第237話 思惑
柔らかな月明かりが窓ガラス越しに差し込んでくる。
秋を間近に控えた涼やかな空気は澄み渡り、雲もなく夜空の星を輝かせていた。
静寂さを湛えた空気を邪魔せぬよう、室内は明るさを控えたダウンライトの灯りとテーブルの置かれた蝋燭の火だけで薄暗く保たれている。
不意に窓から入って来た風で炎が静かに揺らめき、斜向かいに座る男女ふたりの顔の影を躍らせた。
「騎士団――いえ、今は訓練中隊でしたか? 彼女たちはいかがでしょうか?」
ダウンライトの灯りを浴びた女――カテリーナが優美な曲線を描く足を組んだ。
「報告書は読んだ。相当シゴかれたみたいだな」
ワインのボトルを持った男――エリックが答え、グラスに注いだワインを手渡す。
「そうですか……。彼女たちも多少は訓練を積んでいるので対応できると思ったのですが……」
そっと息を吐き出したカテリーナは、渡されたグラスに入った赤色の液体――ワインを灯りに透かした。
重すぎないミディアムの飲み口に光を通すくらいの色と香りの豊かさ。パラディアムに来てから何種類か飲ませてもらったが、今飲んでいるものが彼女の好みだった。
自分の反応を見ていてエリックが選んでくれたのだろう。
日頃の態度は素っ気ないが、こういうところは抜かりのない人間だ。
「俺自身、経験があるからわかるんだが、連中の訓練は簡単じゃない。護衛程度に必要な訓練かと思わんでもないな」
エリックにしては珍しく困ったような笑みを浮かべていた。
最近、こういう表情を見せてくれるようになった。カテリーナは密かにそう喜んでいる。
それはさておき……。
「教会本部での見事な手際からよかれと思ったのですが……。お頼みするところを間違えたのでしょうか?」
ワインを飲んだカテリーナがグラスを置く。
液体を吸って濡れた唇が光を浴びてどこか艶めかしい。
「どうかな……」
視線を外して、エリックも自身のグラスを傾ける。
「あいつらは初めからこっちの人間とも上手くやれていた。だから任せた面もある。ただ……」
「ただ?」
「そちらの思惑を何となく察しているんだろう。ちゃんと言ってくれないからやりにくくて仕方なさそうだが」
「……はて、思惑とは?」
カテリーナはにこやかに微笑む。
わかっていてそう答えているのだ。本人としては会話を楽しんでいるのかもしれない。
「そちらがそう答えるなら俺から聞くことはない――なんて言うわけないだろ。ウチの精鋭を便利屋みたいに使いやがって」
ワインをひと息で呷ってエリックは鼻を鳴らした。
ボトルが差し出され、空のグラスに液体が満たされていく。
「まぁ、ひどい言われ方ですわ」
言葉とは裏腹に、カテリーナは楽しそうに手首を使ってグラスを揺らすと、同じくひと息に飲み干した。
「どうせ、こちらが理解しているとわかった上でやってるんだろう? 真面目な話、どうするつもりだ?」
肩を竦めたエリックはそこからさらに一歩踏み込む。視線が鋭くなった。
「教会との和睦は成った。たとえ、それが仮初の平和であってもな」
「喜ばしいではありませんか。魔族との戦いが続いている以上、人類内部で争っている場合ではありませんでしょう?」
「建前はそうだな。だが、そうした状態でおまえは何を考えている? 護衛部隊を手元に置いておきたいのは理解できる。それと彼女たちを精鋭に育て上げたい理由が正直結びつかない」
思惑がわからないまま片棒を担がされては敵わない。
カテリーナのことは相応に信頼はしているが、もし問題が起こるようなら、その影響も織り込んでおく必要がある。
「……南大陸の情報が欲しいのです」
「南大陸?」
エリックはオウム返しに問い返す。ワインの表面がわずかに揺れた。
空軍を遊ばせておく理由もないため、訓練も兼ねて偵察機を頻繁に飛ばしている。地理がわかっていないわけではない。
南に大陸があること、その沿岸部に文明が存在していることも確認している。
ただ、カテリーナがそこへ言及する理由がわからないのだ。当人も向けられる視線からそこは理解しているようだった。
「人類圏とひと言で申し上げましても、実のところ団結と呼べる形で魔族と対峙しているのはこの大陸の西半分だけです」
残り半分の東側も、およそ文明と呼べるものは亜人領域以外には確認されていない。
そして、そこはすでに新人類連合の影響下にある。
「正直、教会も海を越えた先の南大陸に関しては影響力を持っておりません。一部商人が細々と交易をしているだけで、国同士の繋がりもないようなものです」
明言は避けているが、おそらく教会にはそちらに対応する余力がないのだろう。
「簡単な話ではないな。陸上で兵力を送り込むのと、海を越えて送り込むのとでは必要なリソースに雲泥の差がある。千人送り込むだけでもどれだけの船が必要か」
モンゴル帝国が日本へ侵攻したように、一大勢力圏を有していて初めて可能な行為なのだ。
魔族と戦っている教会がそこまでには達していない。〈パラベラム〉もそう分析している。
「ですが、あなたがたならできますでしょう?」
「……可能ではあるな」
カテリーナのグラスへワインを注ぎながらエリックは答える。
隠すことはしなかった。
空すら飛べる連中が大陸の向こう側に行けない理由――
「乗り気ではありませんか?」
「少なくとも即答できる話じゃない」
より上位に
だが、〈パラベラム〉のリソースも無限ではない。今でも少しずつ増強を続けている状態だ。
現地の教育も必要ある以上、派遣部隊だからと言って――いや、だからこそ無秩序に兵力を
そこまで考えたところでエリックはある仮説に辿り着く。
「……まさか、そこに騎士団を使うつもりか?」
言葉を受けたカテリーナは微笑みを崩さない。
だが、どこか硬い――覚悟のようなものが滲んでいた。
「いずれ何らかの変化がこの大陸にも訪れるでしょう。魔族の攻勢なのか、教会の影響力が変わるのか、いずれかはわかりません。その際、戦える兵力がなくては後手に回って終わります」
「考えたな……。斥候はマッキンガー中佐たちで、続く尖兵として訓練を受けた騎士団か。たしかに手ずから育て上げればどんな連中でも情は湧く。……策士というよりも悪女のやり口だぞ」
「承知の上です。必要であればその汚名も被りましょう。何もできない聖女など無意味な存在です。また、彼女たちも戦うのは覚悟の上です」
「でなければ東方に押し込まれて終わりか」
「そうなりますわね」
本部に残っての改革は諦めたが、すべてを捨てたわけではない。
カテリーナは言外にそう告げていた。
「たしかにこれ以上の西進は要らない軋轢を生むが……」
エリックは腕を組む。
頭から否定しないのは〈パラベラム〉にもメリットがあるからだ。
特殊部隊を派遣しておけば、一個中隊二五〇名(+α)が現地活動要員として使える。通常部隊の派遣も幾分か抑えられる。
幸いにして和睦の成立により余裕は生まれた。
今や
カテリーナもそこまで計算して可能性があると判断したから思惑を語ったのだ。
「検討する余地はあるな。実行に移すかは別として、備えとしては悪くない。あとは……お嬢様たちが訓練を乗り越えられるかどうかだ」
お飾りお嬢様騎士団が常駐していてはいずれトラブルになる。だったら、早々に取り込んだ方がマシなのだ。
「そう願うのみですわ」
ワインを飲み干して立ち上がったカテリーナはエリックの隣に腰を下ろした。
「おまえも訓練兵として汗をかいてきたらどうだ?」
「わたくしにはこちらで十分ですわ」
呆れた表情のエリックに構わず指先が服の上を這う。
「欲望に正直すぎるぞ」
「ふふふ、愛の聖女ですから」
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