第234話 挨拶は実際大事
「訓練中隊、全員集まりましたか? 中隊副指揮官、訓練兵たちに問題ないか確認願います。個人副官、仕切ってもらいますよ。準備はいいですか?」
五列横隊で整列した訓練兵たちを見て翼はヴァネッサと将斗に問いかける。
「大丈夫です」
将斗はレッグホルスターのHK45T拳銃にダミーの弾倉を入れ、軽く準備運動をしている。
いつもの刀はランニングには腰に佩くと邪魔なので持って来ていない。背負うなら鉄の棒でいいとした。
「訓練中隊、全員揃っています」
ヴァネッサが直立不動で答えた。
「あの……隊長たちも走られるのですか?」
続けて控えめな問いかけがあった。
周りではロバートたちも同じように準備運動をしている。
百合騎士団が教会本部にいた時、教官役の騎士は一緒に走ったりはしなかった。
広く設けられた訓練場を何周もさせるので、わざわざ着いて行かずとも監督できるからだ。
「はい。あの場にいる人間は全員参加です」
翼はヴァネッサの意図まで理解した上で答えた。
それくらいしなければ、また勘違いをする者が出てくる。
徹底的に彼我の実力・体力差を見せつけなければならない。
もしもそこで劣るなら、そもそも〈パラベラム〉はこの世界に必要ないはずだ。
「では、あらためて列を組みますので並んで下さい。中隊副指揮官は先頭へ。騎士と従士は分けましょう。騎士が前で従士が後ろ。所々に教官たちが並んで補助するようにします」
「それじゃあまずは早足から。各員、前へ進め。霧島大尉、お願いします」
「イエスマム。――行くぞ! 1、1、12!」
将斗が歩調をかけながら歩き始める。
残る全員が、掛け声に合わせて復唱する形で地面を蹴っていく。
訓練兵たちはこういった動作に慣れていないため、歩調が上手く揃わない。
その中で、まだ適応力があるのは騎士だった。
後ろに付かせていたら、従士たちに罵声を浴びせていたかもしれない。
もちろん、勝手な真似は教官たちが許さない。
「どうした! 声に合わせて手足を動かせって言ってるだけだぞ! こんな単純なことができねぇのか! そんなんじゃ戦に間に合わねぇぞ! 敵の前に無様を晒すつもりか!」
仲の悪い連中の代わりにエルンストから罵倒が飛ぶ。
言ってすぐにできるものではないが、これはそのための訓練だ。言わねばならない。
そうでもしなければ、いつかできる日が永遠に来ない。
しばらくの間、訓練場となった空き地を歩いていく。
「では、そろそろいきます。――駆け足」
全体が軽く慣れ始めたところで、号令に合わせて将斗が走り出す。
それ合わせて歩調を取る。1、1、1、2と。
一キロを十分くらいかけて走る、本当にゆっくりの駆け足だ。
しばらく続けてから様子を見ると、全員余裕そうである。
「ただただ走るだけだと余裕そうですね。これでは訓練になりませんから、ちょっと変わった歩調を取りましょう」
だいたい列の真ん中にいる翼が声を上げた。
周りの教官から異論はない。
むしろ「ようやく少し運動らしいことができる」とでも言わんばかりの空気だ。
「霧島大尉が手本を見せるので、まずはみなさん見ていてください」
将斗を見ると「本当にやるの?」と心配する顔をしていた。どうなるか目に見えているからだ。
もっと言うと、翼がやろうとしているもの――連続歩調はリズムの文句を考えて数える側が一番面倒臭いのだ。
だが、立場があるので不満は口にできない。すぐに諦めた。
「……じゃあいきます。調子を乱さないように」
諦めた将斗は息を吸い込み、それから口を開く。
「本日!」
「本日!」
「晴天!」
「晴天!」
「今日も!」
「今日も!」
「天気が!」
「天気が!」
「いいね!」
「いいね!」
「だったら!」
「だったら!」
「もっと!」
「もっと!」
「元気よく!」
「元気よく!」
「走って!」
「走って!」
「みよう!」
「みよう!」
外から見れば何ら難しいことはしていない。
単純に将斗の言葉を復唱して走るだけだ。
「これが訓練?」「簡単じゃないか」
早くも訓練兵の中からそんな声が聞こえてきた。
未だに蛮族のくだらないやり方と思っているかもしれない。
――今はそう思っていればいい。
将斗も段々と訓練兵たちの舐め切った態度に苛立ってきた。
これまでは女性だからと遠慮していたが、「そろそろお客様期間は終わりにしていいのでは?」と思い始めていた。
「ええ。皆さんの体力を測るのが目的の簡単なことです。これなら続けられますね?」
淡々と走る翼が問いかけた。
訓練兵たちから戻って来たのは「舐めるな」とか「余裕だろ」とかそういう舐め腐った返事だ。
この歩調を散々に経験した将斗は「やれやれ……」と言いたげに溜め息を吐いていた。
“今日は晴天、気分も明朗”
“ここは東方、平和の地”
“だったら元気に声も出る”
“まだまだ走るよ”
“1,1,1,2、そぉれ!”
“まだまだ元気が足りてない”
“全然声が聞こえない”
“今日も元気に走るため”
“大きな声でご挨拶”
“おはようございますー”
“おはようございますー”
続けると段々声が小さくなっていく。走りながら声を張れなど普通はやらない。
だからこそキツさの実感がないのだ。
ここでそれを実感してもらう。
「挨拶舐めてんのか! 挨拶は大事だって古文書にも書かれてるぞ! 礼儀も知らねぇボンクラ揃いか!」
「もっと腹から声を出さねぇか! 股にも力入れろ! 処女膜から声が出てねぇぞ!!」
我慢できなくなった将斗が叫び、ついでにスコットからセクハラど真ん中の罵声が飛ぶ。
怒りの声か悲鳴のひとつでも上がりそうなものだが、すでにペースを維持することに意識を持って行かれつつある訓練兵たちはそれに気付かない。
二時間も経つ頃には、教官たちとヴァネッサ以外は全員ゲロを吐いて地面に沈んでいた。
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