第225話 The Funeral of Hearts


 しばらく、誰も言葉を返せないでいた。


『オリジナルの自分は消滅するけれど、地球にいた頃と記憶以外は寸分変わらない複製体コピーが地球に帰還できる。それで……よしとしよう』


 驚くべきことに、彼らはそう言っていた。


 ――なまじ頭がいいと、気付いてしまうのか……?


 将斗は戦慄を覚えながらそう思う。

 同時に考える。彼らがこんなにも聡明でなければ良かった。この時ばかりは、そう思わずにいられない。


「本気か……?」


 ロバートがようやく絞り出した声だった。


 にわかには信じられない言葉だ。


 元々の存在がいなくなった地球に自分のコピーを返す――ここにいる〈パラベラム〉の初期メンバーと似ているようで実際は大きく違う。


 異世界に拉致されたことも、そこで生死を懸けた戦いを繰り広げたことも、すべてを持ったまま地球へ戻り、また同じ記憶を持ったオリジナルを異世界に置いていくと彼らは決意したのだ。

 生半なことではない。


「俺たちは――ロバートさんたちの言葉を借りれば拉致された人間です。本来なら被害者として振る舞っても許されるのでしょう」

「でも、その過程で僕たちは少なくない数の人を殺しました。最初は強制されて、でも途中からは自分たちが生き延びるために己の意志で……」

「それをなかったことにして地球に戻っても、元の暮らしはできない……。そう思うの」

「だから、地球に戻った“もうひとりの自分”にも『あの世界に残って戦っている自分がいる』と理解した上で帰還したいんです」


 この世界に染まってしまった以上、以前の自分ではいられない。たしかに理解できる感情ではある。


 しかし、それではあまりにも自分を責めすぎている。

 戻った方は最愛の肉親にも会える。だが、残った方は――


「俺には……同じ経験がない。だから、的外れなことしか言えないと思う」


 迷った末に口を開いたのはロバートだった。


「俺は軍人だ。軍隊に入れば国家の命令で人を殺さなければいけないし、実際に戦場では殺してもきた。じゃあ、俺はそのために償わなければならないのか?」


 自分でも意地の悪い問いだと思う。

 一般的に殺人は許されないが、国家の暴力装置として許されている側面がある。難しい問題だ。

 少なくとも、目の前の少年少女に向けるべき問いではないだろう。


「それは、国を守るために志願した上での行動でしょう? 俺たちは流された末に都合のいい場所に逃げ込んで勇者として振る舞ってしまった。その責任があると思います」


 シュウヤは儚く笑う。


「責任ねぇ……。若いのにずいぶん面倒くさいことを考えるんだな」


 今度はスコットだった。

 こちらは空気を読まずに、いや敢えて読まないようにしているのかいつもの雑な口調だ。呆れを隠そうともしていない。


「おまえたちが勇者なんて、ほとんどのヤツが知らない。そんな恩義もない世界に責任を持つ必要なんて本当にあるのか?」


 ウォルターが続く。

 表情はスコットと似たり寄ったりだった。

 彼こそ自分の思うままに、それでいて〈パラベラム〉の不利益とならないギリギリのラインで生きている。

 そんな人間からすれば少年たちの行動はまるで理解できないのだろう。


「オリジナルが消えるとしても、知らないフリして戻ってしまうのが一番良かったと思うけれどな。確かめようがないんだし」

「そうだぜ。なんだかんだと地球は平和だ。日本ヤーパンならもっとだろう。なのに、自分でそれを受け入れられないなんて言い出すとか、おまえらどうかしているとしか思えない。言っちゃなんだが相当なバカだ」


 ジェームズはあくまでも合理さを求め、エルンストは気に入らないと鼻を鳴らした。


 将斗も言葉にこそしないが、彼らと同じような感情を抱いていた。


「集団幻覚でも見ていたんだろうか」や「そんなこともあったなぁ、他の誰にも話せないけど」と、懐かしんだり恥ずかしそうにして本来の人生を歩んでいく。そうやって風化する記憶にしてはいけなかったのか。


 いや、きっとそうは思えなかったのだろう。

 それがわかってしまったから、将斗も問いを発しない。


 やり場のない想いから将斗の拳が強く握りしめられる。そこに添えられる手があった。

 視線を向けなくてもわかる。隣にいた翼のものだ。


「まーくん……」

「やりきれないな、翼姉ぇ……。無力さだけが残る……」

「うん……」


 できるだけのことはしてあげたつもりだ。

 自分たちが召喚したわけでもなく、この世界の人間が他力本願の極みで悪意を覆い隠し――いや、まるで自身を疑わぬ“善意”としてやったことだ。

 ヤツらは神の名の下であれば何をしても許されると思っている。


 自分たちの責任を放棄した連中のせいで、同じ国で生まれ育った子供が巻き込まれて心に深い傷を負い、最後の最後まで影響を及ぼそうとしている。

 気分は最悪だ。吐き気がする。


「わたしたちで、できることをしてあげるしかないよ」

「ああ……代償行為かもしれないけれど……」


 添えられた手を、将斗はそっと握り返した。


「なんでしょうね……。すごく、不思議な感覚です……。まるで葬送みたいな……」


 少年たちは笑う。ほとんど泣き笑いの表情だった。

 運命の残酷さを嘆き、そしてそこに一抹の救いを見出したかのように。


 だから、これはケジメ――自分自身への葬儀なのだ。


「やってください」


 シュウヤが告げ、魔法陣の上に立った少年少女はそっと目を閉じる。

 すべてが終わった時には何も変わらない光景が広がり、その一方では何度も願った日本の景色が広がっている。


「いいんだな」


 重ねたロバートの問いに誰も答えない。ただ瞑目したまま頷くだけだ。


「……ミリア、やってくれ」


「はい……」


 端末が操作され、魔法陣から青白い光が広がっていく。

 上に立った少年たちが光に包まれ、中から何かが抜けるように粒子となって虚空へ舞い上がる。

 そこから急速に螺旋を描く形で天井へと向かい、途中で消えていった。


「……終わりました」


 いつになく言葉少ないミリアの言葉で少年たちは地面に倒れ込む。


「おい、どうなった」


 シュウヤたちに駆け寄りながらロバートはミリアに問いかける。


「データをコピーする過程で少し体力を消耗しただけです。数時間以内には目を覚ますかと。休ませてあげてください」


 抱き起こすと脈はあるし、呼吸も正常だった。


 何か起きたのか、あるいは何も起きていないようにも見える。

 確かめる術はない。


「わたしは――」


 ふとミリアがつぶやいた。

 周りの視線が彼女に向けられる。


「正直に言って、彼らに関心はありませんでした。あくまでも前管理者のやったことでしたから……」


 最初にロバートが「どうにかできないのか?」と相談を持ちかけた時にもそんな感じだった。

 やれと言われればやるが、自分の管轄ではないため心底どうでもいい。そんな意識が透けて見えた。


「ですが、この一週間、彼らと心を交わした今ではそうは思えなくなりました。彼らは異世界の記憶を引きずったまま生きていかなければいけなく、そしてこちらにも残って……」


 シュウヤたちを見るミリアの瞳から零れたのは涙だった。

 違和感を覚えて両手で目を拭っただけだが、彼女はその手に感情を表す液体が付いていることに戸惑う。

 自分でもどうしてそうなっているのか、理解できていないらしい。


 それでも――彼女は言葉を続けていく。


「年端もいかない彼らを連れ去り、自分たちの運命を押し付ける者たちにわたしは嫌悪を覚えます。彼の者たちだけは許してはならない、そして――」


 ミリアは言葉を切る。


「同じ行為をしている自分にも――」


 震える言葉だった。“オペレーター”として振る舞う自分もそう変わらない存在だと気付いてしまったのだ。


 そこで、ジェームズがミリアの肩を叩く。


「それはちょっと違うよ、ミリア。僕ら五人はともかく、他は納得ずくで来てるんだ。あまり自分を責めないで欲しい。それと……“天使”に涙は似合わない」


 そっと首を振ってハンカチを差し出して涙を拭う。このあたり英国紳士は隙がない。


「大丈夫、おまえさんの気持ちは伝わったよ」

「まぁ、そこから先――荒事は俺たちの専門分野だ。任せてくれ」

「そうそう、こう見えて俺たちも結構怒ってるんでね」


 少年たちを背負ったロバートたちは口々に言う。

 ミリアに向ける口調そのものは穏やかだが、剣呑な空気――怒気が全身から放出されていた。


「ツケは払ってもらおうじゃねぇか、テロリストども。地球人代表って名乗るのもおこがましいが、弾丸と砲弾はちゃんと俺らの想いに応えてくれるぜ」


 これからも続いていく世界に、なにかひとつでも残せるものがあるとするなら、少なくともコレだけは間違いない。確信があった。


「もう――





 かくして、少年たちは心の半分をこの地に残す。


 自分自身の罪と向き合うために、そして――残る半分に見果てぬ希望を託して。




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