第235話 ワンモアセッ!
「見事に全滅ですね」
全体を見渡して嘆息した翼。
さすがに二時間も走れば汗だくだが、息だけで見ればいくらか上がっているくらいだ。
尚、将斗をはじめとした“レイヴン”チームは、まだまだ走れそうな感じでゆっくりとクールダウンの運動をしている。
生理反応としての汗はかなりかいているが、表情に疲労の色は見られない。
彼らにしてみればハイキングくらいの感覚なのだろう。
むしろ、物足りないと言わんばかりだ。
「マッキンガー中佐、報告します。見どころのある人間はオルドネン中隊副指揮官のみ、命に別条のある人間はいなさそうです」
敬礼しながら翼はロバートに報告を上げる。
「ご苦労。……野郎ども、お嬢様がたに水を持ってきてやれ。
「「「イエッサー!」」」
「頼むぞ」
受けたロバートは答礼して、まだまだ動き足りなさそうなチームメンバーに水を取りに行かせる。
残念ながらここに井戸はない。
また、人数が人数なのでタイヤ付きの給水タンクをあらかじめ用意しておいた。
「この時期なら乾く。遠慮せずぶっかけろ」
さすがにまだ給水車――
カテリーナ配下とはいえ、確固たる信頼関係を構築できているわけではないのだ。
訓練から逃げるついでにこちらの内情を漏らされては困る。
「――さて、オルドネン副指揮官、どうだ余裕だったか?」
膝をついて肩で息をしているヴァネッサに問いかけると、さすがの彼女も今回ばかりは力なく首を振ってきた。
言葉を返せないほどに息が上がっている。
当然と言えば当然だ。そうなるようにやったのだから。
「オオヨド少佐、君は平気か?」
「ええ、昔それなりにやっておりましたので」
ロバートが問いかけると翼は頷く。
それを見てヴァネッサが信じられない者を見る目を向けた。
「ならいい。これからも頼まなきゃならんからな」
ちょうど横合いの将斗から濡れタオルが差し出された。個人副官の名に劣らない見事な働きだ。
「ありがとうございます、霧島大尉」
翼はどこか嬉しそうに礼を言って顔と首の汗を拭う。水分を含んだ濡れ羽色の髪がどこか艶めかしい。
――まさかこうなるなんてなぁ……。
将斗は密かに昔を思い出して嘆息する。
小さい頃、翼は丘の上のお屋敷のお嬢様で、自分とは程遠い存在だと思っていた。それが、いつの間にか一緒に遊ぶ仲になっていた。
ぱっと見た感じは硬めの文学少女でも通じそうだが、粗雑な振舞いをしないだけで存外アウトドア派なのだ。
そうでなければ、普通の大学進学を止めてまで防衛大学校から幹部で自衛隊(後に自衛軍に改称)へ入ったりはしないだろう。
かく言う自分も同じルートだが、べつに翼を追いかけたわけではない。古武道の関係でOBのスカウトがあったから入っただけだ。
それが異世界で、こうして再会どころか共に働くことになるとは思いもしなかったが……。
「オルドネン中隊副指揮官、いつまでも生まれたての動物ごっこをしていないで立ち上がってください。辛いでしょうが、あなたがやらないと部下は動きません」
周りを見ると、ダウンした訓練兵たちが死んだような目をして座り――へたりこんでいた。
誰ひとりとして動こうとしない。
「イエス、マム……」
そんな中、ヴァネッサが呻きのような返事をしてどうにか立ち上がった。
「ここからは俺が代わろう。……よし、お嬢様がた、休憩は終わりだ! 五列横隊に集まれ!」
ひと区切りついたと、ロバートが声を出す。
翼の役目はひとまず終わった。
ここからはまた自分たちがやればいい。
しかし、声をかけても訓練兵たちは一向に集まらない。動けないのだ。
「将斗、引率ついでにちょっとカマせ」
上官からの命令を受けて、将斗は見えないところで溜め息を漏らした。
――あまりキャラじゃないんだけど。
「何時までみっともなく座ってんだ、クソガキども! 五列横隊に集まれと命令しただろうが! 聞こえねぇのか!」
覚悟を決めた将斗が腹から怒鳴る。
「なに勝手にくたばりかけてんだ! ちょっと歌いながらジョギングしただけだろうが!」
「ここは託児所かぁ!? ヘバっててもミルクは出てこねぇぞクソガキども!」
「
続けてチームメンバーが口々に罵声を並べながら、ホースで水をぶっかけながらゲロを流していく。
届かなかったり本当にゲロまみれのところにはバケツで直接ぶっかけた。
冷たい水と一緒に怒鳴りつけると、全員がずぶ濡れのまま慌てて並びだす。
これには騎士も従士もない。強いて言うなら従士の方が体力があるように見えた。
とはいえ、そんなものは誤差の範囲だ。
「できるなら最初からやれ! 舐めてんのか! 最後列以外! 三歩前!」
ロバートの号令で将斗が最右翼最前列で前に進み出た。
ヴァネッサも青い顔のまま続く。
これから何をするかはわかっていないが、教官であり先導役である将斗に倣っておけば最低限大丈夫と理解しているのだ。
「半ば右向けー、右ッ!」
全員が言われた通りのまま動く。どちらかと言えば将斗の真似だ。
「腕立て伏せの姿勢を取れ!」
そこでパッと動けるのは将斗だけだった。やや遅れてヴァネッサが続く。
「昨日やっただろ! 腕立て伏せも覚えられねぇのか、ここのクソガキどもは!」
ロバートが怒鳴ると全員がヘロヘロのまま腕立て伏せの姿勢を取った。
他の教官たちもすでに腕立ての姿勢になっている。
「おまえらは訓練開始したばかりのヒヨッコ部隊だ。過去に教会本部で殴られたり鞭で打たれたりしたかもしれんが、この部隊ではそんな無駄なことはやらん! いくぞ、いーち!」
腕立て伏せの号令が響き渡る中、ロバートが声を張り上げる。
この状態で腕立てができる人間は訓練兵の中にはほとんどいない。腕が震えていて姿勢を維持するのがやっとだ。
「誰が股を地面に擦り付けろって言った! 人に見られてサカってんのか! ここは娼館じゃねぇ、訓練場だぞ! ゲロまみれのテメェらに欲情する男なんかいねぇぞボケナス!!」
「初めて来た国の地面だぞ!? ファックしたがるなんてとんだ
「食い詰め貴族の厄介払いで外に出された残りカスが貴様らだ! ……なんだその目は! 迫力なし! 根性あるならちゃんとやれ!」
動けない者たちへ立ち上がった教官から猛烈な罵声が浴びせられる。
「罰の代わりに、おまえらクソガキどもにはこうして筋力トレーニングをしてもらう! 勝手にくだらん喧嘩でもしてみろ! 全員で反省させるぞ!」
ロバートが怒鳴りつけるが、もう威勢のいい言葉どころか返事すらも返って来なくなっていた。
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