第269話 オアシス都市イスファハーン


「街まで5リグほどですので、しばらく何もないところを揺られますがご容赦を」


 それからおよそ1時間――厳密に言えば45分ほどでイスファハーンの街に着いた。


 ファンタジーベアリング装備馬車は人が歩くよりいくぶんか速い程度だから、出ていておそらく時速6キロほどだろう。

 つまり、1リグは0.9キロくらいだ。


 ――うーん、ヤード・ポンド法と似てたら面倒だな……。


「さぁ、着きました。どうですかな、異国のお方々」


 将斗の単位に関する密かな懸念は、アサドの言葉で中断され、思考の海に沈んでいた彼の意識が目の前に広がる街へと向けられる。


「これは……」


 思わず感嘆の溜め息が漏れた。


 目の前に広がっているのはオアシス都市――この地域の中心と呼ぶに相応しい規模のものだった。


「いや、すごい……聞きしに勝るとはこのことですね……」


 処世術に長けたジェームズが驚きつつも小さく唸った。


「そうでしょうそうでしょう」


 アサドは満足気だ。


 馬車に揺られながら話を聞いたところ、ロバートたちが降り立ったのは北部に突き出た半島らしい。

 そして、その根元――内湾部に位置していて周辺の村々での漁業と製塩、あるいは放牧を行いつつ、街自身は交易により栄えている複合都市がイスファハーンだという。

 

 だが、現物はロバートたちの予想のはるか上を行っていた。


「世辞を抜きしても見事なものだ」


 馬車に乗ったまま城壁の南門をくぐりながら、ロバートも溜め息を漏らしていた。


 オアシス都市というだけあって城壁は壮大だった。 

 円形に巡らされた城壁も高さ15mほど、防御塔を各所に備えた基部の厚みも10mを越え、難攻不落ぶりに拍車をかけている。

 また、街の周りには城壁のみならず結構な深さの堀が作られており、侵入者はおろか軍の侵攻を阻んでいた。


「これはさぞや手間がかかっただろうな」


 男として、こういうわかりやすい建築物には心を動かされる。

 一体どれほどの労力がここに投入されたのか。人間が重ねてきた歴史の力とも言えるだろう。


「アサドさん、この堀も城壁も作るのは並大抵のことじゃなかったでしょう?」


 そう訊ねた将斗に対して、アサドは申し訳なさそうに「いえ、これも魔法を……」と言った。


「「「…………」」」


 話は弾まず――いや、完全に滑った形となった。


 ファンタジー世界の感動を返して欲しいとは言わなかった。みんな大人なのだ。

 どうやら北大陸よりも魔法によって進んだ文明形態になっているらしい。


「バンカーバス――」

「お前は黙ってろ」


 エルンストが口にしかけた現代兵器相手には意味をなさないことは別として、目に見える形での安心感は非常に大きい。


「すごい活気だね」

「オアシス都市だからな」

「オアシスって?」

「それはだな――」


 スコットとマリナの会話を背景音楽にして、一行が乗るファンタジー馬車は、商業区に繋がる大通りをゆっくりと走っていく。


 道がまっすぐ整備されている。過去に大きな戦いに巻き込まれていないからだろうか。とはいえ、走りにくいよりはいい。

 周りを見れば同じようにファンタジー馬車沢や、この国の特徴らしい布を多く使った、ヒラヒラの衣装を着た人々が行き交っている。


「こちらが私の家です」


「いや、これもまた結構な……」


 将斗がまた溜め息を漏らした。

 ニンジャだのサムライだの言われる彼だが根は庶民である。


 しかし、彼の感覚が貧相なわけではない。

 家とアサドは言ったが、それはかなり控えめな物言いだった。

 より中心部に建つ宮殿のような豪邸とはいかずとも、間違いなくお屋敷と呼べる高級住宅だ。

 これは魔法で作ったかどうかの問題ではないだろう。


「まぁ、まずは旅の汚れを払っていただいて」


 褒められて満更でもない様子のアサドだったが、自分の資産だからか反応は控えめだった。


 井戸水をもらって旅の埃を落とすと、家族の紹介と歓待の宴をしたいと申し出があった。

 当然、この流れで断るのは失礼なのでロバートは受けた。

 武器類はナイフを除いて部屋に置き、軽く着替えてから向かう。


「ささ、こちらに」


 大理石の敷かれた広い居間に通され車座に座る。


「まずはあらためてお礼を。皆さんに出会えたのは偶然でしたが、本当に助かりました……」


「いえいえ、私たちの国には『困った時にはお互い様』という言葉もありますので。しかし、こうした立派なお屋敷に住まわれてるとなると、塩田まで足を運ぶ身代とは思えませんが」


「ああ、それは――」


 アサドは普段このイスファハーンで暮らしており、製塩へ行くのは年に数回ほどとのことだ。

 数少ない場面に出逢えたのは、まさにラッキーだったと言える。


 おそらく、互いにとって――


「やはり、商人として手広くやられているのですか?」


「ええ。馬車でも話しましたが元々は塩商人から始めておりまして。あそこはその場所です」


 機嫌がいいアサドは今度は謙遜はせず語り始めた。


 その中で聞いた話だが、塩田にはたまに現場に足を運ぶことで、自分の原点に立ち返るらしい。

 貧しかった頃の初心を忘れないため、あの塩田に立つのだ。


「よろしければ、私だけでなく家族も紹介させていただきたい」


「それはもうよろこんで」


 場が温まってきたところで、家主が歓待の席に座る家族を紹介していく。

 アサドの妻アファーリン、次男アーザン、次男の妻フィドーリン、護衛のウスランが出席していた。


 これだけの屋敷があるのだから、当然アサドの家族も今はイスファハーンに住んでいる。あの塩田には息子が管理のために詰めているようだ。

 屋敷に戻るまで紹介しなかった二男は、寡黙だが実直そうな青年だった。

 塩田の後継者とはいえ他の職人に余計なやっかみを買わないようにしているのかもしれない。


 アサドたちの紹介が終わってから今度はロバートが仲間たちを紹介した。


「では、そろそろ宴といきましょう」


 ひととおり名乗り終わったところで、使用人が食べ物を盛った陶器の皿を次々に持ってくる。


 羊肉のスープ。インドのナンのようなパン。麦のミルク粥。豆と鳩のトマト煮。白身魚と貝を白ワインで軽く煮たもの。ナツメヤシの実。メインに置かれたのは香草で焼かれた巨大な羊肉の塊だった。


 各自が床の上の薄い座布団に座り、その前の絨毯に皿を広げていくスタイルである。


「懐かしいって言うと変な感じだが……」

「いや、俺もそう思った」


 地球時代、中東に駐留した経験のあるロバートとスコットが小声で笑い合った。


「では食べましょう」


 そうして全員に皿が行き渡るとアサドが代表して祈りの言葉を口にした。


『我らをお守りいただく唯一の神よ。我らがいただく糧と酒は神よりの供物。我が血、我が肉となるすべては神よりおわけいただきました恵み。その前にこうべを垂れ、深く深く感謝いたします』


 頭を下げる。

 祈りの言葉は、普段彼らが使っているものとは異なる響きがした。

 やはり意味が勝手にわかってしまうのは不思議で、そしてどこか落ち着かない。

 

 ロバートと将斗が目を合わせて小さく頷く。「あまり細かいことには触れない方がいい」との判断だ。


 宗教的な儀式とも言える場で使う言葉なら、地球で言うラテン語に相当する可能性があった。


 それを指摘すればどうなるか。余所者なのにこの地の古語を知っている。違和感しかないだろう。


 ――異国人が普通に会話してる時点でどうかと思うけどな……。


 サブカル脳の将斗の思いは誰にも気付かれないまま消えていった。


 祈りが終わると、アサドがまず大きな羊の塊をナイフで切り分けていく。


 何となくそんな気配はしていたが、家長制度が強いらしい。

 稼いできたもの――つまり、「分け前を家長が分配する」ということだ。


「まずはお客人の分から……」


 ロバートたち客人の分(やたら多いが)、それから妻、男子を先に子供たちへ、最後に護衛の順で皿が渡されていった。

 ここにも守るべき序列があるらしいが、さもありなん。砂漠で生きていくための経験が生み出したものだ。


 とは言っても、切りわけたのは山羊だけだった。全部やっていたら冷めてしまう。


「あとはお好きなものを」


「そうですな」


 杯を打ち鳴らすことはしないらしく、それぞれに軽く掲げて宴は始まった。


 新大陸に来て、いきなり裕福と思われる人物と出逢えた幸運にロバートたちは本心から感謝していた。


「いや、美味いものですな。慣れない味ではありますが食が進みます」


 ロバートが言い、それを証明するようにスコットとエルンストとマリナがバクバク食べている。


「お口に合いましたか、それはよかった」


「見ず知らずの私たちにここまでしていただけたことには感謝するばかりです」


 思った以上の歓待に恐縮するロバートたちに対して、アサドは「元々は遊牧民の国であったから、旅人をもてなすのは習慣なのです」とにこやかに告げた。


 当然、「異国の客人の知識が何らかの商売に繋がるのでは」との打算もあるだろうが、それはロバートたちとて同じだ。


 いつの世も人間関係における重要な要素は“コネ”なのかもしれない。




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