第245話 遠征④


 斥候の報告から割り出した敵の野営地から数百メートル手前の山側。

 騎馬部隊が闇夜の先に視線を向けていた。


 馬蹄の音が聞こえないようかなり距離を取って迂回したが、それでも匍匐前進している歩兵部隊よりもずっと早く位置に着いた。


「クリューガー少佐ならここから狙撃で片付けるんだろうが……」


 ロバートは暗視機能付きの双眼鏡を覗き込んで敵拠点の様子を窺っている。


 すぐ近くに立つヴァネッサはそこには触れない。


 必要なものはすでに貸与されている。それ以上のものを求めては失望されてしまう。

 それだけは耐えられない。


 待つだけの時間だからか余計なことばかり考えてしまう。


「歩兵たちを待つのも案外もどかしいな、


「……はい、中佐殿」


 気を遣ってくれたのかロバートから小声で話しかけてきた。


 本音を言えば、最初は狂人だと思っていた教官殿たちのボスだ。

 大人しく従っていたのは、他ならぬカテリーナから命じられたからだが、それ以上に段違いの実力を持つと理解していたからだ。


 頭のどこから生み出されるかわからない罵倒と共に、自分たち百合騎士団をシゴいてシゴいて殺しにきていた。

 もっとも、今ではその声がすぐ近くにあることが頼もしくすら感じられる。


「とはいえ、もう少しだ。どうだ、自分も戦いたいか?」


「正直に言えば。しかし、我らの出番がないのが一番です」


 騎馬小隊が動くということは、敵に発見され逃走されつつある状況だからだ。歩兵も反撃を受けている可能性がある。


「素直にそう思えるなら貴様はもう猪武者ではない。一端いっぱしの指揮官だ」


 ――そうなのだろうか?


 自分が指揮官に相応しいか、ヴァネッサにはわからない。


 だが、自分たちが兵士として成長したのは間違いないと実感している。

 もはやただの儀礼部隊ではない。心身ともに戦える部隊となった。


 このような戦い方は自分たちにしかできない。それが新たな役目をこの世界に生み出す。


 そうなるよう導いてくださったのがマッキンガー中佐たちだ。


「これは訓練であり訓練ではない。実戦だ。やれるな?」


「はい」


 自分を中隊長と認めてくれつつある今、あとは最後までやり抜くだけだ。


 ヴァネッサはそう覚悟を決めている。





 騎馬部隊が先に進んでいくのを見送った歩兵たちは、まばらに草の生えた地面を這いずっていく。

 闇に紛れつつも、ゆっくりと、着実に敵に近付いていく。


 先頭には将斗がいた。匍匐のためM27 IARと刀は背負っている。

 ちなみに、もうひとりの教官つばさは後ろ側から全体を見守っている形だ。


 彼は擬装カモフラージュ用のギリースーツに武器をひっかけないよう注意しながら動いている。

 周りに散らばっている兵士たちも同じだ。


 最悪一時間に百メートル動ければ構わない。

 そうすれば夜が明ける頃には問題なく襲撃位置につける。


 発見されずに乗り込めば勝てないはずがない。

 単純な話だった。



 ――信じられない……。


 一方、将斗の周りで地面を這いずっている訓練兵たちだが、彼女たちの多くは声もなく舌を巻いていた。


 彼の擬装が凄まじかったからだ。


 草をつけた簡易ギリースーツ、これは自分たちもやっているため理解できる。


 ところが、将斗は顔を黒と茶色と緑の斑模様にしている。

 これは野戦服に身を纏い、ギリースーツを知った時に思いつかなかったのがコンスタンツェには悔やまれた。

 まだ騎士のプライドが、柔軟な思考を妨げているのかもしれない。 


 ――闇と同化している。まるで闇を味方にしているようだ……。


 真にキリシマ大尉が凄まじいのはその動きだった。


 地面に伏せて可能な限り高さをなくすと延々と動き続けている。

 地面を音もなく移動する高位スライムのようだ。


 暗闇に溶け込み、いつの間にか物音もなく近付かれている。


 これが戦場で夜毎に行われれば敵兵には恐怖でしかないだろう。


 感情を表に出さず、そして何よりも音を立てず、歩兵たちはひたすらにゆっくり進んで行く。


 小隊を率いるコンスタンツェはそれだけを注意している。


 これから――辺りが少しだけ明るくなった頃、我々は敵に突っ込む。


 自分たちが南部の民を悪しき賊から救う。

 それは今ここにいる自分たちにしかできないはずだ。


 ――もうすぐだ。


 そう考えていると、コンスタンツェの前にいる草を生やした塊が、ゆっくりと後ろを向いた。

 全体を見渡しているのだろうか。この塊はキリシマ大尉殿だ。


 自分たちの動きをしっかりと見ていてくれる。


 教官殿たちはコンスタンツェたちをシゴき抜く狂人の集団だった。

 今でもオオヨド少佐に殺されかけた光景を思い起こすだけで全身が震えそうになる。

 あの時は鎧でバレなかったが、実は――


 即座にイヤな記憶を打ち消した。


 それ以外にも訓練がキツ過ぎて何度も泣きたくなったし、何回かはひっそりとベッドの中で泣いた。

 逃げ出したくなったのも一度や二度では済まない。


 いや、


 正直に言えば、彼らは狂人の群れかもしれない。今でもそう思う。


 しかし、その訓練を乗り越えたおかげでコンスタンツェはここにいられる。


 ならば、彼らを狂人と蔑むことにどれほどの意味があるのか。

 精々ちっぽけな自尊心を満たせるだけだ。

 狂人であるがゆえに戦えるのだ。我々の誇りは狂気により精強なものに昇華した。


「もう近いと後方に伝えろ」


「イエッサー」


 ここまで来られたのも、こうして敵に気付かれず接近できたのも、敵と戦う力や技を身につけられたのも――すべてはあの訓練があったからだ。


 あの訓練は今この瞬間のためにあった。


 この瞬間を迎えるために、自分は故郷を出てカテリーナの下に集まったのだ。


 自分たちの存在意義に悩んだこともある。それがゆえにつまらない虚勢を張ったこともある。

 本当に自分たちは何も知らないバカ揃いだった。


 だが、今はそれすら笑い話にできる思い出だ。すべてはこの時のためだったのだ。


 ――それを完成させる。


 コンスタンツェはそう覚悟を決めている。

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