第246話 遠征⑤


 背中に視線を感じ、将斗は後ろをわずかに振り返った。


 後方にはコンスタンツェたち歩兵小隊がいるはずだ。


 擬装カモフラージュしているため一見わかりにくいが――いや、緊張を湛えた気配とほんのわずかな息遣いから、たしかに存在していると空気を通したわかった。


 よくよく見れば、気持ちばかりの月明かりの中、様々な草を身体から生やした平たい塊が、に至るためゆっくりと動いている。


 将斗の口唇に小さく笑みが浮かんだ。


 とても貴族の子女たちにやらせる行動ではない。


 きっと軍同士がぶつかり合うこの世界では、このような行為は気が狂ったかアホとしか思われないのだろう。


 しかし、実戦に耐えられ、精鋭として活躍することを彼女たちが望んだのだ。

 この不格好でアホみたいな動きが、戦いを完全なる勝利に導く。


 それが今夜、証明される。


 ――ん?


 将斗はふと気付く。

 ほんの少しだが、空の端が明るくなり始めた。


 ――そろそろか。


 夜の闇が静かに東から西へと追いやられていく。

 ここから明るくなるのはあっという間だ。


 視界も明るくなる中、コンスタンツェと目が合った。

 開始のタイミングは匍匐前進を始める前に彼女へ委ねてある。


 ――いけるか?


 ――はい。


 目線を向けて敵のいる方向を指さすと、コンスタンツェはそっと頷いた。


 おそらく、あと数分もしないうちに戦いが始まる。


 将斗はその場で少しだけ動いて、ギリースーツをすぐに脱げるよう確認した。


 いざという時に絡まったのでは冗談にもならないし、あれだけシゴき倒した教官として失格だ。

 あとでケジメのため腹を切らねばならなくなる。そんなアホな死に方はご免だ。


 ハンドサインで周囲の兵士たちに「注意しろ」と警戒を促す。

 

 明るくなり始めた今がもっとも危険な時間帯だ。

 敵から一番近い自分は三十メートルも離れていない。


 続いて預けてあったLEDライトで、ヴァネッサが騎馬小隊のいる方向に定められた間隔で光を送る。


「襲撃位置に着いた」との合図だ。


 敵の見張りから光が見えないよう、あらかじめ配置する位置も考えてそれぞれに行動している。


 だが、戦いに絶対はない。

 真っ先に見張りを仕留めるべく、すでにライフルを構えた兵が見張りの動きを注視している。何かあれば即座に突撃開始となる。


 ――おかしな動きはない。大丈夫なようだ……。


 コンスタンツェは音を立てないよう安堵の息を吐き出した。

 しばらくすると向こう側からも異なる間隔の光が返ってくる。「パトリシア率いる部隊も位置についた」らしい。


 了解の合図を返すと、程なくして「状況開始せよ」と合図があった。

 ここからは、もう光信号に頼る必要もない。


 流れた血の量と死体の数が勝敗を決するだけだ。


選抜射手マークスマン――始めろ」


 声をかけ、残りは指でカウントダウンを行い、掲げた腕を振り下ろして地面を叩く。発砲の合図だ。


 ――ボシュ……!! 


 薄明り中、空気の抜ける音と断末魔の声が小さく重なって聞こえた気がした。

 Mini-14GB-Fの銃口を改造して取り付けた抑音装置サプレッサーによる効果だ。


「――総員、着剣フィックス・バヨネッツ! 安全装置セーフティを外して前に進め! 発砲を許可する! 残弾には常に注意しろ!」


 コンスタンツェは言葉を投げ捨てながら、ギリースーツを脱ぎ捨てると小走りに駆け出した。


「行くぞ……!」


 距離を詰めていくと敵の見張りたちが死んでいるのが見える。

 見事な射撃――さすがは選抜射手たちだ。


 心臓の鼓動がひと際高く鳴ると同時に、状況を認識したコンスタンツェの瞳孔が限界まで開いた。


 ――落ち着け。まだ始まったばかりだ……。


 本音を言えばすべてが気になる。

 訓練通り戦えるか、味方は出遅れていないか、敵の強さは……。


 だが、後ろは振り返らない。

 今やるべきことはひとつだけ。目の前にいる敵を殲滅する。それだけだ。


 足音以外に何も聞こえないが、全員が自分について来ていると彼女は知っている。そうできるだけの訓練を受けてきたのだ。


 だから、今はただひたすらに走る。


 コンスタンツェの右前方にはキリシマ大尉がいた。何人か白兵戦の訓練で好成績を上げた者を引き連れている。

 馬に接近する敵が出ないよう、先回りして逃げ道を塞ぐことが彼らの役目だ。

 この作戦を成功させるために彼らは欠かせない。


「射撃用意!」


 自分の役割を果たすべく銃を構えた。そこから片膝立ちになるまで流れるような動作だ。

 当然だ、習慣となるレベルで何百回も繰り返したのだから。


 銃口の睨む先に天幕の下で毛布にくるまっている敵が見えた。何人かが違和感を感じたのか、もそもそと起き出している。


 たいした警戒感だ。しかし、もう遅い。


「撃て!」


 号令とともに鋭い銃声が重なり、それは轟音に進化した。


 歩兵の放った弾丸は盗賊となった騎馬民族に容赦なく降り注ぐ。毛布があろうが何も関係ない。


「突撃ッ! 味方への誤射に気を付けろ! 距離を活かせ!」


 最初の射撃から五秒も経たず、コンスタンツェは敵に突っ込んだ。


 驚愕の顔で叫び声を上げ、毛布を跳ね除けて起きてくる姿が見えた。

 悲しいかな、武器は何も持っていない。


 ここは城の中でも家の中でもない。天幕の中なのに不用意にも程がある。遊牧民の矜持まで草原に置いて来たのだろうか。


 そんな敵へ向け、コンスタンツェ率いる歩兵たちが銃剣を突き刺した。


「ぐぎっ!?」


 断末魔にしてはひどく簡潔だ。首筋に真っすぐ入った刃は、硬い感触を手に伝えつつ反対側に突き抜けた。


 敵はまた寝た。二度寝にしては血生臭く不格好だ。


 だが、そんなものはどうでもいい。次の敵だ。


 銃剣を引き抜きながら視線を動かす。周りでは仲間が盗賊たちを仕留めていた。

 周りの天幕からも銃声が聞こえてくる。


「そういえばキリシマ大尉は……」


 先ほど彼らは奥へと向かって行った。

 そう思い出したコンスタンツェが視線を動かした先で、悲鳴とともに大量の血飛沫ちしぶきが上がった。


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