第252話 恋しちゃったんだ、たぶん
テーブルの上には紅茶の陶杯がふたつ、湯気を上げている。
ロバートとヴァネッサが退室した後、エリックは応接椅子に場所を移していた。
「どうだった、“妹分”たちが育った姿を見て」
漂う湯気から視線を外し、エリックは対面に座るカテリーナを見る。
「まるで別人ですわね。いえ、よい意味で自信に満ち溢れているというか……」
カテリーナは紅茶を一口飲んで答えた。
香りもよく口当たりもいい。また新しい品種を見つけたのだろうか。
「おそらくだが、“あるべき場所”を見つけられたからだろう」
自身も紅茶を口へ運び、エリックはわずかに目を細めた。
彼女たちの見出した居場所が戦場というのは、現代地球人の感覚で言えば眉を顰めることかもしれない。
だが、この世界では尚武の気質があるため戦う者が賞賛を受ける。
彼女たちは、貴族子女として政略結婚の道具になるでも尼僧になるでもなく、敢えて戦いの道を選んだのだ。
まぁ、要は文化の違いだ。気にするだけ無駄だろう。
エリックはこの世界に来てからそう割り切っている。
「あるべき場所、ですか……?」
「探していた、求めていた……そう言い換えてもいい。若さと情熱を持て余している連中には必要な場所だ」
「ふふふ、左様でしたか。わたくしではついぞ与えられなかったものですわね」
微笑んだカテリーナの言葉は自嘲にも聞こえながら、それでいてどこか安堵しているようにも見える。
「……すくなくともそれは聖女の役目じゃないだろう」
違和感を覚えたエリックは、わずかな困惑を表情に浮かべて紅茶を呷る。
「そうかもしれません。ただ、今のわたくしにできることは……」
――ああ、そういうことか。
エリックはすぐに得心がいった。
自身がそう仕向けたとはいえ、カテリーナは当代唯一無二の聖女ではなくなった。
自分から抜け出たようなものだが、もしかすると教会の庇護を失ったことへの焦りがどこかにあったのかもしれない。
加えてこの地には〈パラベラム〉がいる。
医療部隊が任務にあたっている以上、聖女の魔法を必要とする場は少ないのだ。
自分の足元が揺らぐような感覚に襲われても不思議ではない。
「自分はこのままでいいのか――このところ、そう思うことが増えておりました」
やはりそうだったか。
「まるで、悩める乙女だな」
エリックは小さく笑って軽口を叩いた。間を繋ぐためだ。
その間に紅茶を啜り、自分なりに考えをまとめていく。カテリーナからのジト目は意図的に無視したまま。
「さっきの話じゃないが――」
言葉とともに杯を置いたエリックは、一度窓の外を見てからふたたび口を開く。
「俺もロバートたちも訓練兵たちも、それぞれの役目を果たしただけだ。同盟だとか駆け引きだとかではなく、そうやって人々の繋がりがあって世の中は回っている。何でもひとりでやろうとするのは努力ではなく傲慢だ」
「わたくしの願いは、傲慢でしたか……」
カテリーナは目を伏せた。
自分では彼女たちの抱える問題を解決できなかった。悔やむのは単なるワガママだ。それはわかっている。
心配していた訓練だって無事に終わった。
帰還したヴァネッサたちの表情を見れば、今になって自分がどうこう言うのは野暮でしかない。それもわかっているのだ。
ただ、自分が何もできなかったように思えて――
「何やら落ち込んでるみたいだが、俺はよくやったと思うがな」
思いもよらない言葉に、カテリーナは驚いて視線を上げる。
エリックはまた窓の外を見ていた。不意に射し込んできた陽光で表情はよく見えない。
「あいつらの行く末を考えてやっていたんだろう? それで十分じゃないか」
エリックの顔が自分に向けられた。
ちょうど陽が陰り、コバルト色の瞳が自分を射抜いているのが見えた。鼓動が高鳴る。
「訓練が終わるまで毎晩俺のところに来ていたのだって、連中を自分の事情に巻き込んだ負い目があったからだろう?」
元々カテリーナが自分にご執心なのはわかっていたが、訓練期間中に至っては毎晩だった。
いくら常時発情気味の性女とはいえ、さすがにこれはおかしいとエリックも気付いていた。
「そこまでお見通しでしたなんて……」
カテリーナは椅子に背中を預けると、長い溜め息を吐いた。
「迂闊とは思っていたよ。あれはちょっとやり過ぎだ」
エリックもつられたようにそっと息を吐く。
彼にしてはどこか歯切れが悪いのは、カテリーナを受け入れた手前があるからだ。
「まぁ、そうするしかなかったのもわかってるがな」
部下たちがシゴかれている間にそのようなことをすれば、事情を深く知らない人間からは何事かと思われかねない。
カテリーナは、それを承知でエリックとの繋がりを深め、あるいは維持しようとしたのだ。
もしも訓練が上手くいかなかった場合や、果ては自分に何かあった時でもどうにかなるように。
これまでおおよそ恋をしてこなかったから、あるいはひとりの女として振る舞うには立場が許さなかったからか、こういう時にも素直な方法で人を頼れない。
暴走気味ではあったが、彼女なりに悩んだ末の行動だった。
「でも、どうして今まで黙ってらしたのですか?」
問われたエリックは瞑目し、腕を組んで黙り込む。
彼にしては珍しい態度だったが、やがて意を決したように目と口を開く。
「……たとえ向こう見ずでも、覚悟を決めた女に恥をかかせるのはマナー違反ってものだろう」
「…………!」
――この人はこういうことをいきなり……。
不意討ちも同然のエリックの言葉にカテリーナは言葉に詰まる。
いや、すぐに耐え切れなくなって下を向いてしまった。
「そういうことを……さらりとおっしゃらないでくださいまし……」
きっと今の自分は人には見せられない顔をしている。
どうも自分はすっかりこの人にダメにされてしまったらしい。
ただ――
「いいじゃないか。世はなべてこともなし。さぁ、夜は宴だ。ちゃんとみんなを労ってやれ。みんなのお姉さまなんだろ?」
いつも通り控えめだが、心の奥に触れてくるような心地よい声。
湧き上がる恥ずかしさを感じながらも、カテリーナの心の中はいつの間にか窓の外のように広く晴れ渡っていた。
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