第268話 シャフト・アンド・ボール


 超瞬間的な暴力の嵐が吹き荒れた後、砂漠の塩田はいつもの平和を取り戻した。


「お客人にはあまり面白いものではないかもしれませんが……」


 労働者たちが街へ戻る時間までいくらか時間がある。

 そのため、ロバートたちは邪魔にならない程度に彼らの作業を見せてもらうことにした。


 名もない賊の死体は、街の兵士が確認するまで埋めておくそうだ。

 身許の確認後、懸賞金ではなく行政への協力として報奨金が支払われるという。


 それはさておき。


「いや、勉強になります。皆さん、テキパキと動かれてますね。すごいことです」


 腕を組んだ将斗が感嘆の声を上げた。


「ははは。日が沈む前に、やれるところまでやっておかないといけませんからね。自然との戦いでもあります」


 アサドが向ける視線の先には、水分が飛んだ塩を手際よく桶に集める男たちの姿があった。


 塩田では汐の満ち引きで溜池に海水を引き込み、それを揚水水車でくみ上げ、砂漠――乾燥地帯特有の天日干しで蒸発させて塩をとる仕組みだ。

 その作業で得られた塩を、今度は少しだけ海水にさらして苦汁を出してから、再度乾燥させて袋に詰めて街へ運ばれる。


 地球人からするとそこそこ昔のやり方だが、使われてるからには生産性がかなり高いらしい。


「ところで、どのくらい塩が取れるのですか?」


「そうですね、完成したもので言うと――」


 一日で作れる塩の量を聞くと、最大で麻袋で2000パウンだと言う。


「パウン……」


 まったく単位がわからない。

 代わりになりそうなものとして500mlのペットボトルをアサドに持たせてみると、またしても未知の素材に驚きつつ「だいたい1パウンです」と言った。


「なるほど、結構な量ですね」


 つまり日産で1000kg近い塩を作っているわけだ。

 毎日何十トン以上もの海水をくみ上げて蒸発させていることになる。

 水車があっても気が遠くなりそうな量だが、その分利益も生まれるのだろう。


「このあたりは不思議と天候の条件がいいので、同じ砂漠でも良い塩が取れるんですよ。ハファンディ商会の塩としてそこそこ名が知られております」


 表情に出ていたかアサドが控えめに微笑んだ。


 名前があるならブランドに近いのだろうか。

 たとえば、生活排水が海に流れこむ場所からは離れているからなど……。


 いずれにせよ、付加価値のある商品として差別化されているなら、文明はそれなりに発展してることになる。


「さぁ、もうひと通り回りましょうか。別作業の仕事場も案内しましょう」


「それは楽しみです」


 屈託なく笑う将斗に、いつの間にか働く男たちも周りで笑っていた。


 戦い――瞬く間に賊を殲滅したことには驚かれたようだが、会話の中で見せた職人に対する敬意がそれを解きほぐしたのだった。





 しばらくして、夕方が近づいてくると男たちは台車に荷物を積み、それぞれに帰り支度を始めた。


「早いですね」


「街までは距離があります。夜になると門が閉まってしまいますからね」


 砂漠とはいえ人の集まった街があるのだ。堅牢な城壁なくして平和は保てない。


「道理ですな」


 しみじみとロバートが頷く。将斗へのフォローだ。


「では、あちらへ」


 箱型の荷台が取り付けられた簡易な作りの台車は馬一頭で引くようだが、それにしてはずいぶんと大きい。


「さぁ、乗ってください」


「アサド殿、失礼だがこんなに乗れるのか? 場所さえ分かれば我々は歩いても……」


「はて? 魔導馬車をご存知ないのですか?」


 客人を歩かせないのは当然として、その必要もないと言わんばかりの態度だった。


「魔導馬車?」


 まるで知らない単語であった。ロバートたちはそれぞれの角度で首を傾げる。


「車軸のところに魔石を取り付けることで、車体を強化し、他にも車輪の動きを滑らかにして快適に進みます。無論、御者に魔法適性は必要ですが」


 無論も何もさっぱりわからない。

 世界すら越えて活躍する百戦錬磨の特殊部隊でも、魔法が絡んだら知識はほとんど役に立たない。


 将斗のサブカル知識がもしかしたら……というところだが、視線を向けた彼はそっと首を横に振った。

 多岐に渡るファンタジー世界の細かい技術すべてに精通しているわけではないのだ。


「木製だけど軸受ベアリングを使ってますね。単に魔法だけじゃなさそうだ」


 かがみ込んだエルンストが小声で言った。


 よく見れば車軸と車体を繋ぐ場所に取り付けられている部品がある。たしかにベアリングに似ている。


「馬車の造りからすると、ここだけかなり技術が浮いてますね」


 ジェームズが苦笑する。


 その他はお世辞にも丁寧な造りではなく、地球での第二時世界大戦時のトラックの荷台にも遠く及ばない。

 だが、ベアリングが存在することは大きな驚きだ。


「うーん、これはちょっと不自然かも」


 将斗が唸った。


 21世紀の地球でも、ベアリングは工業において極めて重要なものだった。

 一見なんてことはない地味な部品のようで、精度の高いものが作れない国は大きなハンデを負うのだ。

 何しろ精度の高い部品を作ろうと思えば、加工する工作機械などのベアリング精度が大きく影響する。


 とある戦争でも、仕掛けた側が禁輸を喰らって兵器製造において大打撃を受けたという話もあったほどだ。


「ここは異世界だぞ? 製造を魔法でカバーしているんじゃないのか?」


 エルンストが頭の後ろで手を組んだ。

 投げやりだが、それでいて的を射た発言だった。


「それならあり得ますが、やっぱり発想が浮いているというか……」


 こちらのは耐久性の低い木製だが、地球ではボールベアリングが出て来るのは17世紀半ばまで待たねばならなかったのだ。

 にわかには受け入れがたい。


「もしくは、原理だけを“誰か”が伝えたか。発想さえあれば作れたりするものだろう?」


 ロバートの言葉に一同ははっとなる。

 勇者召喚だけでなく、異世界人が来ている可能性を示唆するものはいくつかあったはずだ。

 それこそ、自分たちがヴェストファーレンに伝えた銃などもそうだ。


「ロバート殿、そろそろ出発しますよ」


 こそこそ話しているロバートたちにアサドの声がかかった。

 彼は特に不審がる様子もなく、異郷の者たちが珍しそうにしているのを微笑ましく見ていた。


「ええ、すぐに」


 ひとまず彼について行くしかない。情報を得るのは追々でいい。調べなければいけないことはたくさんあるのだ。

 そう思うことにした。

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