第210話 誘引
会談場所を出たヴァンハネン商会の馬車は大通りをゆっくりと進んでいく。
うららかな昼下がりの午後、車窓の向こう側にはいつも通りの街の景色が広がり、王都エトランゼに暮らす人々が行き交っている。
商人が増えたおかげで王都の取引は大きく増え、執政府の税収も同じく増えたためだ。
わずかではあるがそれを城壁内の公共事業の形で民にも還元しているため、商業地区の賑わいは嗜好品を求める小銭を持った者たちで以前に比べて格段に増していた。
とてもこれから何かが起きるとは思えない平穏そのものの空気だ。
――ここでやらかすわけにはいかないな……。
雑踏の様子を眺めながら、馬車の中のロバートは取り出したインカムのスイッチを入れる。
「こちら“スレッジハンマー”、店を出た。各員応答しろ」
マイクに向かって声をかけ、チームメンバーに“準備”を促した。
『こちら“ペインキラー”、OK』『“ブレイド”、いつでもイケます』『“ラムシュタイン”、
ほぼ間を開けることなく、護衛として街中に散っていたメンバーから応答が返ってくる。
「ひとまず会談は終わった。これから街の外に出る。街中では仕掛けて来ないと思うが引き続き警戒を頼む。馬車には俺だけだ」
『なるほど、自ら囮になって誘うわけですか。そりゃあお姫様を置いてくるわけだ』
すでに狙撃位置を陣取ったエルンストが声を上げた。
クリスティーナを置いて来たことに言及するあたり明らかに面白がっている。
メンバーの中では一二を争う緊張感のなさだ。
「……王子様相手にジェームズだけってわけにもいかんだろ。他意はないぞ」
事務的に返しながらロバートはやれやれと思う。
だからこそ、“その時”に至るギリギリまでは軽口を叩いて精神がブレないようふざけ続ける。
いつもなら溜め息のひとつでも吐きたくなるが、今回は背中を預けているだけに頼もしく感じられるから不思議だ。
『王女様ならまだしも王子様の相手じゃ手に余りそうですね』
スパイとくれば美女とエルンストは言いたいのだろう。ハリウッド映画の見過ぎだ。
「何を言っているんだ。身元が明らかになっているのに他国の王女なんて口説いたら国際問題だろうが」
ロバートは自分のことなどそっちのけでそう思った。
天然だ。まことに残念である。
『いやぁ、それはどうなんでしょうねぇ……』
なぜかエルンストのトーンがわずかに下がった気がした。残念極まりないがロバートは原因に気付かない。
「ともかく、情報は事前に流してある。打った布石はちゃんと使っておくべきだろ? 何か動きはあるか?」
エルンストの軽口を適当にいなしたつもりのロバートは話を続ける。
潜入した連絡員やヴァンハネン商会の職員を使って、それとなく街に噂を流していた。
『どうやら他国の要人がやって来るらしい』と――
割と曖昧な情報だが、教会の手が伸びているなら現地要員が勝手に解釈するだろう。
彼ら教会は、これまで経験したことがないほどプライドをいたく傷付けられている。
なんとか新人類連合に一撃をカマしたくてウズウズしているはずだ。
万が一ハズレだった時には尻尾切りなりをする可能性はあるが、だからこそ街中では仕掛けないよう注意する可能性が高い。
『――現状異常なし。まぁ、普通は襲わせるための情報なんて流さないでしょうからね』
エルンストが街中には気になる点はないと報告を上げた。
「寡兵でやるのは簡単じゃないがな」
答えながらロバートは安堵の溜め息を漏らす。
偽の情報による囮作戦がこの世界にないとまでは言わないが、通信技術が存在しない世界で安易に用いれるものではない。
適切な連携ができなければ囮が危険に晒されてしまうからだ。それには無線は必須と言える。
『こちら“ブレイド”、先に門を出ました。周囲にそれらしき気配はないです。待機と同時に周辺を警戒しておきます』
将斗からの声だった。相変わらずサムライは動きが早い。
「頼んだ。今の時間から王都を出る人間は多くない。どこかにいるはずだ。そろそろこっちも街を出るぞ」
ロバートは窓の外を見るが、あまりキョロキョロしてはこちらが怪しくなってしまう。周りに任せるしかない。
会談はその気になれば今日のうちに国境へ辿り着ける時間帯にした。
宿に戻るのではなく王都を出るとなれば、相手も遠慮なく仕掛けられる。
そうなるように条件を整え、心理的ハードルを下げてやったのだ。
『“ラムシュタイン”、街中では来なさそうですね。ポジションを変えます』
『“ペインキラー”、馬車を確認。一応フォローしておく』
『了解。次の狙撃地点へ到着するまで五分見ておいてください』
『俺ひとりじゃあまり持たんぞ』
『身体を張ってくださいよ、筋肉は飾りですか?』
『銃弾に勝る筋肉とかファンタジーに過ぎるだろうが……』
『こちら“ウイング”、
“ウイング”――翼が通信に入って来た。
彼女には宿からUAVのオペレーションをサポートしてもらっている。実際に動かしているのはミリアだが。
「エンジン音に気付かれるのはまずい。指示あるまで高度は維持しておいてくれ。相手は耳もいいはずだ」
いくら異世界でもエンジン音から航空機に気付かないとは思えない。警戒して襲撃を中止されては面倒だ。
撤退するだけならまだいいが、問題はそこではない。
『そうでした、相手は地球人でしたね……』
翼の返答には憂慮の響きがあった。
まだ感情面で納得しきれないところがあるのだろう。
そこはロバートも聞かなかったことにする。プロの軍人だからと誰もが完全に割り切れるわけではない。そこは理解している。
『こちら“ペインキラー”、今“デルタ・ゼロ”と外に出た。立ちションでもして待っとくぞ』
『ちょっとおっさん!!』
無線の向こうからマリナの悲鳴じみた抗議が聞こえてきた。
『ポーズだよ。ボケっと立ってられんだろ。――しかし、暗殺者と違って扱いが難しいのはそこだな』
軽口をたたくスコットの口調が変わる。彼は懸念を正しく理解していた。
『え、どういうことです?』
エルンストが疑問を挟んだ。
たしかに軍人の常識だと漏れがちな部分だが、必要に迫られないとその他を考えない癖はそろそろどうにかしてほしい。ロバートは頭痛を覚える。
「しっかりしてくれ……。たとえ断片的でも航空機の存在を教会に報告されれば、こちらの解像度が高まるだろ」
仕方がないとロバートは答える。
『……そうは言いますけど、連中に軍事的な知識なんてあるんですか?』
『おそらくない。だが、空を飛べると伝わるだけでも厄介だろ?』
『銃の仕組みだってそうだ。学生でもざっくりは知っている。
『ああ、なるほど……』
スコットとウォルターが補足してエルンストも納得したようだ。
討伐軍も全員捕虜にしているから、ヘリなどの情報は伝わらずに済んでいるのだ。
これはいずれ露見する――時間的な問題でもあるが、それでも現地人が見た地球技術と、地球人が理解する地球技術では伝わる内容に雲泥の差が生まれる。
『だから、中佐は接触に消極的だったんですか?』
将斗から問いが上がった。
鋭い指摘だが責めるような口調ではない。彼はひと足先にほぼ割り切っているのだろう。
「……まぁ、そういうことだ」
言葉少なく答えると、ちょうど馬車が手続きを終えて王都の門を出る。
この時間となると、元々小国ということもあってやって来る人の数はあまり多くない。
どちらかと言えば今は閑散時、次は夕方頃に遠方からの便が届くイメージだ。
「もしも俺たちに協力する振りをして情報を持ち出されたら厄介だ。当然、作れるものなんて限られるが、魔法に影響を与える可能性もある」
亜人連合に開放した図書館から書籍を持ち出されたら? 絵図面でもどれだけの影響があるか。
情報の伝達を阻止するなら、教会へ戻る彼らをUAVで爆殺するなりするしかない。
さすがにそこまで躊躇ない作戦を取るかは、ロバートであっても悩むところだった。
将斗たちには最悪を想定しろと言ったが、好き好んで少年少女を殺したい人間などいないのだ。
とはいえ――それが必要と判断されればやるしかない。
ひとつ言えるのは、そうなるくらいなら今ここで直接
カメラ越しに吹き飛ばすよりもはるかにマシだ。それだけは間違いなかった。
「……そろそろだな」
仕掛けてくるとすればもう少し先だろうか。
『“ラムシュタイン”、こちらも門を出ました。適宜、近くの丘に陣取ります』
「了解。頼むぞ、
逆に言えばエルンストの動き次第で戦いも変わってくる。
あとはどこまで命令の意を汲んでくれるかだが……。
“明らかな危機とならない限りは無力化しろ”――この命令が果たしてどう影響するか現時点ではわからない。
『こちら“ウイング”。全ユニット、警戒してください。前方より接近する影あり』
翼が警戒の声を上げた。
「“ラムシュタイン”。どうだ、間に合うか?」
ないとは思うが誤射では済まない。
細心の注意を払う必要があるのと、戦闘を前にした緊張でロバートの掌に汗が滲み出て来る。
『すみません、こちらも配置につきました。 対象を確認。数は四、事前報告通りの人数と外見です』
翼とエルンストの報告により“敵襲”と確定した。
ついに、勇者たちが仕掛けてきた。
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