第250話 遠征⑨〜Long way to Home〜


 村を出る時、特にこれといったイベントはなく、代表者数名の見送りがあったくらいだった。


「ありがとうございました。おかげでしばらくは盗賊に怯えずに済みます」


 深々と頭を下げる村長たち。


 盗賊を討伐したこともそうだが、礼として渡された食糧への感謝でもあるのだろう。

 騎兵団にバレても困るのであまりやりすぎないで欲しいが。


「我々にとっても良い経験となりました。今後はなにかあれば子爵領の方々がどうにかしてくれるでしょう」


 さりげなく騎兵団へ圧力をかけておくのも忘れない。


 盗賊は害獣と同じで他所から流れてくるものだ。

 あとは子爵領の者たちが責任を持つべき部分である。


 正直、気休め程度の社交辞令とは村の人間もわかっているはずだ。

 しかし、こうした配慮もできないようでは、将来の作戦において現地人との円滑な関係は構築できない。


「中隊出発!」


 日が傾きを増した十六時過ぎに、訓練中隊は拠点とした村を出発した。


 表面上はわずかな、それでいて心中では完全勝利への達成感を秘めて、中隊はこれまでの訓練通りに静かに動き続ける。

 そうあれかしと望まれ、かくあるべきために。


 以後、中隊はヴァネッサの指揮の下で、新たな戦いに向かってまた訓練を繰り返して能力を高めていくことだろう。

 共に戦うこともあるかもしれないし、誰かがいなくなっていることもあるだろう。


 だが、兵士とはそういうものだ。


「中隊ケツ上げろ! 終わったからってヘロヘロ歩くな!」


、あまり急がせなくていい。今日は野営だ。パラディアムには明日正午までに着く」


「イエッサー。てっきり今晩中に戻るかと思いましたが」


「可能か不可能で言えば可能だろう」


 雲もなく月は明るい。進もうと思えば問題なく進める。


「だが、夜の行軍でも野営を行える能力を備えておく方が重要だ。ヘロヘロで目的地に辿り着くよりも、万全の状況で進める方が軍としては強い」


 気を抜き過ぎても困るが、ガチガチになられても不測の事態に対応できない。

 そもそも、ここから半日かけて真夜中になるのを覚悟してパラディアムに戻るつもりはないのだ。


 いずれは誰かが浸透戦術を叩き込む。この世界の文明事情を考えると無駄にはならないだろう。


「中隊長、野営地を探しながら歩け」


「はっ」


 それからしばらく――三時間以上歩いたところで、ちょうどよく開けた場所を見つけた。


「こちらはいかがでしょうか。道からは離れていますが森には――」


「あぁ、悪くないと思う」


 時刻は二十時過ぎ。あたりはすっかり暗くなっている。

 夜行性の魔物が潜む森から離れつつ、街道からもそれなりに距離を置いた良い場所だ。


「中隊、今日はここで野営だ! 天幕を張って食事の準備をしろ! 歩哨を立たせるのを忘れるな!」


「「「イエスマァム!!」」」

 

 所々で訓練兵たちの動きを見ていると、以前とは変わってきているのが明らかにわかる。


「殻付きのヒヨッコが少しは大きくなりましたかね」


 訓練兵たちの動きを眺めているとエルンストが語りかけてきた。


「少なくとも視野は広くなった。“戦闘処女”を散らしたんだ、成長もするさ」


 ロバートはそっと目を細めて、自分たちのテントに向けて歩き出す。

 ここで話す内容ではなかろうと判断してだ。


「あぁ、“当事者”になったってヤツですね」


 エルンストも自分の昔を思い出してか小さく肩を揺らしている。


 兵たちは訓練のための訓練ではなく、常に実戦を意識して動いていた。

 それぞれの行動の意味を理解し、積極的に頭を使っているのが見て取れる。


「で、そっちはどうだったんだ?」


「ええ。初めてにしちゃあ上出来だと思います。中佐の方も問題はなかったんでしょう?」


 どこか満足気に見えることから、彼が合格を出せる狙撃を行えたのだろう。


 エルンストは自身の狙撃のテクニックを仕込むため、訓練後半からは選抜射手マークスマンの中からさらに選んだ上で鍛えていた。

 その試験として、今回の討伐も狙撃場所が確保できるグループに回してもらったほどだ。


「ああ。マサトがちょっとことを除けば上々だった」


「まったく、あのサムライだかニンジャだかは……」


「そう言ってやるな。あくまで実戦寄りの訓練だ、損害は出したくなかった」


 呆れ声のエルンストにロバートは苦笑を浮かべる。


 盗賊との戦いは、今まで中隊兵士が訓練してきたことの総括と言えた。

 叩き込んだ内容が戦果に結び付いたのは間違いない。


 実戦を経て、クソ新兵どもファッキンニューレディースは、一端の兵士になったと思う。

 軍隊の常として今後も多少はからかわれても、中身はもう“お嬢様”などではないのだ。


 技術的にも肉体的にもロバートたちの要求水準にはまるで足りていない。

 だが、あとはシゴかれた精神が引っ張ってくれるだろう。訓練自体もこれで終わりではない。


 そう考えながら教官用テントの入り口を捲る。


「戻ったか、ロブ。これならパラディアムに戻ってパーティーのひとつでもできそうだ。よかったじゃないか」


 ロバートを出迎えたスコットが早くも空になりそうなビール瓶を煽りながら言った。


「え、パーティー!?」


 ガタッっと椅子を蹴飛ばす勢いでマリナが反応した。


 嗚呼悲しいかな。異世界の文明の毒に晒された少女は、もうそれなしでは生きられないのである。まさしく禁断の果実を口にした人間だ。


「ちょっとマリナ……」


 相棒たるサシェは恥ずかしそうに顔に手を当てている。

 これまたいつもの光景だ。


 ただ、ふたりの様子を眺めるスコットは知っていた。

 彼女サシェは彼女でマリナのように反応していないだけで嬉しいのだと。

 見えない尻尾がサシェの腰あたりで揺れているのが幻視できた。

 無論、言わぬが花であるが。


「どうだマサト。久しぶりにシェフの腕を振るう気はあるか?」


 仲間たちのくだらないやり取りを眺めながら、ロバートはクーラーボックスを開けて瓶ビールを二本取り出した。

 ひとつは自分用に、もうひとつは将斗へ向けて放る。


「ははは、お呼びとあらばやるしかありませんね。食堂の人員も借りたいですが」


 投げ渡された瓶ビールを受け取った将斗は親指だけで栓を弾いて開けた。


「よし、マクレイヴン准将には俺から話を通す」


「わかりました。腕が鳴りますね」


「では、決まりだな。少しくらいは連中にご褒美をやらないとだ」


 ロバートが手を叩くと、テント内の空気が誰の目にも見えるほど明るくなる。

 みんなしんどいだけの訓練などイヤだし、できることなら楽しく暮らしたいのだ。


「おっと」


 何かを思い出した様子のロバートに注目が集まる。


「パラディアムに着くまではナイショだぞ? 気が抜けちまったらシゴき直さないといけないからな」


 わざとらしく人差し指を口の前に持って行くと周りから小さな笑いが起きた。

 なんだかんだ、ロバートは女性に甘いのだ。


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