第8話 花まつりと復活祭《イースター》

 今日のBINGのページに「今日はイースター」とあったので、昨日書き忘れていたことと関連して書いてみます。

  

 昨日とは4月8日のことで、これは仏教において「花まつり」と呼ばれる日でです。平たく言うとお釈迦様しゃかさまの誕生日と言われている日です。最も仏教節話ぶっきょうせつわでは、色々な逸話がのちに加えられているよう(天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどく白象降下びゃくぞうこうかなど)なので、正直お釈迦様の誕生日はわからないが、4月8日になっています。

 同様にキリストの誕生日も12月25日とされているが、これも実は聖書にはどこにも書いてありません。出生の日がわかっていないというのが事実です。ではなぜ12月25日が生誕祭せいたんさいとなったのかというと、キリスト教が同じ宗門としているものにスラブ正教せいきょう(旧ロシア正教会)というものがあります。

 これは元々スラブ人が信仰していた宗教が、あまりにもキリスト教(カソリック)に類似していたため、元々は小アジアのイスラエル、シリア周辺にあった幾つが部族が四方八方に移動しその1つではないかとキリスト教は考えづけたようです。

 俗にいう「失われた氏族(10とも12ともいわれています)」のことなのですが、このスラブ正教に冬至とうじのお祭りがありました。キリスト教が世界各地に布教ふきょうする時の方法にその地域の土着の信仰に上書きをする形で布教するというものがありました。

 日本に宣教師せんきょうしが来たとき神のことを「でうす」と言ったこともの、日本に以前伝わっていたギリシア神話の大神たいしんゼウスであれば、受け入れられるだろうという、考えがあったようです。

 しかし日本は一神教いっしんきょうではなく、精霊信仰せいれいしんこうから発生したアミニズム(八百万やおよろずの神々)や仏教、その他にも、様々な信仰を持った人たちがいたため、この「でうす信仰」も、『また一人仏様が増えた』くらいのものだったようです。多神教たしんきょうに飲み込まれてしまったのが、大航海時代だいこうかいじだいの日本でのキリスト教だったと言えます。


 話を戻しますが、宣教師が海路日本に来るまでの間に「仏教」とその開祖かいそ仏陀ブッダの誕生日とされる日に目を付けないわけがありません。それに合わせた祝日を作ることで布教がやりやすくなるからです。

 しかしインドでは大航海時代にはもう仏教は廃れ、ヒンドゥー教や、バラモン教、ヴェーダ教などが中心となっていました。そして、復活祭は大航海時代よりもっと前からあったはずです。

 そうでなければ、キリストの復活といった重要な教えの日付をわざわざこの時期にすることはありません。ちなみに復活祭は春分の後の最初の満月の次の日曜日です。毎年同じ日にならないこと、満月の後の日曜であることから、「陰暦いんれき」が絡んでいるのは間違いでしょう。

 そうなると世界して陰暦を使い始めた文明で中東に存在したものの影響を大きく受けているかもしれません。

  

 さてその文明は何なのかは、大きくくくるなら「チグリスーユーフラテス文明」なのでしょうが、正確にはあの一帯には多くの文明、宗教の痕跡があり、1つには絞り切れません。ここから先は古代史の話になるので、今回はこのあたりで。


 

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