第228話 モーニングに君と


 それからまたひと月の時間が流れた。


「しかしまぁ……今思い起こしても、上手くやったものだと感心する」


 朝の澄み渡る空気を浴びる青年。コーヒーカップを片手に言葉を漏らしたのはバスローブ姿のエリックだった。

 

 温暖化の進む地球ほどではないが、それでも暑い夏がようやっと過ぎ、ほのかに秋の気配が漂い始めた。

 空の向こう側が遠くに感じられるパラディアムの空の下では、訓練場から兵士たちの駆け声と時折訓練教官の怒鳴り声が聞こえて来る。

 いつもの、それでいて平和な日常の音だ。


 ここはパラディアム基地のすぐ外、小高い丘に面した場所に設けられた高級士官用の個人宿舎である。

 どこぞの高級住宅街よろしく、標高でざっくり上層部と下層部に分かれていて、将官以上が上層に住んでいる。

 この先、幹部が増えてもいいよう建物間には広いスペースが設けられているが、今のところ准将のエリックはハーバードと同格でNo.3の地位にいるため最上層に住めていた。


「あら、ご不満が? 上申をした際にお止めになりませんでしたでしょう?」


 背後からの声。視線を動かすより先に、エリック同様にバスローブを身に纏ったカテリーナが隣に並んだ。


 彼女の持つカップにはたっぷりのミルクを入れたカフェラテが湯気を上げている。

 ささやかなコーヒーとミルクの香り、それと先ほど浴びたシャワーで使った石鹸ボディソープの香りが混ざってエリックの鼻腔に届いた。


「それはそうなんだがな」


「では何か?」


 小首をかしげるカテリーナ。その向こう側を鳥が飛んでいく。


 やはり高台に位置するだけあって、見晴らしも良く風が通って涼しい。

 なによりもいいのは外から見えないことだ。

 おかげで、カテリーナが夜毎よごと突撃して来ても目立たずに済む。


 彼らふたりの仲――主にカテリーナからロックオンされている話――はパラディアムでも半ば公然の秘密となっているが、なんでもかんでも筒抜けなのは勘弁してほしかった。

 せめてこのくらいのプライバシーは保たれて欲しい。


「すべて持って行かれてしまったみたいで、なんだか据わりが悪いんだ」


 言葉を並べながら、エリックは我ながら仕方のないことだと小さく笑う。


 しかし、今思い出しても不思議としか言いようのない顛末だった。


 当初から難航すると予想された交渉はあっという間に終わりを告げた。

 一歩も引く気配を見せなかった教会側は、“とびきりの爆弾”を放り込まれたことでたちまち大混乱に陥った。

 会議の場に乗り込んで来たカテリーナによって、用意していたすべての手札が狂ってしまったからだ。


「わたくしも、あそこまで上手くいくとは思っておりませんでしたわ」


 火傷しないよう慎重にカップを口に運んだカテリーナが微笑んだ。


「すべて予想通りだったなら今からでも遅くない、史上初の女教皇ハイ・プリーステスにでもなるべきだな」


「褒め過ぎですわよ。単なる偶然ですわ」


「だろうとも。まさかたった一日で片付くなんて誰が予想したか」


 鼻先で笑ったエリックはコーヒーを呷る。酸味と苦味が脳の覚醒を促してくる。


「ですが、ああでもしなければまるで進まない会議になっていたと思いますわよ? 早期解決は結果でしかありません」


 悪びれもせずにカテリーナは視線を向けてきた。


「わかっちゃいる」


 ここまで上手くいったのはカテリーナの言う通り結果論だが、事前に作戦を聞いた上で〈パラベラム〉としてGoサインを出してもいる。今更ケチをつけるわけにもいかない。


「まぁ、味方の援護に見せかけた奇襲が一番効果的なのは間違いないが……」


 欄干にカップを置いてエリックは肩を鳴らした。

 たしかに、カテリーナがいなければ再び物別れに終わったか、あるいは幾日も無駄に費やしていただろう。


「彼らにはいい薬でしょう。目先のことに優先順位を見誤ったのですから」


 果たしていつの間にそうなったのか。『聖女カテリーナの新人類連合駐在教導役就任と、それに伴う捕虜解放』が元からの目標であるかのように、どこかで話題がすり替わってしまった。


 こうなると話は別の側面を帯びてくる。


 聖女となれば重要ポストだ。この先最低でも十年は交代はないと思われていた。

 ところが、にわかに自身の派閥からが出て来たのだ。


 このような辺境で悠長に交渉している場合ではない。一刻も早く本部へ戻らなければ。

 誰もがそう色めき立ち、新たな至上命題が生まれてしまった。


「あんなの誰だってできるわけじゃない。そういう意味では聖女様々だな」


 端的に言えば、カテリーナは内ゲバを煽ったのだ。

 教会内の政治闘争を煽るネタをブチ込んだわけだが、予想を上回る抜群の効果を発揮してしまったと言える。


 もっとも、そこに至る裏側もしっかり盗聴されていて〈パラベラム〉は戻ってくる交渉団相手に笑わないよう必死であったのだが。


「自分たちが世界で最も優れると考えている相手とまともに交渉するからいけないのです。飽くなき欲を抱える方々に別の目的を用意して差し上げればよろしいのですわ」


「いや、お見逸れしたよ」


「そう思われるのでしたら、もっとわたくしにご褒美があってもいいと思うのです」


 そう言って距離を詰めて来るカテリーナ。


「まだ、朝なんだが」


「せっかく和平が成ったのです。よいではありませんか」


 いつものように、カテリーナは二の腕に頬を擦りつけてくる。

 本人はスキンシップと言うが、もうちょっと直接的な気配がしてよろしくない。


「よく言う。頑張ったのは合法的にここへ居座れるからだろ。本音がダダ漏れだ」


 欲望に素直過ぎる性女にエリックは呆れを隠そうともしない。

 隠しても察してくれないから意味がないのだ。まぁ、隠さなくて意図的に無視されるわけだが。


「ええ。これで教会の目も気にせずエリック様と熱い夜が過ごせますわ」


 指摘すると開き直るように肯定した。これだからタチが悪いのだ。


「……それはちゃんとを納得させてからにしてくれ。いちいち決闘を挑まれたら堪らん」


 エリックが「アレを見ろよ」と視線で地上の方を促した。


 パラディアム全体を見下ろせる高台から視線を下へ向けると、女性だらけで構成された集団が本部基地の隣に設けられた居住エリアへと入っていくのが見えた。


「そういえば……今日でしたか」


「しっかりしてくれ、おまえ上司だろ」


 半分忘れていたと言ってのけるカテリーナ。エリックはますます呆れるしかない。


 そう、教会本部イノケンティアムを出発した百合騎士団がパラディアム入りするのが今日だった。


 教会との交渉の結果、六〇〇〇に及ぶ捕虜の身柄と引き換えに当代聖女カテリーナと、彼女を守る尼僧騎士である百合騎士団が東方領域へ派遣されることになった。


「三個中隊くらいか? 見たところ結構な人数だが、本当に教会は連中の駐留費用を出せるのか?」


 聖女を守る集団――騎士団ひとつが動くとなれば相応の大所帯となる。

 彼女たちが他国で活動するだけでも少なくない費用がかかるのだ。


 どこぞの国の「思いやり予算」ではないため、そうした費用を〈パラベラム〉が出す必要はない。

 べつに食費として現物支給くらいはできるのだが、敵対関係から和睦により仮想敵となった程度の相手にそれは不要だろう。


「もし出せなければ、騎士団に子弟を出している国々からの突き上げを受けます。教会の力をぐためにも必要な策ですわ」


 教会の人間とは思えない発言だった。もはや、心そこにあらずというやつだ。思い切りが良すぎて怖い。


「連中の手弁当にすれば実家に頼らざるを得ないか。それこそ各国の力を程よく殺げそうだが」


「ただでさえ各国は戦費を負担しているのです。これ以上は反感を買うだけです」


 元々「教会本部だから安心して派遣できる」と言われていたのだ。

 厄介払いでない騎士の中には国許くにもとから帰って来いと言われて仕方なく戻った者もいる。


 もっとも、それは例外と言うべきで、八割以上が当初の予定通り東方へとやって来ていた。

 多くは元が没落気味で面倒見切れない立場だったりしたため、単純に戻る場所がなかったのと、本人が窮屈な場所じっかへ戻るのを嫌がったのだ。


「なるほど。なまじ巨大な組織だけに、構成員の思惑も無視できないわけか」


「ええ。贅沢にはならない程度ですが、それなりの費用を発生させてくれることでしょう。手紙では乗り気でしたわよ」


 百合騎士団からすれば、教会本部はカテリーナを辺境に追いやった連中に見えることだろう。そんな組織に尽くす忠誠などない。信仰心とはまた別の問題だ。

 良くも悪くもカテリーナの薫陶を受けていると言えた。


「とんでもない連中を飼ってたんだな、教会は……」


「〈パラベラム〉がこの世界に来られなければきっとそのままでしたわよ」


「どうだか」


「ふふふ、駐留しているだけで何もしないのも体裁がよくありません。騎士たちは訓練に参加させましょう」


 ついでに私兵集団としての実力もつけたいのだろう。に行動を起こすなら彼女たちの力は必要だ。

 カテリーナは今からそれに備えているのだ。


「……まぁ、そちらの思惑はよくわかった」


 エリックは答えながら今後のプランを考える。


 費用に困るようであれば、彼女たちに治安維持業務を委託してもいい。それなら労働の対価として報酬を渡すことができる。

 『毒喰らわば皿まで』ではないが、戦力として取り込めるなら貴族として教育を受けた彼女たちは士官候補生とも呼べる人材だ。


 彼女たちはカテリーナのように帰るべき場所のない人間ではない。

 それぞれに故国の紐は付いているため、安易に地球レベルの軍事教練を施すことのリスクもある。

 しかし、将来的に教会の一強体制からの多極化へとシフトさせることを狙うなら悪い流れではない。


 ――これもまた楽しみのひとつとしておくか。


 エリックは残ったコーヒーを飲み干す。

 どこかいつもより苦く感じられたのは、あくまでこれが一時の平穏でしかないと理解しているからかもしれない。



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