第241話 最終訓練


「総員起床! ちょっと早いですが、愉快な夢の世界はまた明日です!」


 東の空がわずかに白くなり始めた頃、翼は兵舎の扉をぶち開けると、手を叩きながらよく通る声で彼女なりに怒鳴りつけた。


 時刻はまだ明け方四時で普段であればまだ寝ていられるが、上官の命令には逆らえない。


「中隊副指揮官、しばらく喋るのでその後はあなたが動いてください」


 すかさず駆け付けたヴァネッサに声をかける。


「イエスマム!」


 答えた中隊副指揮官はほとんど下着も同然の姿だった。


「起きろ起きろ起きろ!!」

「早くしな! 寝坊助には水をぶっかけるわよ!」


 肌を晒す訓練兵たちの寝所に殴り込む役目は、さすがに貴族子女もいるため女性教官でなければならない。


 翼だけでなく、新たに召喚された女性の何人かにも、限定的にだが協力してもらっている。

 その証拠に、他の部屋からは金属製のバケツを叩く音が聞こえてくる。


 幸いなことに、訓練が最終段階近くなった今となっては、動きがノロくて怒鳴られているような兵はいない。


「おはようございます、お嬢様がた」


「「「おはようございます、オオヨド少佐殿!!」」」


 捧げ銃の状態の訓練兵が居並ぶ。他の部屋でも今頃は同じことをしているに違いない。


 叩き起こされたばかりというのに、すぐさま全員がライフルを片手に跳び起きて直立不動の姿勢をとっている。


「結構、元気なご挨拶です。さて、皆さん。外でマッキンガー中佐以下、教官勢がお待ちです。動けますか?」


「「「マム、イエスマム!!」」」


 寝起きで大声だ。身体に良いとはとても思えない。

 だが、兵士である以上、「まともな起き方をさせてください」と戦時に言えるはずもない。これでいいのだ。


「一応説明しておきますが、こんな時間に起こしたのは他でもありません。今から哨戒訓練に出ます」


 予告なしの訓練を命じられ、何人かの視線がわずかに動く。


「では通達します。全員、一週間分の装備を整え、殿隊舎前広場に集合です。三十分あればいけますね? ――中隊副指揮官!」 


「全隊、戦闘服着用! 一週間の哨戒行動に出る! ライフル、必要装備を背嚢に詰めろ! 支援・衛生兵は、弾薬含む装備を多めに持って行け! 各小隊長は分隊長を動かせ! 隊員の装備を確認しろ!」


 続きを振られたヴァネッサが全員――と言っても、主には別部屋から集まって来た小隊長に指示を出す。


 二五〇名を彼女ひとりだけで指示することは不可能だ。各部屋に分かれているいくつかの小隊はそちらでやってもらう。


「三十分で兵舎前に集合だ! 点呼を行うぞ、遅れるな! 遅れた小隊は腕立て伏せだ! 急げ!」


 元々騎士団長をやっていただけあって、指示の出し方がDHUの指揮官などと比べてもベテラン感すら漂っている。


 その他の騎士・従士たち訓練兵を見ても、七週間の促成栽培と思えば上出来な動きができるようになっている。


 翼はそう感じていた。







 ここで数日前に時を遡る。


「マッキンガー中佐、訓練の仕上げはどうされるおつもりでしょうか?」


 今週の報告書を手渡されたところで、おもむろにヴァネッサが問いかけてきた。


 元々彼女は中隊――もとい、騎士団を率いる立場である。

 そのため、こうして訓練状況の報告に来た際、ロバートたちとでコミュニケーションを取ることにしている。


「ライフルの訓練に時間をとったせいで、長期行軍の訓練が後回しになっていたからな……。盗賊の討伐をやってもらうつもりだ」


 隠すような話でもない。ロバートはプランを開示する。


「匪賊の討伐ですか」


「そうだ。どう思う?」


 今さら言うまでもなく、訓練にはヴァネッサの協力が必要だ。

 元の地位に甘んじるわけでもなく、誰よりも努力した上で訓練中隊を引っ張って行っている。


 訓練の方向性についても、教官から見た部分と中隊副指揮官から見た部分をすり合わせて都度相談しているのだ。


「……たしかに必要な経験かと思います」


 ヴァネッサは同意を示した。


「実戦とまでは言えないが危険は相応にある。必要な実地訓練だろ?」


「長距離の移動経験はあっても、軍事行動には慣れていません」


 ヴァネッサはボカしたが、実戦経験のない人間の方がはるかに多いのだ。


「いざ実戦になって『人を撃てません』では話にならない。無様に死なせるために訓練をしたわけじゃない」


「おっしゃる通りかと」


 経験の有無は実戦でまともに戦えるかを分ける大きな要素だ。

 人命に対する意識が根本的に異なるこの世界ならば、あまり大きな問題とはならないのかもしれない。


 だが、それはあくまで対魔族戦線での話だ。

 魔族が相手なら“人類の仇敵”として躊躇なく戦えても、相手が人間の場合はそれが当てはまらない可能性がある。


 そう考えると、訓練だけで実戦に放り込んでいる地球軍隊よりもずっと――いや、やめておこう。銃は剣や槍とは異なるのだ。


「……では、決定だな」


 こうした背景から、ロバートたち教官勢は訓練の仕上げとして、約一週間におよぶ長期行動訓練を計画した。


「欠員も出ていないから各小隊の編制もすんなりいったな」


 幸いにして今までに脱走兵は出ていない。

 尚、中隊とは言うものの実質的には二個中隊以上の規模であるため、当初の予定通り、歩兵五個小隊と本部付小隊(一個小隊)、騎馬一個小隊に分けている。


 いわゆるチームとして協力および競わせることで、結果として中隊の結束は以前にも増して強くなった。

 精神的支柱であったカテリーナの存在だけでなく、自分たちの生きる場所を作り出すため戦う覚悟を決めたとも言える。


 二五〇名の各員は今も真剣に訓練へ打ち込んでいる。真剣なのは誰が見てもわかるほどだ。


 だからこそ、彼女たちが真の兵士となるための“仕上げ”が必要なのだ。



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