第262話 Dive to Abyss


『リューディア、ゴーグルを下ろしてくれ。目をやられるぞ』


 すでに目を覆っていた将斗は、リューディアにもそうするよう言葉と手振りで促す。


『わ、わかった……』


『どうだ、キツくないか? 耳も平気か? 調整するぞ』


 エルフの長い耳などヘルメットとひどく相性が悪いはずだ。


 ――ん?


 相棒の装備などを確認しているうちに将斗は気付いた。いつの間にか落ち着きを取り戻していることに。


 自分より不安がっている相手を見ていたら、妙な感情などどこかへいってしまった。

 きっと、久しぶりの降下――それもロバートやスコットのような歴戦の兵士と一緒にいるから必要以上に神経質になっていただけなのだ。


『ああ、大丈夫だ……』


 一方、ゴーグルを下ろしたリューディアは所在なさげに酸素供給用のホースへと軽く手を触れた。


 喉の奥へと吹き込んでくる生温かい空気の流れを指先に感じる。

 細かい仕組みはわからないが、動いているなら問題はないのだろう。そう思うしかない。


 それよりも間近にいる将斗の顔が近くて落ち着かない。


『ほら、どうした? タンデムにするぞ。……そうだ。あとは任せてくれ』


 将斗は自分とリューディアの身体を器具で繋ぐ。


 ――しかし、任務とはいえ、こんなとこを翼姉に見られたら何て言われるかわからないな……。


 不安がっているリューディアを慮ると笑ったりはできないが、いつの間にかそんなことを考える余裕まで出てきた。


『――降下二十秒前!……十、九、八、七!』


『…………ッ!』


 カウントダウンを聞きつつ、目の前に広がる夜の闇を前にしたリューディアは思わず息を呑んだ。

 意識はしていたものの、実際に外を見ればどうだ。奈落の底へ落ちて行くとしか思えない光景を前に少女の身体が震え出す。


「なるべく身体の力を抜いてくれ。ほら、周りも同じだ、大丈夫」


 将斗が後ろから肩を叩いてきた。少しだけ震えがおさまった。


『五、四、三、二、一 ――降下! 降下! 降下ッ!!』


 赤から緑へと変わるランプと耳障りなブザーの音、それらが合図となった。

 悲鳴だったりを上げながらロバートとスコット、それにエルンストが飛び出ていく。


「行くぞ……!」


「えっ、ちょっ――」


 将斗は返事を聞かず、ふたりひとつとなったまま仲間たちを追うように虚空へ向けて飛び出していく。


 一歩を踏み出す――のではなく、蹴りつける形で両手両脚を広げた瞬間、絶叫マシーンですら味わえない降下速度の環境下に置かれる。


「――――」


 あまりの衝撃にリューディアは言葉も出ない。

 風の吹きすさぶ高空に身体ひとつで容赦なく身を投げ出されたと意識した途端、長年生きてきたエルフの少女の心にかつてない恐怖が湧き上がってくる。


『や、矢除けの加護をしないと――!』


『黙ってろ、舌を噛むぞ! それを試すのはまた今度だ!』


 恐怖のあまり魔法を唱えようとしたリューディアを将斗は軽く叩いて黙らせる。

 押し寄せる気流を矢に見立てたのはいい着眼点かもしれないが、実戦時にやるものではない。


 ――昔は自分もこうだったかな。


 空挺降下の訓練を始めた頃は命を縮める思いで毎回飛んでいたが、経験を積み重ねていくにつれて技術として蓄積され、恐怖心が半分、また半分と減っていった。


 いざ飛んでみればなんてことはない。

 先ほどまで感じていた「生物がここに在ってはならない」という違和感など吹き飛ばし、さも当然だと思えてくる。


 まるで背中に不可視の翼が生えたようだ。

 それで気流を拾い、身体を望む場所へ向けていきさえすればいい。簡単だ。


「――――」


 とはいえ無秩序に振る舞っては降下速度が速くなってしまうため姿勢を変えてブレーキをかける。

 周囲を見回せば、仲間たちが将斗の周囲で速度を合わせてくれていた。


『落下速度を維持しろ』


『『『『了解』』』』


 集合してから、ロバートのハンドサインに従って雲海に突っ込んでいく。


『――――!』


 リューディアがまたバタつく。雲にぶつかると思ったのだろう。


『大丈夫だ』


 落ち着かせてしばらくして雲の層を抜けると、今度はどこまでも続く大地が広がっていた。

 地上に向けてダイブを続ける将斗たちを他所に、未だ夜の闇に包まれ眠りの中にある。


『各員、高度千を切ったぞ!』


 ロバートが注意を促す。

 

 重力の引っ張られて降下していく間にも、高度計はグングンと回転しながら数字を下げていく。

 身体に当たる風の音以外の音が聞こえない、妙な静寂だけが支配する世界だ。


『――高度三百! ドローグシュート用意……! 五、四、三、二、一――開け!』


 カウントダウン……周りとの間隔が十分であることを確認し、落下速度を下げるためのドローグシュートを先に開く。

 速度が弱まった。ふたり分の肉体と装備の重さがあるため、段階を踏まねばならないのだ。


『減速確認! 次がメインだ! 命ふたり分だぞ、気を抜かずにいけ――』


 ロバートの指示に従い、将斗は主傘と繋がるコードを引いた。


 一気に広がった落下傘が空気を捉え、長方形の形に開いた落下傘は将斗とリューディアの身体を先ほどよりもずっと強く引き上げる。

 パラシュートと身体を結び付けた帯が全身に食い込む。将斗は衝撃を感じながらも落下傘操作用のハンドルを引いた。


 気流を拾って安定した姿勢になるよう、横滑りさせていく。周囲を見回すと、同じように漂う落下傘が四つあった。


 ――今のところ、問題はなさそうだ。


 そっとマスクの中で溜め息を吐き出すも、将斗はすぐ間近に地面が迫ってることに気付く。

 まったく忙しない。今度は着地だ。


「…………!」


 伝わってくる衝撃。空に飛び出した不遜な人間に「おまえたちにはこれが限界だ」と言わんばかりに懐かしい大地の感触がよみがえってくる。


『――こちら、“レイヴン01”。全員無事に降下完了した。これより作戦行動に入る。以上オーバー


『――“サザン・エクスプレス”より“レイヴン01”、了解した。幸運を祈る』


 異界より現れたレイヴンワタリガラスが、海を越えて新たな大地に降り立った瞬間だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る