第265話 アサド・ハファンディ


 小屋とは言ったが、近付いてみると思った以上に大きなものだった。


 数十人の男たちが働いているのもあって、煮炊きのできる竈も奥にあり、仮眠スペースと思われる板の間もある。

 ただ、布団といった上等なものは見られない。労働者がゴロ寝する程度なので粗雑な毛布があるだけだ。


「話せば長くなるのですが――」


 出してくれた素焼きの椀の水を飲みながら、ロバートたちはなんとか話をでっち上げた。


 クリスティーナの故郷で大きな騒乱があり、そこから逃れるべく南大陸に逃れたきたこと。

 自分たちはかねてから付き合いのあった専属の傭兵のようなものだと。

 それでどうにかこうにか用意した船に乗ってやって来たこと。

 荷物を運び出したところで船は沈んでしまい、人と会うためになけなしの物資を使って身綺麗にしてこの地に辿り着いたことなどなど……。


 要約するとそんな話である。


 将斗自身喋っていてちょっと無理があると思ったが、まさか遠い向こうの大陸のことまで確認のしようがない。

 とはいえ、それぞれの顔立ちがこの地の者とは異なっているのだから、それなりの信憑性は確保できている、そんな雰囲気だった。


「ほう……、それはそれは大変でしたなぁ」


 溜め息と共に親方から同情の気配が漏れた。

 おおむね信じてくれたらしい。


 その素直な反応が将斗としては少しばかり心苦しい。


「して、何人か女性がおられるが……、そちらも傭兵になるのですか?」


 ただ、現地組女性陣のことが気になったようだ。

 たしかに彼女たちは簡易ではあるがそれぞれに軽装の鎧、あるいは革鎧を着ている。

 そこが気になったのだろう。


「冒険者上がりですがね。ただ、身を守る術は十分に持っております」


「ふむ……? ご従者のようなもの、ですかな?」


 冒険者という言葉が通じなかった。将斗はその反応を見逃さない。


「まぁ、そのようなものだと思っていただければ」


「わかりました。……いずれにしてもです。あなた方と話した限り、誰もそれなりの御身分のある方のようにお見受けしますが」


 ここで親方は最後の警戒を解いた。


 もっとも、そうは言ってくれたが、残念ながらクリスティーナとリューディア、ジェームズ以外は出身世界の差こそあれ平民のくくりである。


 さらに言えば、ロバートたち地球組にしても同業者が揃って“国っぽいこと”をしているだけで元軍人の無職とも言えるレベルなのだが……。いや、そこには触れまい。悲しくなる。


「身分などと……」


 将斗は曖昧に微笑んでおく。


 親方の勝手な勘違いだが、変に侮られるよりはずっとマシだ。

 そう思って多少の罪悪感は覚えつつも訂正しないことにした。


 立派なジャパニーズ・サラリマン・スキルである。

 時にはこういう打算――もとい計算も必要なのだ。そういうことにしておく。


「過去には諸々ありましたが、今は一介の護衛でしかありません。……ああ、申し遅れました、私はマサト・キリシマと申します。こちらは同じ護衛で隊長の――」


 そこからロバートをはじめとして順番に自己紹介タイムとなった。

 最初に姓を名乗ったからか、より親方からの視線が和らいだ気がした。


「私はアサド・ハファンディーと申します。この塩田の責任者にして、北へしばらく行った場所にあるムスタファーンに店を構える商人です」


 最後に親方――アサドが名乗った。

 言葉や仕草からただの責任者ではないと思っていたが、案の定社会的な身分を持っているらしい。


「なんと、商人殿でいらっしゃいましたか」


 ロバートが驚いた体で話に入って来た。ここからは彼が引き継ぐつもりらしい。

 将斗は首肯して一歩分椅子を引いて後ろに下がる。


「ええ、そう大きな商会ではありませんが……。ただ、この地に来て間もない皆様のお役に立てることもあるかもしれません」


 どんなに小さなことでも商機を見逃さない。そんなたくましさが垣間見えた。

 こういうバイタリティのある人間はロバートとして好感が持てる。


「では、早速……。お会いしたばかりで申し訳ないのですが、よろしければアサドさん、街で一泊できる宿をご紹介いただけますでしょうか?」


 さすがに野宿やここに泊めてくれと言うつもりはない。文明人なのだ。


「もちろんでございます、ロバート殿。おそらく今後の身の振り方なども考えられるでしょうから、我が商会が懇意にしている宿を紹介させていただきます」


 アサドの反応にロバートは苦笑を堪えた。


 間違いなくこれは打算込みだ。

 ロバートたちの素性は追々探っていくとしても、荒事を潜り抜けて来た人材で教養を感じされるとなればレアな人材だ。

 まずは同業者に先んじて唾をつけておきたい。ダメな時はまた考えればいい。そんな思惑があるのだろう。


「夕方には街に帰りますので、申し訳ないがその時まで塩田を見るなりして時間を潰してください。よろしければ案内もいたしましょう」


「ありがとうございます。これほど大きな塩田には興味があります」


 ということで夕方まで塩田を見て過ごすことに――ならなかった。

 和やかな空気を吹き飛ばすように若い者が駆け込んで来たからだ。


「親方、大変です! 賊が!」


「なんだと!」


 アサドが椅子を倒して立ち上がった。


 南大陸に着いて早々、荒事の気配である。


 この時、地球組の目が妖しく輝いたことに、幸いなのかはさておき誰も気が付かなかった。

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