第260話 次なる舞台へ
夜の空は暗く、日中とはまるで異なる印象を見る者に抱かせる。
今日は新月で月明かりもない。また、漂う雲がわずかな星明りすら地上から覆い隠していた。
そもそも、夜は多くの生物にとって眠る――あるいは息を潜めてじっとしている時間帯だ。
ヒトをはじめとした知的生命体から言わせれば、その時間帯は“魔の時間”なのだ。
これは単純に魔族の方が総じて夜間視力に優れているため、最前線にて戦った人類が夜襲を受けてそう呼ぶようになった。
それはさておき――
「まるでさぁ、胃袋の中に閉じ込められてるみたいだよ」
時折気流にぶつかって発生する揺れを感じながら、マリナが溜め息と一緒にそうつぶやいた。
「胃袋とは言い得て妙だな」
小さく笑ったスコットが天井を見上げた。
新品の機械油の匂いが漂う空気、そこかしこにある配線と配管、そして武骨なフレーム……航空機と言えど軍用機は快適からは程遠い。
たしかにこれでは、金属でできた新種の生き物の胃袋に飲み込まれたと錯覚してしまうかもしれない。
「ねぇ、外はどうなってるのさ?」
窓もない貨物室に閉じ込められて退屈の限界に達したのだろう。マリナは足をぶらぶらさせて問いかけた。
「何もない。雲がまばらにあるのと――空気の流れがあるだけだな。夜だしたぶん景色もロクに楽しめん。見に行きたいか?」
もしかしたら星くらいは見えるかもなとスコット。
だが、相手はロマンチックなものに興味を示さないマリナだ。心に響いた様子はない。
「なんだ、何もないならいいや。陸が見えたら――」
また揺れた。今度は大きい。
離陸してから時間が止まったように変化がなかった貨物室だが、今はガタガタと揺れ出している。乱気流の中に入ったのだろうか。
「「ひゃあ!?」」
空にいると意識しているからか、落下への恐怖で悲鳴が上がる。サシェの声も重なった。よく見ればふたりは抱き合っている。よほど怖いのだろう。
地球組だけで先行偵察に行くと言っていたところで「置いて行かれるのはイヤだ」と参加を申し出たが、十中八九後悔しているに違いない。
「安心しろ。本当にヤバかったら警報が鳴る」
「そ、そういう問題じゃないんだけど!」
もう少し気遣ってくれてもいいだろうに、スコットはあくまで他人事で呑気に笑っている。意地悪だ。
「ああもう、ついて来たのを後悔しそうだよ……」
「奇遇ですね。正直、わたしもそう思いそうです……」
クリスティーナが弱々しい声で同意した。
顔色が悪い。完全に乗り物酔いの顔だった。
本当は声も出したくなかっただろうが、それはそれで耐えられなかったのかもしれない。
「おいおい、操縦室にでも行くか? 外を見れば少しはマシになるかもしれんぞ」
見かねたロバートが気遣いの声をかけた。
酔い止めの薬を飲ませてもあまり効果がなかったのだ。
いや、厳密には効いてこれだ。飲んでなかったら反吐を戻していたかもしれない。
これで生来乗り物酔いの体質だと確定したわけだが気の毒である。
「……いえ、やめておきます」
「まぁ、少しでも体力は温存しておいた方がいい。これから寒いところにいくからな」
地球組はそれぞれに幾度かの特殊作戦に従事してきただけあって慣れているが、現地組は未知の経験に生命の危機を感じているほどだ。
高度文明と出逢ったにしてはあまりにスリリングな空の旅である。
「ねぇ……本当にやるの? その、降下とかいうやつ」
マリナは今になって怖気づいたか、普段からすれば考えられないほど気弱なことを言い始めた。
「でなけりゃ目的地に着けないからな。飛んだまではいいが、コイツはヘリとは違って滑走路がなければ降りられない」
弱気なマリアを無視してスコットは頷く。
厳密に言えば、機体を二度と動かなくなるまで壊していいのであれば可能ではある。
ただ、その際のいわゆる“強行着陸”で怪我人や死人が出ない保証はない。爆破してもいくらか残骸が残るのも問題だ。
「だから、俺たちがまず空から降下して橋頭保を築く。ほら、エトセリアの隅で基地を召喚した時と同じだな」
ロバートが引き継いだ。
――どこが同じなものなのかしら……。
クリスティーナはそう反論したかったが、言葉にする気力もなくそっと溜め息を吐くに留まった。
「嘘だぁ。みんなは何とも思ってなさそうだけどあの時とは全然違うじゃん!」
「馬車で移動するだけでよかったですし、あそこはわたしたちには見知った土地の延長線上でしたよ」
代わりにマリナとサシェが反論した。
いいぞもっと言ってくれ。クリスティーナは力ない視線でエールを送る。
「そもそも、今回の行き先は未知の大陸なのだろう?」
それまで黙っていたリューディアが小さく耳を動かしながら杖を揺らした。
「しかも、おっそろしいことに――これから道具を使って空から地上に向けて飛び降りるんだってさ!」
まるで死と向き合う旅だ。そういう技術があるのだとしてもまともじゃない。
「安心しろ、タンデムで飛ぶから俺たちに任せておけばいい。空の星の数を数えている間に終わる」
「それはそれで怖いんだけど……」
さて――ここまでくればわかるように、マリナたちと“レイヴン”チームは今、C-130Jスーパーハーキュリーズ輸送機に乗って、南大陸空まで進出する空の旅の途中だった。
「だが……まさか一年かそこらで今度は次の大陸に進出とはな」
ペットボトルの水を飲んでロバートが嘆息した。
「まったくです、忙しない」
ライフルのメンテナンスを行いながらエルンストが同意した。
聖剣教会との和睦により、表面上はアルメリア大陸でやることがなくなった〈パラベラム〉は、ある種の独立勢力と呼べる南大陸へのコンタクトを行うことにした。
これ程までに早く動くとは誰も思っていなかったが、そこは総司令部が慎重さよりも果断さを選んだ。
地球のように過度の政治的な配慮が必要なかったのもあるだろう。
「そうか? 元々
スコットが炭酸飲料の空き缶を握り潰して笑った。
「……異世界に来て感覚が変わっちまったのかもな」
たしかにそんな気もする。ロバートは内心でそう思い直した。
ほんの一年前、地球で軍人をやっていたはずの“レイヴン”メンバーこと多国籍選抜チームはこの世界に召喚された。
そこからあれよあれという間に、彼らは地球からの同僚やら現地人などを加え、軍人たちは傭兵国家〈パラベラム〉を名乗り、また関係を結んだ周辺諸国などとの間で新人類連合という第三勢力と呼べる共同体を立ち上げるに至った。
今度はいったいどんなことが起きるのだろうか――
『――機長よりレイヴンチーム、降下予定地点まであと十分。これより減圧を開始する』
アナウンスと共に、貨物室の照明が――赤く変わった。
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