第198話 君は生き延びることができるか?


「さて、そんな東部でのいくさですが、我々には和平交渉の用意があります。この意味をおわかりになりますでしょうか?」


 エリックは相手の反応を待たなかった。


 この若き枢機卿を追い込んでも大した意味がないと理解しているからだ。

 ちょっとばかり脅かしたのは大人げないかもしれないが。


「……これから交渉を行う相手を……刺激するような真似はしないと……」


 蒼白な表情のまま、イリストフはひとつひとつ言葉を確かめるようにゆっくりと口を開いた。


「ご想像にお任せいたします」


 エリックは曖昧に微笑むに留めた。


 対するイリストフには、将軍から向けられた笑みは「よくできました」と語りかけているように見えた。


「あなたのような方が来られた背景を考えれば、おのずとわかることでしたか」


「そうは申しません。ですが、判断を下させるだけの材料は開示したつもりです」


 不思議なことにイリストフは相手の物言いに反感を覚えなかった。

 こうなったのは自分が先走ったのが原因だ。それに、ここまでの会話から完全に器が違うと思い知らされたのもある。


 ――教会以外の勢力に、このような人間が現れたということか……。


 派遣されてきた人間でなのだ、果たして最高責任者トップはいかほどなのか。

 恐ろしさと興味が同時に湧き上がる。


 相手の意図が明らかになると、イリストフの思考にも少しだけ余裕が出てきた。

 老獪な僧侶たちには及ばずとも、若くして枢機卿にまで上り詰めたなりの経験が、彼をギリギリのところに押し留めていた。


「……マクレイヴン閣下、先ほどは愚にもつかないことを申しました。訂正の上、謝罪させていただきます」


 この内容に限った話であれば教会の威信は傷付かない。そう判断してイリストフは迷わず頭を下げた。


 所詮は非公式な会談だ。

 あくまで代替行為に過ぎないが、これなら多少は相手も溜飲が下がることだろう。政治的生き物として思ったのもある。


「受け入れましょう。本部が襲撃を受けたのです、神経質ナーバスになるのは致し方ないことかと存じます」


 エリックは気にしていないと少しだけ表情を柔らかくして軽く手を振った。


 場の空気が幾分か和らいだ気がした。

 謝罪の影響も相応にあると思われる。


 事実として伝わってくる感覚に、イリストフはわずかばかりの安堵を覚える。

 表情には出さないよう依然細心の注意は払っているが。


「しかし、魔族はいったいどこから……。さすがに正規の手続きで門から入れば魔力感知で気付いたと思われます」


 青年は相手の言葉に甘える形で話を変えた。

 自分から突いた藪ではあるが、これ以上詰なじられては堪らないと思ったのもある。


「海からでしょう。どの程度かはわかりませんが、西方の海峡を抜ける手立てを見付けたのだと思われます」


 さりげなく、この世界の地理を把握しているとエリックは伝えておく。

 もっとも、イリストフは予想していなかった部分にのみ驚き、今匂わせた部分にまで気付いた様子は見られない。

 今はそれで構わない。こうしたものは後からじわじわと効いてくるのだ。


「であれば、まだ近くに――」


「いるでしょうな。おそらく沖合に船か何かが。仲間が戻らない、あるいは騒ぎが見られないとなれば、いつまでも留まってはいないでしょう」


 考えるまでもない。当たり前の話である。

 作戦が成功したのか失敗したのか、どのような形かはわからないが、然るべきところへ報告を届けようとするはずだ。


「ヤツらを逃がすわけには――いや、せめて追うなりせねば……! ここは本部にして聖地、我らの沽券にかかわります……!」


 イリストフは腰を浮かせた。

 今更何をと思われようが構わない。教会に籍を置く者として見せねばならない矜恃プライドだ。


 対するエリックは青年の姿勢に評価を上方修正した。

 この様子では内通者の候補から外していいかもしれない。こちらの予想を上回るやり手の可能性もあるが、そこまで考えるとキリがない。


「最悪、死体でも構わないと?」


「逃がすことの方が問題です」


 ならば、猶更のこと“仕込み”はここで使っておくべきだ。


「――聞いたか、仕留めていいそうだ」


 そこでエリックが胸元に向けてつぶやくと、窓の外――沖合に視線を向けた。

 イリストフもつられてそちらを見る。


「な、何を――」


 しばらくして、遠くの沖合でふたつほど水柱が立ち上るのが見えた。


 瞬間、おぼろげながら事態を理解した青年の背中に膨大な汗が噴出する。


 まさにあっという間の出来事だった。そちらを見ていなければ気付かずに終わった可能性もある。

 から導き出される事実はひとつしかない。

 ところが、そうであると結論を出すのを脳が強く拒絶している。


「今のは……」


 自分だけではない。事態を見守るカテリーナの表情も、何かに気付いたように硬くなっていた。


「魔族は


 青年にとってもっとも聞きたくない言葉が、視線を戻したエリックの口から何気なく放たれた。


「……何と、おっしゃられました?」


 イリストフは縋るような思いで問い返した。

 できることなら聞き間違いであってほしかった。


「沖合にいた魔族の船は、たった今、木端微塵になりました」


 現実はどこまでも非情だった。

 手段はまるでわからないが、信じられないことにエリックは「自分たちがやってのけた」と正面から答えたのだ。


「の、残っているのは――」


 無駄とわかっていても問わなければならない。まだ、自分たちにできることはないか。せめて姿勢だけでも――


「死体だけです。まぁ、生存者はいないでしょうが、捜索をなさるなら止めはしません」


 エリックの言葉には確信があった。いや、そう見せた。


 拳銃弾や小銃弾で殺せる相手が、対戦車ミサイルヘルファイアの直撃を受けて無事とは考えにくい。

 途轍もなく運が良ければ生きているかもしれないが、死んでないだけで重傷だろうし、その後溺死せずどこかに流れ着くなり、海棲生物に喰われない可能性はもっと低い。


 なによりも、〈パラベラム〉にとって魔族の生死はどうでもよかった。たった今、イリストフの前で実力の一端を示せた意味の方がよほど大きい。


「あ、ああ……」


 混乱状態にあるイリストフの返答はまともな言葉にならなかった。

 あまりの事態にどう返せばいいかわからなくなってしまったのだ。


 ――私はどうすべきだ……!?


 何が本当か、現時点ではわからない。

 だが、現に何かが起きたとしか思えない水柱は上がった。それはイリストフ自身も目撃している。


 ならば――枢機卿として動かねばならない。たとえ投げ与えられたものだとしても、若き彼は小さな功績を重ねるしかないのだ。

 彼はここから自分に何ができるか考え、椅子から立ち上がると扉に向かった。


「僧兵を集めろ。賊は海から来た可能性がある。私の権限で動かせる範囲で構わない。逃走手段があるかもしれん。沖合を捜索しろ」


 すぐさま外に控える部下に証拠を集めるよう指示を出す。


「承知しました。ところで猊下、襲撃を受け枢機卿会議が行われるとのことで召集がかけられております」


「わかった。すぐに行く」


 短く答えてイリストフは部屋の中へ戻る。

 今日は何度これを繰り返したことか。笑いそうになってしまう。


「どうやら呼び出しがかかったようですね」 


 エリックは相変わらず冷静な表情を維持していた。

 隣のカテリーナはそんな彼を困った相手と言いたげな目で見ている。


 ――これはもしや……。いや、今は触れまい。


「お越しいただきにもかかわらず、短い時間となり大変申し訳ありません。――最後にひとつ」


 もう大聖堂へ向かわねばならないが、イリストフには確認しておきたいことがあった。


「なんでしょう?」


「魔族の襲撃は大きな衝撃でした。しかし、その裏で、あなたがたは誰にも気付かれずここにいる。それを私としては重い事実として受け止めたい」


 問いを受けたエリックの眉が小さく動いた。

 今度は事態を楽しむような形であり、おそらく今日初めて見せるものだった。


 ――間違いなく誘い込まれている。でも、自分は気付けぬ男と失望されたまま終わりたくない。


 エリックが自分の目の前で魔族に攻撃してのけたのも、示威行為――自分たちの力を知らしめるためだろう。

 そうとわかっていながら、イリストフは自身を訴えかけるために続く言葉を発した。


「その気になれば――魔族の比ではない被害が出せたのでは?」


 問いには純粋な好奇心も含まれていたが、やはり討伐軍を倒したと言ってのけたこと、また沖合の魔族を難なく捕捉して吹き飛ばした光景が脳に焼き付いて離れない。


「我々なら――


 エリックは言葉を飾らず正面から答えた。

 淡々と語られるからこそ、確固とした戦歴に支えられているのだと言葉の恐ろしさが理解できる。


「……左様ですか」


 イリストフは椅子に背中を預けて瞑目した。

 できるかぎり表情を保っているが、今度は額にまで玉の汗が浮かび上がる。相手の言葉が虚勢や冗談の類でないと肌で理解したからだ。


「繰り返しますが、我々は敵対を望んでおりませんし、新たな秩序を生み出そうなどとも考えていません」


 口調を崩さないまま、エリックがゆっくりと立ち上がった。カテリーナもそちらを眺めつつ続く形で席を立つ。


「ただ、あなたがたが亜人デミと呼び迫害する種族を含め、簡単には相容れないこともいくつかありましょう。そこから生まれる流れとてあるかもしれません。そこだけは、あらかじめご理解いただきたいものですな」


「それは――」


 難しい。反射的にそう答えようとしてイリストフは言葉を呑みこんだ。


 またぞろやらかすところだった。

 そのような回答など承知の上でエリックは口にしたはずだ。今この場で答えを求めているわけではないのだ。


「またお会いしましょう。次こそは実りある会談となることを願っております」


 それは奇しくも、かつてモレッティ大司教がヴェンネンティアを去る際に聞いた言葉に近いものだったが、若き枢機卿にはこう聞こえた。


『“改革派”を名乗るなら、教会のために何ができるか今一度考えてみろ』


 そう言われているような気がした。



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