第236話 下準備完了


「返事はどうしたぁ! 舐めてんのかコラァ! 戦場でおっぬ前にぶち殺すぞコラァ!!」


「イ、イエッサー……!」


 訓練兵たちからヘトヘトの返事が返ってくる。


「声がちいせぇって言ってんのがわかんねぇのか! 理解できないなら身体でわからせてやるぞ! 屈み跳躍の姿勢を取れ!」


 獣の瞳でロバートはまだ吼える。


 将斗に追従するヴァネッサですら、表情はもう見事なまでに死んでいる。

 この世界に屈み跳躍の訓練はないが、将斗に続いてちゃんと姿勢を取っているのは評価できる。


 ちなみに、この時点で八割以上の騎士と従士が泣いている。

 あとは泣くこともできず死んだような表情をしていた。


「いーち!」


 ヴァネッサがピョンと飛び、周りはまったく飛ばない。いや、飛べない。


「オイコラァ!! 数が聞こえなかったのか!? もう一回やるぞ、いーち!」


 声を上げた将斗がピョンと飛ぶ。ヴァネッサもなんとか続く。

 周りはもう動かない。動けない。

 ひとりが両膝のみならず両手をついてボロボロ泣いていた。


「誰が後背位バックのポーズになっていいって言った!? なぁ!?」


 すぐそばまで行ったエルンストがしゃがみこんでなじる。


「もう、むりです……。ごめんなさい、すみません、ゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてください……」


 とうとう壊れたラジオみたいになってしまった。


 皆がもう限界なのは知っている。見た目はさておき、教官たちは名うての特殊部隊出身者だらけだ。

 彼らの訓練に近いことを始めれば、素人に毛が生えた程度の少女たちがくたばるのは無理もないことだった。


「無理じゃねぇんだよ! やれって言われたらやるのがおまえらの仕事だろうが! 軍隊舐めてんのか!」


 だが、エルンストは許さない。

 返事の代わりにすすり泣く声ばかりが周りから聞こえてくる。


「これでわかっただろう! 貴様らはヒヨッコだ! 当代聖女殿の護衛役として騎士団の名を冠していたが、それはまったくの名目でしかない! 今の貴様らはシメられるのを待つだけの雌豚どもだ!」


 ロバートが全体を見回して声をかける。


 そろそろ心が折れた頃だ。


 しかし、それは再起不能を意味しない。ここでケツを蹴り飛ばしてタルんだ根性を鍛え直す。


「だが、この訓練を乗り越えることができれば、貴様らは一端いっぱしの戦士にして殺戮機械キリングマシーンとなる! そこらにいる兵士ではない。いくさの神から加護を受けた死の戦士ウォーリア・オブ・デスだ。その日まではウジ虫以下――この世で最下等の生命体だ! 貴様らは人間ではない! 魔物のクソを人の形にしただけの存在だ!」


 誰も言い返せない。

 体力に劣り、課された訓練を乗り越えられなかったのだから。それがますます涙となって目からこぼれ落ちる。嗚咽も聞こえてくる。


「貴様らは厳しくシゴく俺たちを憎むだろう。しかし、憎めばそれだけ多くを学ぶ! 生き残る可能性も上がる! 俺たちは厳しくやるが区別も差別もせん! 貴族だろうが敬いもせんし見下しもしない! なぜかわかるか!? すべて! 平等に! 価値がないからだ!」


 教官の言葉が胸に突き刺さる。

 家名は何も守ってくれなかった。今までやってきた訓練などお遊戯だったのだ。そう心底思い知らされる。


「己の無力さを噛み締めているだろうが、聖女カテリーナ殿が望んだ以上、貴様らにはこの訓練を乗り越えてもらう! 実家の家名なんてチラつかせてみろ? 全員で魔族支配地域まで出張ってハイキングさせるぞ! 言っておくが、脅しじゃないからな!! ――いいぞ」


 叫ぶだけ叫んだロバートは、最後に通信機を取り出してスイッチを入れた。


『こちらイカロス1、もういいか? 訓練時間をズラせなんて無茶言いやがって……』


「悪かったよ。に使いたかったんでな。飛ばしていいぞ、A/B全開で離陸してくれ」


『了解。チビんないように言っといてくれ』


「どうかな、何人かもうチビってるかもしれん」


『ははは、そりゃひでぇ』


 笑い声が返ってくると同時に、遠くから甲高い轟音が響き渡ってきた。


 度重なる罵倒を受けて涙をこぼしていた訓練兵たちも何事かと視線を上げて辺りを見回す。


 次の瞬間、彼女たちの反応を待っていたような轟音が生まれた。

 瞬く間に耳が割れんばかりの音となり、低い唸り声にが重なるようにも聞こえる中、猛烈な音を立てて真上を飛んで行く鋼鉄の剣――F-4E ファントムⅡがアフターバーナー全開で離陸していくのが見えた。


 極限の疲労を、未知のものへの驚愕が上回った瞬間だった。


「見ただろう? アホなことをしやがったら、空飛ぶカラクリに乗せて空から叩き落としてやるからな!」


 訓練兵全員が首を縦に振っていた。直感的に理解したのだ。


 けして冗談で言っているのではないと。


「全員、その場に起立!」


 号令をかけると訓練兵たちが動かない身体を押して立ち上がる。


「よく聞け! 俺たちの使命は中隊に紛れ込んだ役立たずを刈り取ることだ! 愛する中隊の害虫をな! わかったか、ウジ虫ども! 貴様らのようなクズどもが東方派遣聖女殿の護衛役を名乗るなどおこがましい! 聖女殿もこんな連中に任せるんじゃなかったと後悔するだろう! 俺たちも見込み違いだったと落胆せざるを得ない!」


 完全に空気を掌握したロバートの言葉に、訓練兵たちは力なく項垂れるしかない。


「だが、そんなことにはさせん! 俺たちはのために貴様らを鍛える! 貴様らが泣いたり笑ったりできなくなるまでシゴいてシゴいて、プッシーから小便どころか血も何も出なくなるまでシゴき抜いてやる、覚悟しておけ! 泣き言は許さん。落伍も許さん。騎士だ従士だだのつまらん理由で仲間を見捨てることも許さん。この中隊で訓練を受けると決めたからには、死ぬかまっとうな兵士になるかのどちらかひとつ――あるいは両方だ! 今ここで覚悟を決めろ!!いいか!!」


 畳みかけるようにロバートは吼える。これで反応がなければダメだ。


 だが、そんなことにはなってほしくないとも思う。


「「「イエッサー!!」」」


 返事が返って来る。まだまだだ。


「声が小さい! 根性見せろ!」


「「「イエッサーッ!!!!」」」


 やけくその悲鳴のような叫びだった。ようやく腹に力が入りつつある。


「やればできるじゃねぇか。明日からも訓練に邁進しろ。ベッドでくたばる前にしっかりゲロの付いた服を洗っておけ淑女諸君。野郎どもの股座がイキり立つくらいの色香も失うな。――以上、解散!」


 これ以上やっても効果はない。いや、それ以上のモノを心に植え付けた。

 それだけで十分だ。

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