第201話 武闘派なのは……
「ロバート殿、わたしが来てもよろしかったのです?」
夜の礼装に身を包んだクリスティーナが疑問の声を上げた。
今彼女たちがいるのは、以前エトセリアに来た際、ルンドヴァル一家との和解で使った店の控室だ。
格式があるだけに貴族を招いてもいいよう相応の設備が整っている。
「なんだ、来たくなかったのか?」
ネイビーのスーツに身を包んだロバートが端末から顔を上げて反応する。
彼としては「久しぶりに会えたカテリーナのところにいたかったのか?」と訊いたつもりだった。
当然、端的すぎる物言いのせいでそのようには伝わらない。残念極まりない。
「そういうわけではありません。王城にいるよりも外にいた方が気も楽ですし、こういった格好ができるのも新鮮です」
彼女が着ているのは先日よりもさらに装飾を控えめにしたカクテルドレスだった。
これは同席するジェームズとミリアとで見繕ったものだ。
エトセリア側が派遣してくる人間の格を考えるに、イブニングドレスではなく準礼装で良いと判断したのもある。
「だったらいいじゃないか。そのドレス、似合っているぞ」
ロバートは珍しく素直に褒めた。
地球基準で見れば控えめだが、クリスティーナの素材を活かすメイクと相まって程よい品の良さが漂っている。
騎士団を離れて以降、こうした女性的な格好に拒否反応はなくなっているようだ。もっとも理由はそれだけではあるまい。
「あ、ありがとうございます。……ただ、わたしが名乗るとどうなってしまうかは危惧しています」
褒められたクリスティーナはみるみるうちに顔が赤くなる。
本人にも自覚はあるようで、無理に話を軌道修正することで冷静さを保つ。
「そうだな……。いきなり交渉の場に王族がいるってのは、本当ならあまりよろしくない」
普通は実務者レベルで協議を行い、案を固めてから内部の根回しに入る。
条約の調印など然るべき儀式を王族同士でやるのはそれからだ。
「では、どうして……」
クリスティーナの表情に「わかりきっていることをなぜやるのか」と疑問が浮かぶ。
「こちらの本気度が伝わるからだ。同時にイヤガラセにも取られるが」
「後者がわかっておられるなら、わざわざやらずとも……」
疑問に呆れの響きが混じった。
「ちゃんと理由はある。長らく国家間の外交から遠ざかっていたような相手だからな、圧力はかけた方がいい。その方が後々舐められずに済む」
――まぁ、相手に底抜けのアホがいなければ気にしないでいい話だが。
ロバートはそう思ったが口には出さないでおく。将斗がよく言う“フラグ”とやらが立ちそうな気がしたのだ。
「そういうものですか。であれば否はありません」
「納得してくれたところでそろそろ時間だ。行こうか」
控室から出て会場に向かう。
用意された席に着いてしばらく待っていると、給仕役に案内されて数人の男が入って来た。
すかさずロバートたちは立ち上がって出迎える。
全員が貴族と思われる身なりをしていた。もっとも、明らかにこちらを見下した態度から好む好まざる関係なく理解してしまったが。
「お忙しいところお時間賜りまことにありがとうございます。私、ヴァンハネン商会の番頭を務めておりますジェームズと申します。伯爵閣下におかれましては――」
ビジネススマイルを表情に張り付けたジェームズが、
彼を知る者なら誰が見ても驚く演技力だった。
いつものどこか漂う貴公子感は鳴りを潜め、身なりのいい平民程度の雰囲気となっている。
これを意図的にできるのであれば、やはりスパイの異名は伊達ではない。
「前置きはいい。市井の商会が我々に何の用なのだ」
――開口一番なかなかのご挨拶だな。しなければしないで無礼と断じるくせに勝手なものだ。
ロバートは鼻を鳴らしたくなった。
早くも会談の流れ着く先が傾いてくる。
「では早速ですが――」
ジェームズがへりくだった笑みを浮かべる中、ロバートは気を紛らわせようと相手の中心人物に目を向けた。
アンデルス・ハーパコスキ伯爵。
事前に現地担当員から資料をもらってヒアリングしたところによれば、彼がエトセリア執政府で商業関係を見ているらしい。
見ていると言っても、特に市井の取引に介入――需要バランスに合わせて指示を出したりするわけではない。本当に見ているだけのお飾り担当者だ。
強いて言うならば王城で必要なものを購入する役目も彼らの部署で担当しており、それは適当にやっているくらいか。ほぼ暇人である。
税収として“上がり”が増えつつあること、それ以外にも付け届けが各商会からされていることで細かく見る気もないのだろう。
ただし――ひとたび逆となった場合はどうなるか。こちらは想像に難くない。
「現状、エトセリアの商会は、各自で新人類連合に参加しました東方各国と商取引を行っており――」
「その程度のことは知っている。用件はなんだと聞いているのだ」
またも途中で言葉を遮られた。
相変わらず「さっさと済ませろ」と言ってくるあたり実に堪え性がない。
ロバートがどうすべきか悩んでいると、隣に座るクリスティーナの口端が小さく痙攣するのが見えた。これはあまりよくない兆候だ。
だが、まだ自分の出るべきタイミングではない。
「これは失礼いたしました、閣下」
ジェームズもなんとか空気が和らぐように動く。
「あくまで各商会が個別に動いているものですから、取引に関しましても相手側の意向に左右されかねません。つきましては、執政府が主体となり、各国と正式に通商条約を結ばれてはいかがかと思いまして……」
色々考えた末に、申し出は控えめな表現に留まった。
未だ教会に勝利した報せが届いていない以上、「傘下に入れ」と取られるような言葉は口にできない。
「通商条約? それでは我が国が新人類連合と通じていると教会から疑われるではないか」
保身案である。
「これまで通りに取引ができているのならよいではないか」
商取引のことなど何もわかっていないらしい。
「そもそも、商人ごときが政道に口を挟むべきではない」
結局一番言いたかったのはこれだろう。
返って来たのは、ハーパコスキ伯爵を筆頭に揃って否定的な答えだった。
傍で見ていたロバートは気付く。
この男――いや、この連中、基本的に新しいことに興味がないのだ。
「お言葉ではございますが、教会とて魔族戦線にかかりきりです。東方にどこまで力を割くかもわかりかねます。新人類連合と国境を接している以上、これを機に――」
さすがに番頭に扮したジェームズも、「はいそうですか」で終わるわけにはいかないため食い下がる素振りを見せる。
「僭越である」
ハーパコスキ伯爵が机を掌で叩いた。
要約すると「黙れ」ということらしい。
「人類圏の秩序を担ってきた教会がそう簡単に負けるはずがない。王家から領地を拝する者としてそのような愚挙は犯せない」
畳みかけるように言葉が続くが、どちらかと言えば「仕方ないから諦める」方向へ誘導したいように見えた。
ここであまり強い言葉を使うと、ヴァンハネン商会は他国に拠点を移しかねない。もしも他の商会がそれに連動すると自分たちの享受できる利益がなくなってしまう。
そうした打算が透けて見えた。
「さて、話は終わりだな。伯爵閣下はお忙しいのだ」
「まぁ、せっかく時間を作ったのだ。饗応くらいは受けてやらんでもないぞ」
「そのために女も連れて来たのだろう?」
「あまりあからさまに言うものではないぞ、諸君。彼ら商人は我が国のために動いてくれているのだからな」
貴族たちは顔を見合わせて笑い合った。哄笑――いや、ほとんど嘲笑である。
……ダメだ。この連中の頭には期待できそうもない。
貴族をひと括りにして国そのものがダメだと言うつもりはないが、これでは交渉相手とはなり得ない。
――ここは一発カマす必要があるか。想定通りと言えば想定通りだが……。
ロバートが口を開こうと姿勢を直した時だった。
「では、宴の用意をさせましょう。初めてお会いしましたのに堅苦しい話だけでは寂しいものです」
先んじて口を開いたのはまさかのクリスティーナだった。
にこやかな笑みを浮かべているが、ロバートにはそうでないとひと目でわかった。
「なんだ、女」
ハーパコスキ伯爵が胡乱な目を向けた。
……こいつはまずいことになった。
こうなっては部隊の指揮官に過ぎないロバートはもう口を挟めない。
ジェームズもミリアも「あちゃー」と言いたげな表情をしている。ここまでの彼の努力は完全に水の泡と化した。
商会が用意した
怒鳴らないのはミリアと揃って見目麗しいからだ。あまり威圧的な態度を取って嫌われたくないのかもしれない。
どうして、その意識を少しは商売に向けられないのか。
半分諦めたロバートはそう思ってしまう。もうどうにでもなれだ。
「これはこれは申し遅れました、伯爵閣下。わたくし、新人類連合はヴェストファーレン王国第一王女、クリスティーナ・セイレス・ヴェストファーレンにございます」
音もなく立ち上がったクリスティーナは、にっこりと微笑みかけてそっと一礼する。
どこまでも優雅な仕草だった。
「「「「……はっ?」」」」
ハーパコスキ伯爵を含むエトセリア側貴族全員の表情が固まった。
「エトセリア王国貴族の皆さまとは初めましてとなりますでしょうか。隣国でありながらこれまで交流が少なかったこと残念でなりません」
これはもうやる気でやっている。
とてもじゃないが、先ほどまで「自分がいると良くない影響があるのでは?」と不安がっていたのと同一人物とは思えない。
つい先日まではロバートたちが先頭に立って暴れていたため失念していたが、よくよく考えればクリスティーナも騎士団長を務めていただけのことはあって相応に武闘派だったのだ。
「さぁ、上質なお酒と料理を用意しました。まずはそちらを楽しみましょう」
ここまでくればさすがのエトセリア貴族たちも理解せざるを得ない。“料理”されるのは自分たちなのだと。
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