第7章~敵の敵は何者編~
第226話 示威戦上の聖女(マリア)
召喚勇者を巡る騒動から瞬く間に時は流れ、およそ二ヶ月が過ぎた。
先の戦いで敗れ捕虜となった教会討伐軍の処遇を巡る交渉がようやく始まり、交渉団が東方へと派遣された。
同時に教会本部でもあらゆる勢力が蠢動を始める。
ある者は神敵と対峙する聖務に燃えながら、またある者は勇者たちの工作活動の失敗を口惜しみながら、またある者は――
そうした動きの中、本部を出た使者たちは幾日もかけてヴェストファーレンへと向かい、途中、戦場となった荒涼としたクロスノク平原へと差し掛かる。
「なにもないではないか」「本当にここで戦が?」「そのはずですが……」
道中で僧侶の多くがそう疑問を覚えた。
「だが、アレがあるのだから……」
ひとりが声を上げた。
流れていく景色の中で平原に現れた武骨な砦。見慣れぬ旗がはためいている。
新人類連合を名乗る叛徒たちの前線基地だ。
あれを攻め落とせず敗北したのが教会が知る戦の推移――というよりも、それ以外の情報がないのだ。
どんな方法で打ち破ったかも伝えられていない。それを知るためにも捕虜の返還が求められていた。
「まさか敗残兵すらいないとはな」
「いても狩られているだろう。そういう動きでもなければこうはならん」
通信技術が進化していない世界では、情報の伝達に時間がかかる上、伝わる内容も限られるばかりか齟齬さえも発生する。
今回、交渉が開催されるまでに時間を要したこともそうだが、国家間で交渉を行うことすら容易ではなかった。
やがて交渉団は王都ヴェンネンティアに至り、翌日から会議が始まったが――
「話になりませんな」
海軍の制服に身を包んだエリックが要求を一蹴し、教会勢の顔が怒りで瞬時に赤く染まった。
だが、今回は以前の司祭たちのように罵声が口を衝いて飛び出すこともない。
なにしろ修行を積んだ司教たちが中心となっている。
先般それをやってしまった愚かな者たちは、今は捕虜収容所の中にいる。
土の中でなかっただけマシだろう。紙一重だったが……と交渉団の団長は思う。
「無条件での捕虜の返還、バルバリア王国の新人類連合からの離脱にヴェストファーレン西側国境付近からの軍の撤退……どれも戦に勝って得た正当な対価です。我らが譲歩する理由がありません」
交渉は新人類連合側の予想通り、当初から「捕虜を解放し、教会の秩序体制の下に戻れ」という主張を崩さない――厳密には崩せない態度により難航した。
亜人云々まで言い出せば停戦どころではなくなっただろうが、これはさすがに教会も相手が引けなくなるとして気付かなかったことにした。
――やれやれじゃわい……。
交渉団の団長こと、ふたたび派遣されたモレッティ大司教は幾度となく溜め息を吐きたくなった。
しかし、それは例のごとく彼の立場が許さない。
心底貧乏くじを引かされた気分だった。「前にも行ったのなら相手とも面識がある。捕虜の返還の話を纏めて来い」とは無茶苦茶な命令であるが、組織人として背くわけにはいかない。
しかし、そんな老僧の苦悩は予期せぬ形で解決される。
突如として会談の場に乗り込んで来た聖女カテリーナによって。
あまりにもナチュラルに入って来たものだから誰も止められなかった。
それこそ「話は聞かせてもらった!」と言っても驚かない程度には堂々とした入場だった。
「わたくしは聖剣教会当代“聖女”カテリーナ・ミネール・インフォンティーノ。この争いに終止符を打つために罷り越しました」
「「「聖女殿!?」」」
同胞たちの驚愕と叫びで迎えられた聖女は我関せずと名乗りを上げ、勝手に交渉のテーブルに着いた。その際、名乗りは最低限に交わされる。
「さて、新人類連合の皆さま方。まことに遺憾ながら戦は起きてしまいました。戦禍による犠牲者に教会を代表して謹んで哀悼の意を捧げます」
教会勢が「なぜここに!?」と驚く中、そうした視線に気付かない聖女は筋書きも何もあったものではない言葉を並べていく。
何かの陰謀か、はたまた本部からの特命によるものか――あまりにも予想外な事態に誰も彼女を止められないのだ。
当然、その中にはモレッティ大司教も含まれている。
僧の位階を持たない聖女だが、組織の象徴でもある。長き歴史の中で枢機卿相当の権威があるとされ、彼程度では止めることもできないのだ。
「しかし、わたくしどもが議論すべきは過去ではなく、来るべき未来でございましょう」
ともすれば「教会に責任はない」とも聞こえる言葉に、“新人類連合”を構成するヴェストファーレン王国、それとDHUを名乗る亜人連合の代表がにわかに色めき立つ。
尚、知らないのは教会勢のみだが、エリックを始めとした新人類連合側の態度はシナリオ有りの演技である。
「なるほど。して、聖女殿は未来のために何ができるとおっしゃるおつもりでしょうか?」
指を組んだエリックは淡々と氷の瞳で問いかける。
知らない者からすれば「何を言っているのだ、この女は」と、さも相手にしていないようにしか見えない。
ちなみに、カテリーナ当人はご褒美だと思っている。救いようがない。
「今回の件は、浸透作戦を仕掛けてきた魔族の陰謀に乗せられ、戦を強行した教会側の失態と言えましょう。それを認めると同時に、人類同士で争っている場合ではないとあらためて意識すべきですわ」
誰がどう聞いても教会の非を認める発言だった。
にわかには信じられないと新人類連合側からざわめきの声が上がる。
「何をおっしゃるのだ聖女殿!」「いきなり割って入るなどどうかされたのか!?」「本部から姿を消していたのはどういうことですか!」「よもや内通していたのではありますまいな!」
派遣された僧侶たちは堪えきれず、裏切り者同然の行為に憤慨する。
罵声を含む多様性に溢れた言葉が飛んだが、要約するとそのほとんどは「おまえはどちらの味方なんだ!?」に収束した。
「……ですが、中央から遠く離れた場所に住まう方々が、これまで神の御意志に触れる機会がなかったこともまた事実。そうした事態がこのような事態を引き起こしたのかもしれません」
カテリーナは外野の勢いには怯まず言葉を続けていく。
所詮は負けた連中の言うことである。彼女はとっくの昔に教会から離脱したつもりでいた。実際にはまだ表明もしていないのだが。
「かくなる上は、発案者として、また聖女として責任を取るべく、わたくしが教会本部を出てこの地に教えを広めるため赴こうと考えております」
唐突な聖女の申し出に場へ大きな衝撃が走った。
「不躾なお願いとなりますが、この身と引き換えに捕虜を返還願えませんでしょうか? 兵士たちには帰るべき場所もございます。また過ちを犯した司祭たちは裁かれねばなりません」
「それは……御身が人質になられるという意味でしょうか?」
エリックからの視線は鋭く、まるで身体を射抜くようだ。演技だとわかっていてもカテリーナの下腹部が疼く。
「……いえ、神の御教えを遍くこの世界に行き渡らせるためです。それが人類と魔族の戦いを終わらせる切っ掛けとなりましょう」
「つまり教会としての“誠意”というわけですか……」
エリックも司祭たちを教会で裁くことに異論はなかった。
だから敢えて言及はしない。圧倒的な勝利をおさめた以上、木っ端僧侶の身柄など正直どうでもいいのだ。
戦争犯罪者として裁きたいならとっくに処刑している。
繰り返すようだが、まずはひと区切りつけることが優先事項で、教会を意固地にさせる必要はない。
「聖女がこの地に……?」
青天の霹靂とも言うべきこの提案には教会陣も大きな衝撃を受けたが、すぐに彼らの持つ政治的才覚によって押し黙った。
それぞれの所属する派閥にどれだけのメリットがあるか、即座に脳内の算盤を弾き始めたのだ。
司祭たちはそもそも負けても切り捨てられるよう指揮官に据えただけだ。
権威が揺らぐため新人類連合で裁くことだけは許容できないが、きちんと
このあたりだけは一流と呼ぶべき動きだった。
――ここまで俗物化しているとは思いませんでしたわ……。
冷静になるため同僚たちに視線を向けたカテリーナはだが、彼らの態度には呆れるしかなかった。
一方、あらかじめ彼女が乱入すると知っていた新人類連合――特に〈パラベラム〉側はポーカーフェイスを維持するのが困難になりかけていた。
あまりにも仕込みが上手く行き過ぎて、我慢すれば我慢するほどに失笑しかねなかったのだ。
「……失礼、我々も少し意見を取りまとめたく。しばし、休憩の時間をいただきたい」
モレッティ大司教の機転により会議は一時休止となり、カテリーナは教会側の使者たちと調整することとなった。
「ええ、構いませんとも。東方領域産最高級茶葉をご用意いたしましょう」
もちろん、暴れ回った聖女により腹筋崩壊の危機を迎えていた新人類連合の一部もそれに同意した。
すっかり教会本部でブームとなった紅茶で皮肉るのも忘れずに。
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