赤い鼻をしているのはいつだって彼のほうなんだ

硝水

第1話

 サンタさんってどうやら世襲制らしい、というのを知ったのは歳の離れた妹が生まれた頃でした。いい子にしていればサンタさんが来てくれるよ、というのは嘘です。それだけは知っています。だって私は悪い子なのに、赤い服を着たサンタさんが夜中、部屋に忍び込んでプレゼントを置いていってくれるんだもの。サンタさんって本当にいい子と、そうでない子の見分けもつかないんだ、と幼心に絶望を抱き、誰も私のことなんてわかってない、と泣きじゃくりながらジンジャーブレッドを横取りしたこともあります。でも来るんです。そうしていい子が欲しがりそうなプレゼントを置いていくのです。

 妹とは十ほども離れていたので、サンタさんが私の存在を忘れるのと入れ替わりに、妹のところへ来るようになりました。無論、私がトナカイなのです。だって普通に考えて、不法侵入・無銭飲食・不法投棄に近しいことですし、近親者でもなければ通報ものでしょう。嗚呼、あの夜飲んだホットミルク(蜂蜜が入っていて、あとでもう一度歯を磨く必要がありました)の味!

 あまり夢を壊すようなお話はやめておきましょうか。でも十五の夜に私の元へやって来た黒いサンタのお話だけはさせてください。彼は黒井讃他(今は姓が変わって赤井になったそうです)といって、深夜うちの塀をよじ登って軒先に飛び移り、二階にある私の部屋の窓を叩いて起こしてくるような人でしたが、当時の私は彼のことを運命か何かだと信じて疑わなかったのです。


◆◇◆


「ヒナタ、起きろ」

 コンコン、と冷たい窓ガラスを叩く音で目を覚ますと、そこには決まって彼がいた。窓から登場するのなんて彼の他にはいないからである(私の名前はヒナタではなくヒナハなのですが、何度も間違えられるので訂正するのも諦めました。元カノかなんかの名前だったのでしょう)。

「黒井くん」

 下の名前で呼ばれるのを嫌がる彼は、誰にでも黒井くんと呼ばせる。クラスメイトみたいな距離感だ。

「なぁ、チラシの家見に行こうぜ」

 毎年クリスマスシーズンになると気合いを入れた飾り付けをする家が近所にあって、モデルとしてホームセンターのチラシにも載っているのだ。

「寒いから行かない」

「おいおい、これからもっと寒くなるんだぞ。今日が一番あったかいんだからな」

「じゃあ眠いから行かない」

「外に出れば目も覚めるよ」

 既に彼と話すために窓を少し開けているせいで部屋は冷え切ってしまっているし、目が覚めるのを通り越して冬眠したくなってきてるのだ、と視線で訴えるものの気づいてもらえない。彼はガラガラと窓を開け放して、土足もかまわず部屋に上がり込んできた。

「靴、靴」

「雪の上歩いてきたから綺麗だよ」

「雪の上歩いてきたなら濡れるでしょ、床」

「あとで拭いとくって、お前が」

「……黒井くんさぁ」

 彼は今更のように靴を脱いで窓際に寄せる。私がくるまっていた布団を力づくで引っぺがして、自分がころころの物体になってしまった。

「ちょっと、寒いんだけど」

「俺だって寒いし。せっかく誘いに来たのに行かねえっていうから」

 彼は趣味の悪いペラペラのセーターの上にしっかりダウンを羽織っているので確実に私より暖かいはずなのだが。とりあえず窓を閉める。

「誘うなら昼間にしてよ。いきなり言われたって困るもん」

「昼間は電飾点いてねーじゃん」

「夜の約束を昼間に取り付けてって言ってるの」

「そんなん、気が変わるかもだし」

 他人に溜息吐かせるのが上手選手権、堂々一位。

「黒井くんって友達いる?」

 今はクラスが違うので学校での様子はよく知らないが、以前からあまり賑やかに過ごしているイメージがない。

「シツレーだな、お前」

「失礼ってことはいないのね」

「いいいいいるわぼけ」

「名前言ってみなよ」

「……殿飼緋名羽」

 以降一向に続かない(殿飼緋名羽というのは、もちろん私の名前です。このとき初めて、ちゃんと呼んでもらえた気がします)。

「なによ、私だけ?」

「悪いか」

「べつに」

 彼は不貞腐れたように頭まですっぽりと布団をかぶっていよいよダンゴムシみたいになってしまった。

「黒井くん」

「なんだよ」

「飾り付け見に行こっか」

 布団を引っぺがし、無防備な首にピンク色のマフラーをぐるぐる巻きつけて、彼の手を取る。私達はモコモコ靴下のまま、窓の外へ飛んだ。


◆◇◆


 赤いサンタから結婚式の招待状が届いたのは、年末年始の混雑を避けて少し早めに帰省していた、師走の初めの頃でした。実家でくつろぐための服しか持ってきていなかった私は狙ったように口座もすっからかんで、レンタルの手続きも間に合いそうになく、実家暮らしの妹とはサイズが違いすぎて、結局不参加に丸をつけたのでした。

「あんた、黒井くんから電話」

 やっぱりお餅はうまい。実は年中売っているのに、なぜか冬にしか食べた記憶がない。

「何だって?」

「黒井くんから電話」

「黒井くんって……黒井くん?」

「だからそう言ってるじゃないの」

 慌てて餅を飲み込んで(みなさん餅はくれぐれも慌てて飲み込んではいけませんよ)、ぐるぐるのコードでぶら下がっている受話器に飛びつく。

「はい、あの、ヒナハだけど」

「お前なんで来ねーんだよ」

 主語がなさすぎるが、おそらく彼の結婚式の話だろう。久しぶりに聞いた声は、変わったような変わってないような、とにかく少しだけ哀愁を誘った。

「ドレス持ってないし」

「そんな理由かよ」

「そんな理由って……あんた、自分の友人席にみすぼらしいカッコの女がぽつねんと座っててもいいわけ」

「ううううううるさいな俺はもうお前以外にも友達いますー」

「ほう、名を訊こうか」

「……」

 鼻を啜る音が聞こえる。

「はいはい。とにかく私は行けないし、お相手さんにも悪いからさ。よろしく言っといて」

「何だよ、今からお前ん家行くから歯磨いて待ってろよ」

「来んなよ。あとそこは首洗ってだろ」

「クラクション鳴らすから出てこいよ」

 ぶつ。向こうは携帯からかけていたらしい。何でこんな奴が結婚できるんだ。お相手さんの詳細が気になりすぎる(彼とは高校から別だったので、それ以降の関係だと思います)。

 ぶつくさ言いながらもちもち餅を食べていると、ファンファーレのような酷いクラクションが聞こえた。クラクションだよな、たぶん。玄関のガラス戸から覗くと彼はそれに気づいてぶんぶん手を振り、駆け寄ってインターホンを押さんばかりだったので先手を打って外に出た。

「来んなって」

「歯は磨いたか」

「ンな暇なかったっつの」

 寒いからと促されて彼の車に乗りこんだ。車内は私の知らない歌がかかっていて、なんかめっちゃ光ってるし、ボンボンいってる。

「黒井くんさぁ」

「なんだよ」

「それまだ使ってんの?」

 薄汚れたピンクのマフラーを指さして言う。

「あげたものいつまでも大事に使われてて嬉しくないのかよ」

「あ・げ・て・な・い・し」

 手をあげると彼は途端に捨て犬のような表情をした。意地でも拾ってやらねえからな。

「じゃあじゃあじゃあ交換交換、俺もクリスマスプレゼントやる」

 足元に置いた鞄から何か小さな袋を取り出した彼は、手のひらで隠したままそれを私に握らせる。手を開くと、指輪の飴が乗っかっていて思わずそのまま突き返した。

「おいヒナタ」

「いや歯磨きしろって言ったのは黒井くんじゃん」

「今食えとはひとことも、」

「とにかく!」

 受け取ろうとしない手を押し除けて彼の鞄に飴を放る。

「赤いサンタからはプレゼント貰わないの」

 だって私、悪い子だし。彼の首からマフラーを剥ぎ取り、世界で一番乱暴にドアを閉める。あーあ、首絞めて殺しちゃえばよかった。


◆◇◆


 黒井くんが今どうしてるかって、そんなの私が知るわけないじゃないですか。赤井くんになってから会ったのはあの夜が最後です。ピンクのマフラー? ああこれは、当時のものとは違いますよ。貰い物です。誰からって、サンタですよ、サンタ。

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赤い鼻をしているのはいつだって彼のほうなんだ 硝水 @yata3desu

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