第227話 そうかな……そうかも……
「さて、大変なことになりましたな……」
名目上の取りまとめ役となったモレッティ大司教はそう切り出したものの、すでに当初の空気とは大きく変わっていた。
「左様。一刻も早く対応をまとめねば」「あくまで一時休止に過ぎませんゆえ……」「モタモタしていては侮られます」
今やカテリーナの乱入を責めるよりも、いかにして自分たち(の派閥)が利益を手に入れるかだけを誰もが考えている。
――現金ですわね。わたくしが“生贄”になると言った途端にコレですもの。まぁ、そこまで狙ってやったのですが……。
さすがに礼拝の聖句くらいは唱えられるだろうが、神の教えなんてものはずいぶん前から頭の中には存在してはいまい。
これならいっそ僧籍を返上して文官にでもなるべき――いや、“僧官”とでも呼ぶべき態度だとカテリーナは心底呆れるしかない。
「聖女殿、ご提案は我々もよく理解しました。たしかに御身が赴けば、捕虜の返還もより現実味を帯びるでしょうが……」
言質を取られないよう空気は読みつつも、自分が切り出さねば話が進まないとモレッティは言葉を続けていく。
「されど大司教台下。聖女は本来イノケンティアムに在って教皇聖下とは異なる象徴となるべき存在」「当代聖女が外部に派遣されるなど聞いたことがありません」「まさにまさに。献身のご意志は立派なれど、現実にはどうされるおつもりなのですか?」「兼任など物理的に不可能でしょうに」
早速来た。遠回しな引退勧告だ。
「兼任など不要ですわ。新たな本部付き聖女を立てれば済むことでしょう」
想定済みの言葉だったのでさらりと躱し、返す勢いで爆弾を放り込む。これこそが“本命”だった。
正直、兼任しても〈パラベラム〉の本気なら隣の街に行くくらいの勢いで移動はできそうだが、そんな情報を明かす――利敵行為をするわけにもいかない。
「しかし、これまでに前例がありませぬ。教会の象徴たる聖女がふたり同時に存在するというのはいかにも――」
面倒な前例は作りたくない。
ひとりの司教が懸念を漏らしたが、本音までダダ漏れとなっていた。
どうしてもカテリーナの影響力を殺ぎたい、さらには自身の派閥から新聖女を擁立したいらしい。彼らは「当代聖女の座から降りたら?」と遠回しに言ってきている。
どこまでも勝手な物言いだ。
教会内の思惑で、政治力のない小国の没落貴族から選んで組織に縛り付けておきながら、邪魔になったら暗殺まで仕掛けてきたくせに。
内心で沸々と怒りが湧いてくるが、あと少しの我慢だとすべての感情を封じ込める。
「皆さまがどうしてもとおっしゃるのでしたら、わたくしは退いても一向に構いませんが……。さりとて、この身の一存ではどうにもなりませんわ」
カテリーナの言葉に僧侶たちは押し黙る。責任が生まれるであろう言葉に反応したのだ。
「それは……」「なにもそこまでは……」「最良の方法を考えているだけであって……」「聖女殿のこれまでの貢献を鑑みるに……」
今度は「そこまで言っていない」と煮え切らない態度が見え隠れする。下手に言い切って後で追及されたくないからだ。
いかに候補として有能でも、最終的に枢機卿会議で承認されなければ聖女にはなれない。
逆もまた然りで、病や死亡といった事情以外で勝手に降りることはできないのだ。
そういった意味では、カテリーナがしばらく行方知れずになっていたのは本来であればよろしくなかった。粛々と解任されていた可能性もあったのだ。
――結果的には、この煮え切らなさで首の皮が繋がったのでしょうが。
もっとも、本人はこの地へ来てから今まで以上に聖女の地位への未練などなくなっていた。
仮に解任されていてもまるで意に介さなかっただろう。
実際、今回の“企み”にしても、聖女の地位にまだ残っていたから最大限に利用しようとしているだけなのだ。
とんでもない思い切り方だ、これぞ
「本部に聖女が必要と考えるのは当然でしょう。されど、そもそも聖女を降りた者を派遣するようでは交渉はまとまりません。まず侮られていると受け取られますわ。そこは考えておいでなのでしょうか」
「聖女殿ともあろう御方が弱気なことを! 無礼千万な異端どもに配慮など不要です! 一度の敗北でわかるものかよ!」
ひとりの若い司教が吼えた。
家柄はさも立派だった記憶があるが面識と呼べるものはない。むしろ「あなたはわたくしの何を知っているのかしら?」と問いたくなる。
残念ながら、カテリーナにとって威勢のいいだけの若者の言葉など傾聴に値しない。
顔はそこそこだが、もっと落ち着きと教養、それとゾクゾクするような鋭さと危険な香りを感じさせてほしい。
具体的にはエリックだ。エリックでなければダメなのだ。
カテリーナのゾッコン具合もなかなかに仕上がっていた。
「そうだ、まだ負けてなどいない!」「精鋭軍から引き抜いてでも討伐軍を再編すべきではないのか?」「戦力といえばハイ・ワイバーンはどうなっている?」「あれこそうってつけだ」「一機でも投入すれば叛徒は殲滅できるだろう」「まだ実用化できないのか?」「完成間近と帝国の錬金術師からは報告を受けているが……」「それさえあれば叛徒だけでなく魔族とて!」
妄想を開始しかけていたカテリーナの前で、交渉そのものには参加できない若い司祭・助祭・それに護衛の僧兵たちが中心となって気炎を上げ始めた。責任がない分、口もよく回る。
――はぁ……。
つまらない現実に引き戻されたカテリーナは溜め息を吐きたくなる。
この熱狂も所詮は勢いだけのもの。根拠などないのだから。
討伐軍がボロ負けしたばかりか、虎の子のワイバーンまで
そうした事実をまずは認識すべきなのだが、目の前で目撃したわけでもない彼らには、どうしても現実として受け入れられないらしい。
教会の不敗伝説の弊害とでも言うべきか。その特権意識が交渉を邪魔しているのだ。
――ましてや盗み聞きくらいされているでしょうに……。
威勢のいい言葉を吐くのは勝手だが、敵地ともいえる場所でもお構いなしとは呆れるしかない。
同じく呆れている様子のモレッティ大司教の姿がチラリと見えたが、教会に居続けなければならない彼は恨みや反感を買いたくないため黙っている。
仕方ないのでカテリーナが動き、彼らに冷や水を浴びせることにする。
「あら、皆さま頼もしいですわ。これほど勇ましい方々なら次なる戦が起きても安心ですわね。指揮官も今回の交渉役の中から選ばれるでしょうし……」
エリックがこの場にいれば、彼女の態度を「わざとらしい」と評したに違いない。
しかし効果は
「もし何かあっても、わたくしを助け出していただけるのでしょうね」
カテリーナは「安心ですわ」と満面の笑みを向けるが、不思議なことに誰も目線を合わせようとしなかった。
強気な態度が取れるのも、あくまで安全な後方でふんぞり返っていられる間だけ――つまり責任のない今だけだ。
教会の力は信じているが、討伐軍があっさり負けた戦場に自ら出たいわけではないのだ。
「我らの主敵はあくまでも魔族。人類同士で争っている場合でないのも確か」
「相手側の反応にもよりますが、言ってみるだけの価値はあるやも……」
「この異端の地に、聖女の力を以って神の威光を知らしめることは必要かもしれませんな……」
「枢機卿会議に諮らねばなりませんが、教化のためであれば猊下たちも否とは言わないでしょう」
「平和を願う僧籍に身を置く者として、全力で支援する所存」
どの口が言っているのか。記憶力と人格を疑いたくなる言葉が次々に飛び出してきた。
自分自身が戦場に立つ可能性が出てくるとなれば、たちまち彼らは保身に走りだす。
――威勢だけはいい僧侶など、やはり害悪でしかありませんわね……。
湧き上がる不快感を表情の下に隠しながら、カテリーナは浮かべている笑みを深めた。
必要なのは次なる戦を起こして彼らを葬り去ることではない。教会そのものの力を徐々に削いでいけば良いのだ。
ゆえに、彼女は組織からゆるやかに離れると決意した。
「では、決まりですわね。皆さまのご了解も得られましたので、本案を対価として引き続き交渉にあたりましょう。それと、聖女候補筆頭であったクリスティーナ殿下の名誉回復も進めねばなりません」
先んじて「決まり」と言ってしまえばもう反論は難しい。流れを無視すれば“言い出した者の責任”が生まれてしまう。
そうして、教会交渉団はいつの間にか先頭に立った聖女カテリーナに煽動――もとい、先導される形で会談の場へと戻る。
教会の提案に対して新人類連合は、「聖女の身柄だけで数千の捕虜と釣り合う価値があるのか」と難色を示したが、これはすでに裏で話がついており、ただの時間調整である。
そうした態度はカテリーナも予想済みだったらしく、「護衛でもあり、各国貴族子弟で構成された
拉致被害者の進展があるまでカテリーナたちは動かない――実質的な人質を増やそうということである。
ここまで譲歩されれば致し方ないと、聖女カテリーナの提案と自己犠牲の精神と懸命な説得に折れる形で新人類聯合はこれを受諾した。
もちろん、教会勢にとっては青天の霹靂である。
カテリーナの東方派遣によって解体しようと思っていた百合騎士団をそっくり引き抜こうと言うのだ。
これでは新たな聖女に合わせた護衛騎士団を再び組織しなければいけなくなる。
だが、気付けたのもそこまでが限界だった。
各派閥が新たな聖女の誕生を喜んだが、それがまた本部での新たな、そして熾烈な派閥争いを激化させるとは誰もまだ理解していなかった。
〈パラベラム〉の武力とはまた異なる形で、聖剣教会の権力構造に新たな楔が打ち込まれたとも知らず。
かくして、新人類連合が現状支配する領域――ヴェストファーレン王国および占領下となるバルバリア王国の領有を認め、傘下となる亜人領域についても今更どうしようもないため追認。さらには拉致被害者の返還も盛り込まれた。
また、教会の布教活動以外で互いに内政干渉を行わない『ヴェストファーレン条約』が締結された。
魔王召喚から約一年、〈パラベラム〉はようやくひと心地つけた気分となった。
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