第8章~南風に乗って上陸編~

第258話 大空へのイントルーダー


 アルメリア大陸より南へ数百キロ先の海上、高度約五〇〇〇メートル地点。


 静寂を湛える大気を切り裂いて飛ぶ鋼鉄の鏃――旧マクドネル・エアクラフト社製F-4EファントムII戦闘機の姿があった。


 増槽を限界まで装備した上でのフェリー速度とは言いつつも、時速は数百キロに達している。

 地上から遠く切り離され、ゼネラル•エレクトリックJ79-GE-17ターボジェットエンジンの轟音を上げて一直線に突き進む姿は、見る者に神話の一説を思わせる威容として映るに違いない。


「HQ、こちらイカロス-1。間もなく海を抜ける」


 イカロス-1――〈パラベラム〉第1航空隊所属のスティーブ・パルド中佐が通信回線に向けて言葉を放つ。


 翼の直下には青々とした海が陽光で眩く煌めき、また反対側には透き通るような空がどこまでも遠く広がっている。


 ――まさに絶好のフライト日和だな……。


 海と空に上下から挟まれていると、まるで世界から自分たち以外に何もなくなってしまったような錯覚を受ける。


 もちろん、だからといって平衡感覚を失ってどちらかに吸い寄せられてしまうようなことはない。


 コクピットの計器に表示された数値を確認しているのもそうだが、何よりもパイロットとして長年飛んできた自分自身の感覚を信じていた。


『こちらHQ、了解した。ここからは我々にとって未知のエリアだ。ミグやスホーイがいないからと気を抜くな』


 ヘルメット内臓のスピーカーからレイモンド・シュナイダー空軍中将の声が聞こえてきた。


「イカロス-1、了解。周囲に異常なし、引き続き偵察任務を続行する」


 ――まったく、息が詰まっちまうぜ……。


 スティーブは溜め息が漏れぬようそっと内心で嘆息する。


 レイモンドは元々アメリカインド太平洋軍傘下の副統合軍にして在日米軍の司令官だ。

 そんな彼が直接の通信相手として回線の向こう側にいるなど、普通に考えればぞっとしない。


 将官が欲しいと召喚を決めたロバートの気持ちもわからなくもないが、中佐の上に中将がいるというのはさすがに歪な構成だし、そもそもあまりに大物過ぎる。


『悪いな、貴官たちを単独で飛ばしてしまって』


 スティーブの声色から何かを察したのか、レイモンドから気遣いの声が発せられた。


 ――そういうことじゃないんだが……。


 とはいえ、まったく的外れというわけでもない。


 彼ら航空部隊は空軍とも呼べない少数精鋭……というよりも人的資源の関係から必要最低限になっている。おかげで今は僚機もなく単独で偵察任務にあたっている有様だ。


「気にしていませんよ。機体が更新されればもう少し楽になりますし」


 さすがに祖国からは切り離されたが、在日米軍司令官を務めた人間に雑な対応はできない。


『そう言ってもらえると助かる』


「また何かあれば報告します。――以上オーバー


 苦笑混じりに答えて通信をスティーブは切り上げた。


 オペレーター相手ならまだしも、将官相手に世間話など疲れるだけでご免被りたい。向こうからも引き止められなかったのは幸いだった。


「……しっかし、なにもねぇところだな」


 通信が切れた途端にスティーブが気だるげな声を上げた。これが彼の“素”だ。


「レーダーに反応もない。それどころか敵機もいない。これじゃ『我に追いつく機影なし』にもならねぇ」


「うるさいぞ、スティーブ。黙って周りを見てろ」


 それまで黙っていた兵装システム士官WSO――アラン・マッケイン中佐イカロス-2が煩わしげに声を上げた。


「そもそもなぁ、アラン。航空偵察っていうならUAVで事足りたんじゃないのか?」


 いつものようにUAVを飛ばして終わりでも良かったのだろうが、やはり重要な部分は人の目で確認しておきたい。

 もし何かあった場合でも、ファントムならアフターバーナー全開にすればほぼ確実に逃げられる。

 それで戦闘機で逃げられない敵など、最早現代軍でも対処不可能だ。


 ――まぁ、司令部の狙いはそんなところだろう。


「なんでも機械任せじゃ見落としがあるかもしれん。長年飛んできた俺たちにしかできない任務だと思え」


「ちぇ、つまらん。これならまだワイバーンでも狩りに行った方がマシだったぜ」


 まるで同意してくれない同僚に向けてスティーブは不満の声を上げた。


「おい、異世界の空気でボケたのか? 新人類連合おれたちと聖剣教会は停戦中だぞ?」


「敵への“配慮”か。まるで紛争地域に派遣された軍みたいだな。ここはなんだ、バルカン半島か?」


「……似たようなものだろうな」


 アランも一瞬言葉に迷った。


「なんだよ、出し惜しみか?」


 正義の味方気取りではないが、〈パラベラム〉が全力を出せば出したなりに面倒事が降りかかる。

 それがわかっているからスティーブもそう口にしたのだ。


「……それもあるかもな。司令部の意向として、開戦劈頭に主要目標への一番槍を決める俺たちの存在は、できるだけ秘匿しておきたいんだろう」


 そう考えれば、当然ながら今の時点で出番を与えられるはずがないのだ。


 もっとも、別に知らぬ存ぜぬで飛べばいいだけの話ではある。

 図体のデカいワイバーンを落とすだけなら、レーダーで捕捉しさえすればスパローミサイルで数十キロ先からでも落とせるのだから。


 ただ――それでは勢力バランスが崩れてしまう。

 本来、ワイバーンも向けられたから墜としただけで、素直に魔族戦線に振り分けて欲しかった。

 今や〈パラベラム〉が下手に動くだけで大陸、ひいては人類と魔族を巡る状況さえ様変わりしてしまうのだ。


 だからこそ、南の大陸に目を向けたのだが。


「異世界に来ても飛ぶのが窮屈じゃやってられねぇぜ」


「民間機もいない、飛行禁止領域もない空を飛ぶ楽しみがないのか? ウイングマンの風上にも置けないヤツだな、スティーブ。俺は相棒を間違えちまったのか?」


「ケッ、べつに飛ぶのが楽しくないわけじゃねぇよ。ただな――」


 わざわざ難関である軍のパイロットを志望したのだ。

 単に空戦をしたいとかの理由でパイロットになった戦争狂ウォーモンガーではない。


 この空は誰にも邪魔されず自由だが――その反面、血の沸き立つ戦いの気配がなかった。それだけがスティーブにとって少しだけ不満だった。


「不満か」


 アランが小さく鼻を鳴らした。


「これじゃ魔族領域とやらまで戦術偵察に出た方が、よっぽど歯応えがありそうだって思うくらいにはな」


 どうせ偵察で然したる成果もなく、ほどなくしてUAVに切り替わるだろう。

 基地に戻ったら意見具申してみようか。そうスティーブが考えた時だった。


「待て。レーダーに感」


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