第200話 その頃のレイヴン
「執政府に接触したいんだが、ツテはあったりするか?」
開口一番ロバートはそう切り出した。
「いきなりお越しになられたかと思えば……執政府にですか?」
テーブルを挟んだ向こう側で、ヴァンハネン商会会頭のヨハンネスが、陶杯に手を伸ばしたところで動きを止めた。
少しやつれたように見える。それだけ忙しいのだろう。
「悪いね、忙しなくて」
ちょっと急過ぎたかとロバートは一旦前置きに戻る。
「ロバート殿がご多忙なのは承知しております。ですが、まずはお茶でもどうぞ。話はそれからでも遅くはありますまい」
ここでも紅茶は着々と浸透しているらしい。先ほど売上報告と共に、ヨハンネスが手ずから淹れたものを出してくれていた。
「これは失礼。温くなる前にいただきます」
軽く詫びてロバートは紅茶に手を伸ばした。同席しているスコット、サシェもそれに倣う。
他のチームメンバーは宿にいるか街の散策に出ている。この場に王族たるクリスティーナがいても相手に気を遣わせるだけだ。
「
しばらくの間、紅茶を味わったところでヨハンネスから口を開いた。
「少しばかりね。それからまた別のところに行っていた。休む暇もない」
教会本部から戻った足でロバートたち“レイヴン”チームは、ヴァンハネン商会の本店に出向いていた。
エリックの護衛が終わったため、当初の目的通り遊撃チームとして動き始めたのだ。
「あなたがたが来られたということは、いよいよこの地方を?」
「ああ。バルバリアを降し、教会討伐軍を退けた今、次は北西部を安定させておきたい」
「商会にとっては良い話です。西方へ出るのはヴェイセル殿たち護衛集団も慎重になっております。東のようにはいきませんから」
ある種の“役得”として、ヨハンネスは周辺情勢をいち早く入手できている。
〈パラベラム〉の連絡員が数名、ヴァンハネン商会にオブザーバーとして派遣されているからだ。
これが彼の商売の大きな助けとなっているのは言うまでもない。
「精力的に動いているみたいだな。ここに来るまでずいぶん荷馬車を見たぞ」
「この機に動かないのは商人失格です。バルバリアへの食糧取引だけでもかなりありがたいのですが、輸送路が安定しているならやらない手はありません。今は主に西から来る商会に荷を流しているだけですが」
ヨハンネスは控えめな笑みを浮かべて紅茶を口に運ぶ。
教会の敗北は多くの予想を覆した。
これに伴い、西からの需要がこれでもかと急増している。
大陸中の商人が出遅れないよう動き始めているが、ヴァンハネン商会はこれに先んじて新人類連合側からの仕入れを強化していた。飛ぶように品が売れるのだ。
「順調なようで何よりだ」
ロバートも相好を崩した。顔見知りが上手くっているなら悪い気分になどなろうはずもない。
本来、ヨハンネスの資金力だけでは到底賄いきれないが、そこは協業しているスロブスチアのビストリツァ商会と分担することで商品に特化する形が取れている。
仕入れを一括で行えば単価は下がり、商品も絞ることでより収益が改善されるのだ。
「商人として本分を尽くしているだけです。して、いよいよこの国を新人類連合に組み込むおつもりでしょうか?」
「教会との交渉はお偉いさんに任せた。とはいえ、動けるところは動いておきたい。あとは向こうが色良い返事をしてくれればだな」
さすがのヨハンネスも「そうはならなかったら?」とは続けなかった。
彼らは商会の危機を救ってくれた恩人であると同時に、かつて出奔してしまった
関係の深い国に荒っぽい真似はしない……はずだ。おそらく。たぶん。
「すんなり進めば良いのですが……」
「不安か?」
ここでスコットが口を開く。問われたヨハンネスは答えに窮した。
「前回大暴れしたスコットさんが訊くのはどうかと思いますよ」
「ははは、言ってくれるじゃないか」
サシェが敢えて言葉を挟み、スコットもそれに応じる。空気が幾分か和らいだ。
「ご存知の通り、我が国は吹けば飛ぶような小国です」
迷った挙句、ヨハンネスは曖昧な反応に留めた。その反応を受けたロバートは笑うしかない。
日頃から付き合っているからわかるが、彼ら〈パラベラム〉は異質だ。
当時巻き込まれていたゴタゴタを解決するためとはいえ、犯罪組織相手にまるで実力行使を厭わなかった。おそらく国が相手でも態度はさほど変わらないだろう。
「エトセリアには可能性がある。国力の話じゃない。ここは西方世界――大陸中央への北方回廊となりえる」
地球でも交易地として栄えた小国は歴史上いくらでも存在している。
「何かと表に出ているヴェストファーレンではなくですか」
「ネームバリューはあるが、その分恨みも買っているからな」
たとえば独り勝ちに過ぎるなど……。
「相応の理由があるわけですか。分散策と思えばよろしいので?」
ヨハンネスもわずかなヒントで全体を理解していく。サシェの知性は彼譲りなのだろう。
「そうだ。第三国を経由すれば、我々の品を教会の勢力圏関係なく流通させられる。人は“言い訳要素”があれば罪悪感を消せるからな」
「なるほど……。交易で広く存在感を植え付ける――武器によらない戦ですか」
現に紅茶はそんな位置づけだ。今更「敵性物資だ」と禁止することも難しいだろう。
「さすがは商人だ。理解が早い」
「お褒めに預かり光栄です。しかし、私たちは皆様のお力を借りているに過ぎません」
ヨハンネスは謙遜したが、ロバートはそっと首を振る。
「だとしても、そこから先はあなたの才覚でなし得た成果だ。きちんと売れるものを見極めて商売をしている」
協力関係にあるヴァンハネン商会からは定期的な売上を含む決算報告が上げられている。健全な財政状態であることは〈パラベラム〉として把握済みだ。
「背景は理解しました。利益を出させていただいている以上、お頼みとあれば可能な限り動きましょう。日頃の付け届けが役に立つと思います」
ヨハンネスも付き合いを心得たもので、自然と話題を結論へ誘導した。
やはり後ろ盾があろうと、自分たちで考えた経営で成長を続けている商会の会頭だ。普段から手抜かりなく動いている。
「まぁ、執政府も下手な対応はしないだろう。いくらなんでも俺たちの手が回っていると知らないはずもない」
為政者は基本市井のことなど興味はないが、自分たちに関係してくると途端に嗅覚が鋭くなる。
見慣れぬ嗜好品が流れ込んで来ていると気付き、それなりに調べている者は存在するはずだ。
「はて、何も知らない方が与しやすいのでは?」
「たしかにそうだ。相手が有能だと交渉は難しくなる。だが――」
「何も知らないヤツほど自分の価値を理解してない。そうなったら首から上をすげ替えなきゃならん」
言葉を引き継いだスコットが声を低くした。巨漢がやると妙な凄味がある。
「そうなると……ひどく混乱しそうですな……」
民心を集める王家であれば相応の態度で臨む必要が出て来るが、ヨハンネスの口ぶりからするに、王族への敬意はあまりなさそうだ。
あるいは、情勢の安定した小国ではこのようなものなのかもしれない。
「トップがまともだと祈っといてくれ。無政府状態から商業大臣とかの地位に就きたければ話は別だが」
ロバートは冗談めかしてそう言ったが、「必要とあらばそれくらいはやる」と後に続くであろうことは容易に想像できた。
「そのように分不相応な野心など。私はあくまで商人として在りたいだけですし、祖国の危機も望みません」
ヨハンネスは努めて冷静に返す。謙遜でもなんでもなく偽らざる本音だった。
彼ら〈パラベラム〉の介入により、バルバリアは驚くほどの短期間であっさり攻め落とされている。
教会による秩序の中で、たまたま独立を維持できている祖国が対抗できるとは到底思えなかった。
だから――間違っても彼らに喧嘩を売るような真似はしないでほしい。
ヨハンネスは心からの念を王城の方へ飛ばす。
「まぁ、せめて王城がなくなるくらいで済ませたいところだな」
下手すれば王都が灰燼に帰すとでも言わんばかりだ。
「冗談でもやめてください。皆さんが言うとシャレにならないですから……」
とうとう耐え切れなくなったサシェが父の代わりにそう漏らした。
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