第195話 次なるカチコミ先へ


 ただそこに暮らす民といえど、あるいはそれにゆえに些細な変化には敏感であった。

 いつもとはどこか異なる空気が流れ込むのを機敏に察知し、イノケンティウムの街は徐々にではあるが騒がしくなりつつあった。

 ついには事情を知る誰かが口走る。

「魔族が現れたって話だ」「どこに?」「なんで?」「間違いでは?」

 口々に出る言葉が街の温度を高めていく。

「外出は控えるように!」「事実確認中だ!」「怪しい者を見なかったか?」

 今度はそれを僧兵たちが鎮めようと動き出す。


 そうした空気から逃れるように、人目を避けて路地裏を進むローブ姿の集団があった。


「――ここまで来れば、もう大丈夫ですかしら」


 窮屈そうにローブを脱いだカテリーナがあたりの様子を伺った。


「おそらくは。追手の気配もないですし、僧兵の姿もなさそうです」


 将斗が少しだけ先行して周囲を確認すると「問題ない」と手を掲げた。


『UAVからも監視していますが異常なし』


 上空から見守ってくれているジェームズからも連絡が入った。


「よし、少し休むか。よろしいですか、准将」


「構わん」


 ロバートが提案してエリックが承認する。先ほどからずっと緊張を帯びていた空気が少しだけ和らいだ。




 魔族の襲撃を退けた〈パラベラム〉一行は、騒ぎが大きくなる前に治療院を抜け出していた。


 カテリーナ経由でヴァネッサに「残るとややこしくなるから、裏口から抜け出させてくれ」と頼んでどうにかした形だ。

 まだ本格的な騒ぎになっていないとはいえ、表から出ればさすがに僧兵、あるいは誰かに目撃される恐れがあった。

 まだ残った予定もある。後々「怪しい連中がいた」などと警戒されるのは避けておきたかったのだ。


「……そろそろ参りましょうか。ヴァネッサが作ってくれた大事な時間です」


 カテリーナが先を促す。

 まるで時間を稼ぎ出すためにヴァネッサが犠牲になったような言い方だが、ある意味それは間違っていなかった。


「後始末を押し付けてきたが……大丈夫なのか?」


 気になったエリックが問いを発した。


「責任者ですもの、仕方ありませんわ」


 カテリーナは平然と言ってのけた。

 普段のベタベタ具合に反して、こういうところは案外ドライである。


「あの顔を見てよくそう言えるな。本来の責任者はカテリーナだろうに……」


 ヴァネッサには「また連絡する」と言ってきたが、その際の捨てられた子犬のような顔には敬愛するカテリーナと離れるのを惜しむ以外の感情も含まれていた。

 この騒動の後始末を自分がしなければいけないという絶望だ。


「ごあいにくと、今、わたくしはあそこにいないことになっておりますから」


 カテリーナは意に介さず微笑んだ。


「斬りかかられたとはいえ、上司がじゃあ気の毒になってくるな」


 聖女の開き直りにエリックは嘆息した。あまり強く言うつもりもないが、エリックはチクリと刺しておくのも忘れない。

 軍人としての経験から、さすがに取り残されるヴァネッサが気の毒になったのだ。


 “ここにはいないはずの存在”をいいことに、カテリーナはまんまと治療院を抜け出してエリックと共に街中を歩いている。職務放棄もいいところだ。


「あら、もうすこし感謝してくださってもよろしいのでは? わたくしが便宜をはからなければ、あのまま重要参考人として拘束されていたかもしれませんのに」


「それはヴァネッサに正体を晒した時点で成り立たないだろ。連中は、何が何でも当代聖女の立場を守るはずだ。いい部下を持ったな」


 エリックの視線がカテリーナを射抜いた。「少しは感謝しとけよ」という意味合いでもある。

 事実として、彼女に責任はないが魔族による犠牲者も出ているのだ。


「そこは申し訳なく思っておりますが……」


 さすがにカテリーナも意図を察して目線を落とした。


 たとえ仲間が犠牲になっても、はたまた本部の事情聴取に対して隠蔽しなければいけないとしても、彼女たちは拠り所であるカテリーナを裏切らない。

 “人類の叛乱者パラベラム”が一件に関わっていても、「何か事情があるに違いない」と今はすべてを飲み込んでいるのだ。


 よく訓練されていると思う。けっしていい意味だけではないが。


「……まぁ、案内を頼んだのは俺たちでもある。しゃしゃり出た形になったが、聖女候補や市民に被害が出なかったのをよしとしてもらうしかないな」


 エリックは話の向きを変えた。


「今回の一件は、あくまでも“偶然”でしたでしょう。エリック様たちに責など……」


 当然と言えば当然だが、魔族のテロなど寝耳に水だった。

 ようやく東方に勢力圏を築き上げ、教会とのゴタゴタもひと区切りが見えてきたところなのだ。

 魔族に関して情報収集している余裕などどこにもなかった。


「事前に察知していれば、もっとマシな作戦を立てられたがな」


 言っても詮無きことと知りつつ、エリックはそうつぶやいてしまった。


 自分たちが万能だと己惚れてはいないが、民を守ろうとした女騎士が犠牲になったことは彼であってもやりきれないのだ。

 軍人ではない、あるいは殉職した騎士と同じ組織にいたクリスティーナや、人死にに慣れていないサシェやマリナなどは沈痛な面持ちになっている。


「……まぁ、今回は非常時でした」

「そうです。関与を悟られては困りますから捕虜も取れませんでしたし……」


 空気を読んだスコットが溜め息を漏らし、将斗がそれに続いた。


「前提条件から困難でした。捕虜から何かしら情報は得られたかもしれませんが……。もっとも、あの規模の襲撃に留まった以上、魔族でも末端の構成員だった可能性は高いと思われます」


 総括するように、すべての感情を眼鏡の下に封じて翼が事務的な口調で答えた。


「……そうだな」


 エリックは感傷を捨てた。


 未だここは“敵地”なのだ。

 余計な感情に飲まれないよう冷静に振る舞わねばならない。


 そうした部分を理解してくれるチームのサポートが身に染みた。


「ところで、騎士団は大丈夫そうか? 元々は状況を伝えるために来たんだろう?」


 あらためてエリックはカテリーナに問いかけた。


「そこはヴァネッサも心得ているでしょう。ただ、騒動のおかげでしばらくは……」


 今回の“後始末”で、しばらく薔薇騎士団は身動きがとれなくなるはずだ。


 襲撃してきた魔族をすべて倒しているため、責任を問われたり、必要以上の追及は受けないと思われる。


「俺たちは関与がバレなければそれでいい」


 薬莢などもすべて回収してきた。

 魔族をどのように倒したかまで調べられなければ、〈パラベラム〉の痕跡は露見せずに済むだろう。


「騎士団にも立場があります。余計なことは言わないでしょう」


 治療院、聖女候補たちを預かる騎士団の威信もある。

 カテリーナも言い含めているし、ヴァネッサとて馬鹿正直に「部外者の力を借りた」とは言わないはずだ。


「なら問題ない。……残るひとつを片付けよう」


「ええ、こちらに」


 カテリーナの案内を受けながら、エリックたちはふたたび大聖堂近くの大通りに出る。

 人ごみの中に入ったことで、それぞれがカップルの形を取り他人同士のていで道を進んでいく。


 程なくして聖堂のひとつに辿り着く。


「ここが目的地、“蒼月の聖堂”ですわ」


「大仰な名前だな。それで、次に接触するのは誰だったか?」


 エリックの問いにカテリーナは表情を少しだけ固くする。


「お会いいただきたいのは、“改革派”のトップ――アズラエル枢機卿です」

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