその時、状況によって違うからである。
その上、元々単語の少ない言語であるから、それを翻訳する場合のニュアンスも違う可能性がある。言葉を翻訳する場合は十分気をつけないと誤訳が発生する。
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