第206話 狂ったディスティニー


「……ちょっとさぁ、マエバラ……。誤った理由で人殺しさせられるかもしれないってのに、アンタ、なんでそんないい加減な態度なのよ」


 カリンが「さすがに看過できない」とシュウヤに向けて不満の声を上げた。

 程度の差こそあるが、残るふたりからも似たような視線が向けられている。


「人殺し? もう何人も殺しているだろ」


 対するシュウヤはまるで動じず言い放った。


「なっ――」


 思わずカリンは言葉を失う。

 目の前の少年が、本当に自分と同じ日本から来た人間なのかわからなくなってきた。


 それを見たシュウヤは、薄笑いを浮かべて仲間をなじるように言葉を続けていく。


「今更何人か増えたところで何も変わらない。そうしなければ日本には帰れない。おまえこそいい加減現実を受け入れたらどうだ、サワジリ」


「あれは盗賊だったからで、わたしは自分から――」


 言葉は途中で途切れたが、彼らは前線に出て魔物や魔族と交戦している。

 教会精鋭軍に守られながらではあるものの、自分たちの手で魔族と戦った経験があった。


「盗賊か。たしかにあれは


 魔族と戦うよりも先に盗賊でを済ませていたこと、また戦場の空気に上手く飲まれたことで何とかなったが、そうでなければ今頃生きてはいなかったかもしれない。


「人柱って、アンタ……!」


 カリンは腰を浮かせる。


「事実だろ? 盗賊であれば人を殺してもいいと言ったのはお前だ。日本人とは思えない言葉だな」


 鼻を鳴らしたシュウヤの言葉には明らかな侮蔑の響きがあった。

 とうとうカリンは我慢の限界を迎える。


「そんなこと言ってない……! ここは日本どころか地球でさえない……! アンタもとっくにわかってるでしょ……! 帰れないのよ!?」


 唸るような声がカリンの喉から漏れた。

 握りしめた拳から必死で怒りを押し殺しているのがわかった。

 たとえパスポートを持っていても紙切れにしかならない世界だ。日本人なんて肩書にすらならない。


「だから。疑問を挟む余地なんてない。黙って任務をこなせ」


 放射される怒りを真正面から受け止めてもシュウヤは平静なままだ。

 いや、どこか会話が噛み合っていない。


「いつまでも日本日本って言ってるアンタと一緒にしないでもらえるかしら。誰が好き好んで人を殺すって言うの。こっちは生きるために仕方なくやっているだけなのよ……!?」


 相手の態度にカリンの怒りがさらに上昇する。

 抑えてはいても勇者として召喚されただけあって、憤怒が不可視の圧力となって漏れ出ていく。


 テラス席の隅にいるからまだ良かったが、周囲では人々が居心地悪げに辺りを見回していた。



 シュウヤは口唇をさらに歪めた。


「目的は生き延びて日本に帰ること。だから仕方なくてもなんでも、やるしかない。とっくに答えは出ているだろう?」


 何をバカなことを言っているんだとばかりにシュウヤはカリンを見た。

 一瞬、黒い瞳が奈落の底のような色に見えて少女は背筋が凍りそうになる。


「じゃあ……関係ない人たちを殺してでも、大量殺人者になってでも、アンタは帰れるなら日本に帰りたいって言うの?」


 ついにカリンはこれまで訊いて来なかった部分に踏み込んだ。

 自分にはそこまでは選べない。シュウヤがどう出るかわからないため言葉には出さないが、少女はずっとそう考えていた。


 しかし――



 シュウヤは迷わず頷いて見せた。それが三人に大きな衝撃を与える。

 よく見れば少年の目はわずかに血走っている。


「こんな世界に来たいなんて誰が願った。俺は願っていない。だから帰るために必要なら人間でも魔族でも神でも殺す。どうしてもイヤだというなら――」


「Si Vis pacem, Para Bellum」


 破裂寸前にまで高まったふたりの緊張を敢えて無視して、タクマは聞き慣れない言葉で会話に割り込んだ。


 異世界に来たせいで知らない言語はいくつも聞いてきたが、だというのにまるで馴染みのない響きだった。

 それゆえにシュウヤとカリンの口論が止まる。


「……なにそれ」


 カリンは目線だけをタクマへ向ける。まだ怒りの感情は完全に収まってはいない。


 ただ、少しだけ冷静になれた。

 こんな目立つところで仲違いをすることの無意味さと迂闊さは彼女も理解はしていた。感情が追いつかないだけで。


「ラテン語ですよ。“汝、平和を欲するなら、戦いに備えよ”という意味の」


 カリンの感情の揺らぎには気付いていないフリをして、タクマは普段通りの穏やかな口調で説明していく。「映画で見ただけですけどね」と冗談めかすことも忘れない。


「だから、それがどうしたっていうのよ」


 意図が分からず、カリンの表情に苛立ちが滲む。

 まだ完全に冷静にはなっていない。ただ話を聞く余地はありそうだ。


「〈パラベラム〉を名乗る傭兵国家が新人類連合に存在するようです」


 タクマはパーティの平穏のために、切る予定のなかったカードを切った。


 雲行きが怪しくなってきた――シュウヤが予想以上に強硬的な思考となっていため、不確かな情報に頼らざるを得なくなってしまったのだ。


「傭兵国家? 〈パラベラム〉?」


 エリカが小首を傾げた。

 精神の均衡を保ちながらも、自分なりに役に立つ情報を集めてきたつもりだった彼女だが、まるでピンと来ない言葉だった。


「おかしいと思いません? 異世界なのにラテン語なんて」


 タクマは傭兵国家自体には触れない。本当に重要なのはそこではないからだ。


「翻訳機能みたいなのがあるでしょ? こっちに来てから言葉で困ったことはないよ?」


 エリカが問い返す。


「……ああ、知ってるみたいに聞こえたわね。もう慣れたけど最初は気持ち悪かった」


 カリンは深く考えない悪い癖で言語問題を記憶の彼方へ吹き飛ばしていたらしい。

 たしかに転位して以降気にする必要はなくなったのだが。


「いや、どうも日本語準拠――というか当人の知識に依存する気がするんですよ」


「知識?」


 エリカの眉が動く。もしかすると彼女なりに理解したのかもしれない。


「ええ。あくまで仮説ですが、自分たちが知っている中で一番近い単語に変換されていると見ています。今、カリンさんもエリカさんもわからなかったでしょう?」


 ふたりは揃って頷く。

 インターネットなんて存在しない世界だ。同時翻訳されていると考える方ことに無理がある。


「じゃあ、なんでラテン語なんて……」


「簡単です。。おそらくその者たちは――」


 自分たちと同じく地球人、しかも教養のある人間がこの世界にいる。


 そうした可能性に、タクマは敢えて明言はしないもののはっきりと匂わせた。

 カリンとエリカの双眸に希望の光が浮かび上がったのが見えた。ついに長い時間をかけて準備していた段階に差し掛かろうとしている。


「だったらなんだ。地球人がいたとしてどうするつもりだ」


 シュウヤの声はどこまでも冷たく否定的だった。依然として「それぞれの思惑など関係ない」と言わんばかりの態度だ。


「まずは接触して――」


「接触してどうする。日本人かも、話が通じるかもわからない。そもそも、俺たちを地球へ帰してくれるのか」


「そんなのやってみないとわからないでしょ……! 保護してくれるかもしれないし……!」


 カリンがふたたび苛立ちを滲ませる。

 宗教組織の使い走りどころか、殺し屋にまでさせられている現状をどうにかできる可能性があるのに、この男は何を言っているのか。


 神でもない人間に自分たちを送り返せるとはカリンにも思えない。


 だが、何もしないでいるのは無理だ。その意志を伝えようとする。



 しかし、向けられた双眸には明らかな拒絶があった。


「教会の言う通りに任務を片付けて魔族を倒すしかない。そうでなければ帰れない」


「待ってよ。それだって本当かどうかわからないじゃない。さっきの話じゃかなり疑わしいわよ」


 一度疑ってしまえばキリがなくなる。それでも限界を迎えつつある精神では止められなかった。


「そう信じたから俺は殺した」


 シュウヤが拒絶するのはわかっていた。

 この世界に来てから真っ先に教会に協力する姿勢を見せたのは彼だ。彼はすべてをそこに賭けてしまったのだ。


「シュウヤ君、僕としては地球人の可能性はかなり高いと思っています。それでも接触はしないんですか?」


 あくまでも単体での最強戦力は聖剣を持つシュウヤだ。その意志を無視することは難しく、教会も彼にもっとも信頼を寄せている。


「もし地球人だとして、この世界にいる以上、帰る手段は持っていないはずだ。方法がないところと、あると言われているところなら、俺は後者を選ぶ」


 シュウヤの態度はどこまでも頑なだった。

 ともすればそれは、自分の縋るべき幻想ファンタジーが崩れてしまわないよう、耳を塞ぎ、目をつむっているようにも見えた。


 タクマは思う。それは狂った運命から目を背け続けているだけだと。


 ――異世界転移なんて、現実にはこんなものなのですか……。


 聖剣の勇者を見つめる少年もまた、折れそうな心をどうにかここまで保ってきた。

 だから、幻かもしれない光明に縋りたかったのだ。


「大陸を支配している勢力に反旗を翻したんだ、狙われる覚悟くらいあるだろう。俺からすれば、異世界人だろうが魔族だろうが地球人だろうが、邪魔をするなら――すべて敵だ」


 低い声で吐き出された言葉は呪詛も同然だった。


 真実かどうかではなく、「自分に非はない、世界そのものが狂っている」――そう思い込むことで、シュウヤは自分の精神を保とうとしている。

 それだけは仲間にも理解できた。


 さすがのタクマも言葉を挟めない。

 そして、理解――いや、これまで抱いていた疑念を直視せざるを得なくなる。


 少年はエリカよりもずっと昔に壊れてしまっているのだと。


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