第196話 若き枢機卿
“蒼月の聖堂”に入ったカテリーナは建物の奥へと進み、受付の人間と何やら言葉を交わす。
さして時間も経たないうちに、例のごとく更に奥へと通された。
しばらく待つよう言われたのは応接室――しかも内装が豪奢だった。
明らかにVIP対応の部屋である。これならいきなり捕縛されることもあるまい。
「よくもまぁすんなりいったもんだ」
エリックは素直に感心した。
先ほどは比較的重要度の低い施設で、相手が中小騎士団の団長だったからまだわかる。
しかし、今回は教会でも明らかに上から数えた方が早い枢機卿だ。
暇かどうかはさておき、面会依頼が通ったこと自体が驚きだった。
「そこはまぁ……わたくしもそれなりに名が通っておりますので」
おそらく、ヴァネッサに接触した時と同じで、何かしらの直通手段があるのだろう。
そうでなければ、変装した人間では門前払いを喰らってつまみ出されるのがオチだ。
「もっとも、例の一件がまだ伝わってないのもありそうだがな」
魔族の侵入が伝わり騒ぎとなっていればこうはいかなかっただろう。
「まさしく。そうであれば面会は叶わなかったかもしれません」
カテリーナは複雑な表情で頷いた。
治療院での騒動はまだ広まっていないようで、僧兵たちが辺りを走り回ったり、増員がかけられている様子もない。
些細な変化にも気付かないとは呑気なものだ。そう思わなくもないが、逆に言えば大事になる前に対処できたからこうして動けているのだ。
カテリーナはそう自分を納得させた。もしかすると同行者たちの思考に染まりかけているのかもしれない。
「こちらとしてはありがたいがな。正直、二度手間は避けたかった」
エリックは控えめながら安堵の表情を浮かべた。
この世界の標準的な移動手段からすると、ありえないほど短時間で来られるとはいえ、サスペンションもない馬車に長時間また揺られるのが現代人には何よりも辛いのだ。
それに――
言葉にも態度にも出さないがエリックは考える。
次があるとして、その時にカテリーナがどういった扱いになっているかわからない。
この地の警戒体制が厳しくなることよりも、果たして当代聖女の名前が使えるかどうか。そちらのほうが重要だった。
――まぁ、それは今俺が考えることじゃない。
懸念は胸の奥にしまっておく。
「私にお会いしたいというのはあなたがたですか?」
しばらくして、ノックとともにひとりの青年が入って来た。
ふたりは立ち上がって軽く頭を下げ、それからあらためて視線を向ける。
「どうぞおかけください、ご用件をお伺いしましょう。当代聖女殿の紹介とありましたから重要事項かと思いますが……」
青年から穏やかな微笑みが向けられた。
やや細身の身体に、深い青色の髪と緩いカーブを描く目元。それらが全体的に落ち着いた雰囲気を作り出している。
地位を表すための装飾と、ワインレッドを基調とした目立つ衣装に身を包みながらも、いかにも高位聖職者といった空気を程よい塩梅にまで調整していた。
――見た目に騙されたら飲み込まれそうだな。
エリックは意図的に一歩退いて相手を見る。
青年の穏やかな笑みは相対する者の警戒を容易に潜り抜けてくる。そう直感した。
果たして若くして枢機卿の地位に上り詰めた事実をどのように見るか。
家柄だけのボンボンと見るか、蓄積したノウハウが生み出した傑物と見るか。
それによって抱く印象はまるで異なってくるに違いない。
「……ん?」
彼の油断ならない部分を証明するように、浮かべた微笑がカテリーナを見てわずかに硬くなる。
「まさか、聖女、殿……!?」
出会ってまだほんの数秒だ。
それだけで青年はカテリーナの変装に気付き、目を丸くしていた。すさまじい洞察力である。
「お久しぶりですわ、アズラエル枢機卿」
カテリーナはわずかに驚いたようだが、すぐに平静を装って挨拶の言葉を返した。
「どうしてここに? 自ら東方へ向かったのでは?」
青年の目がチラリとエリックを向く。
彼のデータベースには引っ掛からなかったのだろう。当代聖女と共にいる素性の知れない人間が気になったのだ。
「ええ。無事に辿り着きました。その結果として――今ここにいるのです」
カテリーナは端的ながらも正面から青年を見据えた。
「……何やら事情があるようですね。少々お待ちを」
青年は話が簡単には済まないと理解したらしく、呼び鈴を軽く鳴らして一旦部屋の外に出る。
「悪いが客人へお茶を――」
控えていた人間に茶を手配するよう指示を出す声が聞こえた。
元々用意はしてあったのか、すぐに給仕役と思われる尼僧が入って来る。彼女は慣れた手つきでテキパキと淹れていく。
「まずは珍しい茶葉を手に入れましたのでそちらをどうぞ。渋みが気になるようでしたら砂糖もあります」
飲み物を勧められるが、漂う香りでわかった。例の東方亜人領域産の紅茶だ。
早くも教会本部にまで流れてきているのか。
カテリーナを見ると小さく頷いた。
なるほど、ちゃっかり彼女の商会が動いているらしい。
青年はそこには気付いていないのか、教会でこの茶葉が広まりつつあることを世間話として語る。
カテリーナもエリックも無難な反応をするだけの留めた。自ら言うようなことでもない。
「……さて、この部屋は安全です。余人に聞かれることもありません」
少しの間紅茶の香りを楽しんでいると青年が陶杯を受け皿に置いた。
そろそろ本題に移るつもりらしい。
「申し遅れましたが、私はイリストフ・ディエス・アズラエル。聖剣教会の枢機卿の任を賜っております」
立場があるにもかかわらず、イリストフはカテリーナが動くより先に自ら名乗りを上げた。
秘書官に相当する者がいないのに腰の軽いことだ。そうエリックは思うが、彼の狙いが他にあることにも気付いていた。
彼は聖女ではなく隣に座る人物が主役だと察し、そこに気付いていると相手に自己紹介の形で伝えたのだ。
「アズラエル枢機卿猊下、ご丁寧な挨拶まことに恐れ入ります」
エリックは姿勢を正すと、再度、そして今回は深々と頭を下げた。
偶然と呼ぶべきか、彼の家名はアズラエル。キリスト教とイスラム教における“死を司る天使”と同じ響きだ。
名前など所詮は記号に過ぎない。先入観を抱くべきではないが、そこを気にするのは避けられそうにない。
「私はエリック・J・マクレイヴン。新人類連合所属、傭兵国家<パラベラム>准将にしてヴェンネンティア駐留軍司令官の地位に就いております」
自身も偽ることなく、先ほどヴァネッサに向けたものと同じ名乗りを返した。
幸いにして、若き枢機卿は脳筋騎士のように眉を寄せたりはしない。
ただ、代わりというわけではないが、微笑を湛えた表情がわずかに固まった。
「新人類連合――私の記憶違いでなければ、人類に反旗を翻した集団と同じ名前ですね」
イリストフは一瞬だけ瞑目すると、そっと両手の指先を合わせた。
思考を整理するためだろう。
しかし、それより先に、予想よりも遥かに大物が現れた――表情と仕草がそう物語っていた。
「それは“認識の相違”でしょう。我々は反旗を翻した覚えはありません」
「教会はそう思っていないようですが」
自身の考えとは言わない。「そうでないなら証を見せろ」ということなのだろう。交渉に値する存在か見極めようとしているのもあるだろうが。
「遠くの地で起きたことです。情報が錯綜しているのでしょう。あるいは……意図的にそうさせられているか」
エリックは唇を湿らせると、単刀直入にそう告げた。
言葉遊びはなしだ。相手にわかるよう誤解の余地を与えない。
「フム……。もう少し迂遠な物言いをされると思っておりました、マクレイヴン将軍閣下」
対するイリストフは意外そうに訊ねた。
「猊下との駆け引きに興じるのも悪くはなかったのですが……。あまりゆっくりしていられないようなので」
「はて、あなたがここにいると認識している者は他にはおりませんでしょう?」
イリストフ自身、未だに目の前の者が「そうである」と信じられないのだ。
隣にカテリーナがいなければ一蹴していたかもしれない。
「そのつもりでしたがね。しかし、そうも言っていられない事態となりました」
エリックが姿勢を正し、イリストフもそれに釣られて姿勢が前に向く。
「先ほど――治療院が魔族の襲撃を受けました」
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