第219話 玉ねぎ目に沁みても



「「「「うぅ……」」」」

 

 投降した勇者たちは、今は湧き上がる感情を堪えるようにこみ上げてくる涙で瞳を濡らしながら震えていた。

 パラディアムの基地へ連行されてすぐのことで、心の準備ができていなかったこともある。


 まさかこんなことになるなんて。そうとしか言いようがなかった。


 基地には近いものの、民間人が暮らしていると思われる区画の端に連れて来たのも、すべてはこのためだったのか。


「こんなのって……あんまりだよ……」


 堪えきれずにレイナが震える声を上げた。


 初めて出会ってからこの方、ロバートたちが見たことがないほどの悲痛な表情をしている。

 鼻腔を刺激する匂いがよりそれを強めているのかもしれない。


「遠慮しなくていい」


 

 指揮官はそうほくそ笑む。

 保護してくれるからとすっかり油断をしていたようだ。 


 金属同士の触れ合う音と、柔らかいものが退けられるような音。

 それがまた勇者たちに呻きにも似た声を喉から漏らさせる。


「好きなだけ堪能してくれ。そのために準備したんだ」


 ロバートの口唇が笑みの形に歪む。


 そして――とうとうその時が訪れる。




「「「お、美味しいっ!!」」」


 レイナ、エリカ、それにタクマの声がほとんど重なるように放たれた。

 ほとんど叫び声だった。


 それもほんの束の間のこと、彼らはすぐに全意識を真下の皿へと引っ張られ、脳が命ずるまま一心不乱にスプーンを口へと運んでいく。


 止まらない。止まれない。


 何か危険な物質が脳内で分泌されているとしか思えない動きだった。そんな自覚があっても抗えなかった。


「実家のより美味しいんだけどなにこれ!」

「甘いのに辛みもしっかりあって、それを酸味が支えてます!」

「え、コレ自前なんですよね? ひと味違うどころじゃないですよ?」


 ひとりを除いた少年少女たちが口々にコメントをするが、またすぐに食欲に突き動かされ――いや、「止まるな!」と言われて皿に意識が引き戻される。


「…………」


「剣の少年はどうだ? 美味いか?」


 無言で食べているシュウヤにロバートは声をかけた。


 他の三人ほど表情に出てはいないが、誰にも奪われないよう皿を抱え込んで黙々と口に運んでいる。身体はどこまでも正直だった。

 訊かなくても動作でわかったのだが、それもちょっと味気ないと思ったのだ。

 

「……美味い、です」


 そこではじめて自分も夢中で食べてると気付いたらしく、気恥ずかしそうに視線を逸らして答えた。


 若いモンが遠慮するな。

 そう言いたくなったが、さすがに年寄臭いのでやめておいた。


 とりあえず、今は久しぶりに味わう地球の食事に集中してもらいたい。


「ハンバーガーにフライドポテト、フライドチキンにコーラのアメリカ~ンなセットでも良かったんだが……」


 ロバートの言葉に全員のスプーンが止まった。


 地球の、いや日本の食文化からすっかり切り離された彼らにとって、あまりにも魅力的な響きだった。

 今もカレーを食べているのに、用途以外の唾液がばんばん溢れ出してくる。


 この世界の食事に比べれば、日本で食べられる料理の数々はすべてが伝説の域、味覚への暴力と呼べるのだ。


「ジャパニーズには珍しいアメリカンサイズで歓迎してやろうとも思ったんだがな。うちの調理担当がうるさいから、ちょっとおあずけだ」


 ビールをちびりちびりと飲んでいたスコットが、からかうような言葉を発した。


 パラディアム本部基地には、アメリカ人の魂とも言われるファーストフードを出す場所もされている。

 自衛軍を中心とした多国籍糧食部隊が頑張っているため、普段はそこまで賑わっているわけでもない。

 しかし、時折血が騒いで無性に食べたくなるらしく、多くの兵士にはそんな時に利用されていた。


 げにおそろしきは油(脂)の魔力だ。

 特にアメリカ人には他国人には理解しがたいほどのベーコン信仰がある。暴動を起こさせるわけにはいかなかった。


「ハンセン中佐、それだけじゃあ説明不十分ですよ」


 ワゴンに載せたカレー鍋と炊飯器を運んで来た将斗が笑いかけた。

 これだけの勢いで食べてくれるのだ。料理を愛する者としては表情が柔らかくなるのを止められない。


「飢餓状態だったわけじゃないが、油が多いものはたぶん腹を壊す。ファストフードも用意できたけれどこれで大丈夫だと確認してからにしてくれ」


 蓋を開けて将斗が捕捉した。


 長い間、現地の食事に慣れていた勇者たちに食事を与える際、心配されたのがリフィーディング症候群だった。

 これは慢性的な栄養障害がある状態に対して、急激に栄養補給を行うと発症する代謝性の合併症だ。

 飢餓状態が長く続いた後に急に栄養補給されると、心不全や呼吸不全、腎不全、肝機能障害ほか多彩な症状を呈することがある。

 さすがにそこまでの栄養状態ではないだろうと軍医が判断してカレーを与える許可が下りた。


「それでカレーだったんですか?」


 スプーンを止めたタクマが問いかけた。


「銀シャリに味噌汁、それと焼き魚に納豆じゃ、若いコは喜ぶかわからなかったからな」


 典型的な和食はひとまず避けておいた。

 将斗敵には「自分ならそれでいい」と思ったが、好みを押し付けるのはよくない。


「和食も嫌いじゃないですが、これには勝てなかったと思います。どうやって作っているんです?」

「めっちゃ手間かかってそう」「市販のルウだけじゃこうはならないでしょ?」


 食事を続けたいのを堪えて勇者たちから質問が上がった。


 見た目はオーソドックスなカレーなのにこうも味が変わるのが不思議でならないのだ。

 特にタクマは料理に興味でもあるのだろうか。


「市販のカレールウをベースにしているよ。普通のカレーを作りたいなら、香辛料スパイスをバカスカ入れても癖が強くなるから」


「え、それだけでこんな味が?」


 ソースだけを舐めてタクマは唸る。


 たしかに昔インド料理屋(という名のネパール料理屋)で食べたカレーに比べると、スパイスを感じる割合はかなり少ない。

 どちらかと言えば、粘りのあるソースの中に甘味・辛み・酸味・苦味といった複合的な旨味があるように感じられた。


「具は見ての通り普通だよ。ちょっと多めの植物油で玉ねぎを大量にじっくり炒めているだけで、他はニンジンとジャガイモ。肉は豚バラ肉なら味が出ていいんだが、今回は脂を控えたかったから小間切れ、肩ロースメインだな」


 具材だけを聞けばごくごく普通のカレーだ。

 しかし、それだけではこの味蕾をフィーバーさせる味の説明がつかない。


「あとは……そこにガラムマサラ、トマトケチャップ、中濃ソース、ウスターソース、しょうゆ、コンソメ、フォンドボー、ブイヨン、バター、オイスターソース、穀物酢、牛乳、黒糖、インスタントコーヒーを入れている。赤ワインとかブランデーは少し香りと癖が強くなるから今回は抜いているが、入れても悪くないかな」


 ガラムマサラ以外はスパイスではない。それをこれだけ入れているのだ。

 これに魚介の風味が強まるといわゆる「お蕎麦屋さんのカレー」になるのかもしれないが、それとは別にスパイスそちらまで入れたらいったいどんな味になるのか。

 今の時点でこれだけ美味いカレーを作れる将斗の別バージョンに興味が出てくる。辛党ならもっと辛くもしたいだろう。


「もしかして……将斗さんはプロだったりしますか?」


「そりゃもちろん――と言いたいところだけど、あくまで趣味かな。こんなの採算も時間も度外視しているし」


 質問の意味を誤解せず将斗は答えた。


「だが、美味いってことは大事だ。心が落ち着く。……少しは腹が膨れたか?」


 ロバートがまとめる。少年たちの変化を察したのだ。


「ええ……。おかげで……遠くなった故郷を思い出せました……」


 不意に勇者たちのスプーンの動きが止まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る