第261話 2 Minutes to Midnight


「全員、酸素マスクを着けろ。モタモタしてると呼吸が大変になるぞ」


 減圧に備えてロバートが指示を出し、現地組は慌ててマスクを装着し始める。


 ――いよいよか。


 それまで黙って会話を聞いていた将斗は、さり気なく貨物室の床へと視線を落とした。


 周りでは「耳が痛い~!」などとマリナが騒いでいるが、地球組は減圧される時に襲われる耳内部を押されるような不快感にはとっくの昔に慣れている。


 それよりも、だ。


 将斗からすれば首元から爪先までを覆う上下繋ぎの、迷彩の施されたジャンプスーツの方が窮屈でならない。

 これ以外にも、全身をきっちりと締め付ける安全ベルトで繋がる、背中全体を覆う落下傘を収納した袋まであるのだ。


 それらを意識するだけで、これから何もない虚空で地面とのチキンレースを挑むことへの忌避感にも似た感情が湧き上がってくる。

 これまで何度も経験したはずなのに、この違和感だけは拭えなかった。


 もしかすると、地面に生きる者――いや、動物としての本能が「ここは居場所ではない。人間に空は飛べない」と警告しているのかもしれない。


『各自装備を確認しろ。途中で落っことしても回収には行けないぞ』


 通信回線越しとなったロバートの指示を受けて、将斗はもう一度装備を確認する。何度やってもやり過ぎなことはない。


 数十キロにおよぶ高高度自由降下用の装備一式、これらに加えて、降下時には銃器などの戦闘用装備も必要になってくる。将斗はそれ以外にも例のごとく愛刀を持ち込んでいる。


 あと数分で降下だ。敵航空戦力からの迎撃なり、対空火器でも飛んでこない限りそれはゆるぎない。


 ――どうした、何をナーバスになっているんだ?


 自分に問いかける。


『――マサト、いつになく静かじゃないか』


 投げ掛けられたロバートからの声に、将斗は顔ではなく、ゆっくりと視線のみを動かした。


『降下は初めてじゃないだろ? たしか一緒に訓練をしたよな?』


『ええ』


 将斗は短く答えた。


 そもそも、一度として空挺降下を経験していない特殊部隊員などいるのだろうか? いや、いるはずもない。

 ……ああ、だから自分がおかしく見えるのか。将斗はそう理解した。


『なんだ? さすがのサムライだかニンジャだかも、空を飛ぶのは想定外ってか?』


 エルンストが軽口を叩いた。マスクの中でも口元を微かに動かした様子が声でわかる。


『……言うほど慣れていないだけです。高所恐怖症じゃないんですけどね』


『じゃあ、目を瞑っていたらすぐだ』


『いやいや、あの世へ転属しちゃうので遠慮しておきます』


 実のところ、怖いとは少し違うと思う。

 そもそも任務に支障が出るようなら選抜で落とされている。ただ、ちょっと落ち着かないだけだ。


 約六十名の降下人員を収容できるC-130Jの貨物室だが、アルメリア大陸から数百キロ以上を隔てた南方大陸上空まで将斗たちを運んで来ながら、今回は将斗たち十名ほどの人員とその装備しか載せていない。

 まさに特殊部隊の任務といった雰囲気だ。実際そうなのだが。


『――減圧完了。降下地点上空まであと五分。スタンバイ頼みます』


 機長からの新たな通信を受け、それまで無言で彼らのやり取りを見ていた機上整備員が立ち上がって右手を掲げた。


 降下準備開始の合図だ。


 整備員の顔もフライトヘルメットと酸素マスクで覆われ、身体もまた落下防止用のロープで壁に繋がれている。


『そんじゃ、いっちょやるかぁ』


『こっちはこっちで緊張感がないな……』


 合図に従って腰を上げつつ、スコットとロバートはモニターを見上げながら軽口を叩き合う。


『なんだよ、俺がナーバスになってたらガタイに似合わないとかおちょくってくるだろうが』


『へいへい、頼りになる副官で俺は嬉しいよ。……高度が下がってきたな』


 操縦席と貨物室を隔てる隔壁の上には飛行情報が表示されている。

 飛行高度と速度、風速と風向、外気温といった諸情報を、貨物室にいる人間は機内に居ながら把握できるのだ。


 GPSがないので現在位置は事前の偵察で得られた情報を元にしているが、それ以外はほぼ完璧だ。

 輸送機までファントムF-4Eのような古い機体でなくて良かったと思う瞬間だ。


『……よし、時間だ。とにかく落ち着いてやれ。クリスティーナ、マリナ、サシェ、リューディアはできるだけ落ち着け。俺たちに任せておけばいい』


 腕時計を見てから視線を上げ、現地組を見回しながらロバートが言った。


 最終点検としてフライトヘルメットに酸素供給装置、その他自由降下用の装備の点検箇所に触れていく。

 これまでの訓練で我が身の一部同然に使い慣れた装備だが、新たな大陸への出撃を前に湧き上がってくる不安を払拭するため、いつも以上の確認作業となる。


『霧島、準備よし』


『よし、マサト。おまえはリューディアとタンデムを組め』


 ロバートはカーゴドアの方向を指し示した。


 促されるがままそちらへ向かった将斗の眼前で貨物扉が開き始め、何時間も薄暗い空間にいた将斗の視界を変える。


『―――――』


 夜の闇を反射して鉛色に見える雲の層。その下にはおそらく漆黒の大地が広がっているはずだ。


 しかも、夜明けまではまだかなり時間がある。

 地平線なり水平線の向こう側から昇る朝日の赤い光が安心感を与えてくれることもない。


『――降下二分前!』


 操縦席からの報告を受けた将斗とリューディアは顔を見合わせた。どちらかと言えば彼女から将斗へ向けた形だった。




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