第256話 導き手


 ――なんとも不思議なものだ。


 喧騒が聞こえてくる中、ヴァネッサはそっと溜め息を吐いた。


 ここは宴の中心――からは少し外れた場所で、歓談する少女たちをそっと眺める形だ。


「プハー!おかわり!」「飲み過ぎでは……」「今日は限界まで飲む!」「あとで怒られそうな……」「腕立てすればいいんだよ」「遠征での行軍は大変だったけど……」「こうして美味しいお酒とご飯が食べられるならいいよね」「なにこれうま!」「この料理、見た目悪いけど味はとんでもなく美味しい!」「お肉をもっとくださいな!」「野菜も少し……」「教会本部にいた頃だってこんなの食べたことないわよね!」「それはわかるけど故郷では?」「貧乏貴族なんて農民に毛が生えたようなものです」「あー、収穫祭でようやく肉が食べられたっけ……」「これが格差ですか……」


 一部ではちょっとアレな会話もあるが、二百人を超える中隊の兵士たちは思い思いに未知の宴を相応に楽しんでいる。


 彼女たちは厳しい訓練を乗り越え、遠征でも文句のない戦果を挙げた。終わりの見えない中で、ようやくひと息つけたといったところだろう。

 そんな達成感や安堵がひしひしと伝わってくる。


「……どうしましたか?」


 向かいに座ったカテリーナから遠慮がちに問いかけられた。

 彼女には聞こえていたらしい。


 元々、こういうところにはさとい人間だ。

 それゆえ並み居る候補の中から当代聖女にまで上り詰められたのだ。


 そんな彼女を守るために護衛から見出されて百合騎士団を――


 それがどうしたことか、今ではひどく昔のことのように感じられる。


「いや、特にどうという訳ではありませんが……」


 懐かしさを振り払い、ヴァネッサは今に戻ってくる。


「あら、そうでしたか。てっきり、ひと息つけて疲れが出たのかと」


 柔らかく微笑みかけつつも、カテリーナには理由がある程度わかっていた。


 ヴァネッサの前に置かれたジョッキの中身はそれなりに減っている。体調が優れないならこうはいかない。他の理由があるのだ。


「どうでしょうか……」


 問われたヴァネッサは言い淀む。

 どう言葉にしていいかわからないのかもしれない。


「今は周りを気にしないでもいい時ですよ」


「そういうわけではありませんが……」


 少し困ったような顔だった。

 実際、〈パラベラム〉指揮下の訓練に入ってから、ふたりだけでゆっくり話すのはこれが初めてだ。


 周りも気を遣ってふたりだけで過ごせるようにしてくれている。

 色々とのある百合騎士団だけに為し得る空気の読み方だ。


 昔はそれが原因で鬱屈したものを抱えていたが、今となってはまったくの無駄ではなかったとヴァネッサ自身思えるようになった。


「疲労も当然あります。ただ――それよりは、長いようであっという間だったなとしみじみ思うばかりで……」


 態度に出ていたことを恥じるように、少しぬるくなったジョッキの中身をあおった。

 昔ならもう少し釈明の言葉は多かったように思える。


 ――なるほど、“戸惑い”があるわけね。


 カテリーナは内心でそう結論付けた。


 異界から来た者たちの、見たことも聞いたこともない料理の数々が並ぶ宴に連れて来られ驚いているのもあるだろう。

 しかし、それ以上にヴァネッサの実感が湧かないのは、流されるまま潜り抜けた訓練の方だと思われる。


 無論、彼女の実力が不足しているといった話ではない。

 隊長として皆を引っ張ってきただけに、弱音を吐き出す場所もなかったのだ。


「そうですか。二ヶ月もありましたのにね。当然、それだけの中身だったのでしょうが……」


 いざないの言葉を発しながら、カテリーナは白ワインのグラスをそっと口元へ運んだ。


 ――あら、美味しい。


 口当たりがいいのに飲みごたえも相応にある。いいワインだとすぐに気づいた。

 エリックが差し入れで置いていったものだ。あの人はこういうさりげないところへの投資を惜しまない。

 あまりにもさりげないので、もはや中隊の少女たちからも彼への敵意の視線が消えてしまったほどだ。

 これ以外にも、の上官であることも多分に影響しているだろうが。


「ええ、どこまでも濃密な日々でした」


 ヴァネッサから返ってきたのは気負いのない言葉だった。


 意外とは思わない。他者に聞いてもらうことでようやく腑に落ち始めたのだろう。


「……ねぇ、ヴァネッサ。よかったら、あらためてあなたの言葉で訓練について聞かせてくれませんかしら?」


 カテリーナも報告書は適宜読ませてもらっていた。

 だが、それでは表面上しか終わらない。せっかく鍛え上げてもらった中隊の“完成度”に影響が出てしまう。


「わかりました。正直、脱落者が出なかったのは奇跡だったと思いますが――」


 頷いたヴァネッサはそこから訓練の所感を自分の言葉で伝えていく。

 生の感情の乗った言葉だった。これまで胸に秘めてきたものなのだろう。


「……そうでしたか。聞いてはいましたが、相当厳しい訓練だったようですね」


 ここまでの内容を騎士団とはいえ少女たちにやらせるのか。

 思わずそう言いたくなるほどだった。自分だったらきっと耐えられなかっただろうとカテリーナは背筋が寒くなる。


「ですが、無事に乗り越えられたのは奇跡などではなく、あなたたちの実力で成し得たもの。わたくしはそう思います」


「……ありがとうございます。たしかに言葉では容易に表せません。あまりの容赦なさに教官殿を恨みもしましたが……今では本当に感謝しております」


 カテリーナの目には、ヴァネッサの態度がどこか誇らしげに見えた。


 ロバートたちはお飾りの儀礼部隊でしかなかった百合騎士団――今は百合騎士中隊となったが――に居場所や真の仲間、そして誇り、あらゆるものをくれた。

 聖女の護衛とお情け程度の役割に就いていたヴァネッサたちを、埃と泥と汗と血の中を経て、新たな世界に連れ出してくれたも同然なのだ。


 教官ロバートたちにそのつもりがあったかどうかは知らないが、そんなことはヴァネッサたちに関係ない。

 純然たる事実として、百合騎士中隊は救われたのである。


 そうした想いが伝わってくるだけにカテリーナとしても嬉しいが――少し、少しだけ寂しい。


「そうですか。あなたが言うなら、中隊の兵士たちもきっとそうなのでしょうね」


 感傷に浸っている暇はない。皆を引っ張って来た者としてカテリーナは言わねばならないのだ。


「厳しい訓練の恨み言もそれとなく聞こえてきました。ですが、今では皆、立派な兵士として生まれ変わりました。わたくしは彼女たちを誇りに思います」


 ただ余り物として集められた百合騎士団の少女たちにできた、だ。

 同じ苦痛や限界を乗り越えた真の仲間でもある。

 これまでの倒錯した関係ではない、自分の分身も同じ固い絆で結ばれた存在なのだ。


 カテリーナは、少女たちのここまで誇らしげな姿を初めて見た。

 どうにもこうにも気負いのない充足感を持っていて立派だ。


「ヴァネッサ」


 カテリーナの声色がわずかに変わった。ヴァネッサは居住まいを正す。


「訓練を終えた百合騎士中隊は今後、〈パラベラム〉をはじめとした新人類連合に加わり、作戦に従事することになると思います。わたくしに細かいことは言えませんが、よろしく頼みます」


「中隊全員、承知の上です」


 すべての言葉を一瞬で飲み込んでヴァネッサは首肯した。

 カテリーナは教会とは別の道を歩む覚悟を決めたのだ。


「ところで、ロバート殿たちの任期は明日で終わりと聞いています。兵士たちには言ってあるのですか?」


 声色を戻してカテリーナが問いかけると、ヴァネッサは小さく首を横に振った。


「いえ、『軍隊とはそういうものだ』と中佐殿がおっしゃったので、兵士たちには伝えておりません。彼女たちは訓練が終わろうとしているとしか知りません」


「そういうものなのですね」


 ロバートらしい。そう思ってカテリーナはクスリと笑った。


「はい」


「では、もう少しお話をしましょうか」


 後は長い付き合い同士の会話である。



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