第194話 居合わせたのが運の尽き


 初めに異変を感じたのは、果たしてどこだったのか――

 今の薄れ行く意識の中ではまったく思い出せなかった。




 断末魔の悲鳴を上げた人間が床に倒れる音。それに続く形で声は放たれた。


「この建物は我ら魔族が占拠した! 抵抗する者は容赦なく死んでもらう!」


 ある種の昂揚感を胸中に覚えながら、リーダーが宣言した。


 魔族として人間どもの中枢に一撃を喰らわす。待ちに待った瞬間と言えた。


「なんだ!?」

「魔族!?」

「どうしてここに!?」


 傷病人ながら口々に驚きを口にする患者たち。

 エントランスの扉が固く閉ざされ、そちらにも魔族が塞いでいるのを見ては逃げ出すこともできない。


「騒ぐな! あいつのように死にたいか!?」


 高々と掲げた手の先から、魔力で生み出した青白い炎が迸った。

 それがまた周囲の患者たちの悲鳴となる。


 受付の向こうから飛び出して来た護衛騎士たちは、先ほど魔法の集中砲火を浴びて黒焦げになっている。

 それらを再確認した人間たちはすぐに腰を抜かしたように動けなくなった。


「しっかり見張っておけ。妙な素振りをした者には容赦するな。殺していい」

「はっ」

「あまり減らし過ぎるなよ。人質の価値があるうちはな」

「初手が上手くいったからと油断せぬよう指示を出しておきます」

「潜入は完璧に上手くいったからな」


 満足気に頷き合う魔族たち。

 イノケンティウムへの潜入は彼ら自身が驚くほど何事もなく完了した。


「我らは寡兵です。狙いもちょうどよかったのでしょう」

「幸い、ここは人気ひとけが少ない。警戒されにくい場所だ」


 事前に“手引き”があったのもあるが、近隣の漁民に扮して海から潜り込めば誰も身元を確認してこない。

 魔族がこちら側の海にまで入り込めるとは思っていないのだろう。慢心としか言いようがなかった。


 念には念を入れ、ひと晩隠れ家で時間を過ごしてから行動に移したが、結果としては今のところ文句のつけようがない。


「あとは目的を達成するだけだな」

「騒ぎが伝われば僧兵たちが雪崩れ込んできます。ですが、上手くやればそれも遅れるでしょう」


 ここまでは順調だった。


 ロビーを占拠して扉を閉め、居合わせた人間どもを人質としてひとまとめにしたところまでは良かった。

 誰も彼も傷病人で抵抗する素振りすら見せなかった。魔族の脅威くらいは人間程度の脳みそでも多少は理解できるのだろう。


「……まだ掃討できないのか」


 苛立ちが募る。


「思いのほか時間がかかっているようです」

「上はあと少しと聞いていますがしぶとく抵抗を……」


 部下が口々に答えた。

 護衛に配された騎士たちが反撃してきたため、聖女とその候補と呼ばれる者たちの始末が遅れている。


「後方で安穏を貪る人間ごときに後れを取るはずがないと思っていたが……」


 最初はそう考えていた。


「いかに気の抜けた後方とはいえ、聖女を守る者たちはそれなりの実力があるようです」


 こうして抵抗を続けていること、また最前線での拮抗状態を考えるに相応の理由があるのだと思うに至る。

 多くの魔族から抜けている感覚を持たねば戦況の打開は難しい。


「……時間がかかり過ぎだ。このままでは気付かれる。人質を連れて武装解除を要求しろ」


「投降してきた後は?」


「全員殺せ。今日の報復を考るだろうし、いずれ脅威になる。先に潰しておくべきだ」


 女だけと聞いたが、躊躇する気持ちは湧いてこない。

 相手は魔族ではなく人間だ。女子供だとかそうした感覚は生まれない。


「あとは脱出時に少しでも多くの被害を人間どもに与えてやる。これは正当なる報復だ。魔力は温存してお――」


「テロに正当もクソもあるかよ」


「誰だ!」


 怒声とともに視線を向けると、人質の中から数人が立ち上がっていた。

 声を上げたのはそのうちのひとりの巨漢らしい。


 どこにこんなヤツらがいたのかと思うが、目的の方に意識が行っていただけだろう。


「なんだ貴様らは!」


 この状況で動く者がいるとは思っていなかった。

 口だけの人間など容易く殺せるが、この状況で動いたのは少し気になる。怒らせて外に知らせるつもりだろうか。

 たいした自己犠牲だ。教会の狂信者なら当たり前なのだろうか。


「傷病人を人質に、女子供も皆殺し。ついでに最後っ屁とばかりに外も襲って逃げるだぁ? どんだけ矜持もクソもないドクズなんだよ、おまえら。大義とやらを掲げればさぞや立派な戦士になるんだろうな」


 堂々と立った巨漢が心底呆れたとばかりに侮蔑の視線を向けてくる。周りの者たちの視線もほとんど同じようなものだった。


「き、貴様……!」


 時間稼ぎの挑発にしてもやり過ぎだ。瞬く間に魔族たちの怒気が膨れが上がっていく。


「本当のことを言われたからってそんなに怒るなら最初からやるなよ」


 鼻で笑われた。この瞬間、魔族たちの忍耐は限界を迎えた。


「下等な人間ごときが……! そんなに早く死にたいのなら叶えてやろう!」


 耐えきれなくなったリーダーが声を上げると周囲にいる魔族たちが一斉に動いた。


 二階の窓側を警戒していた魔族たちも含め、周囲の魔力量が急激に高まっていくのが肌でわかる。

 かなりの魔力だ。集められた人質をまとめて火葬にするなら十二分過ぎる火力を発揮するだろう。


「怖いか! 後悔してももう遅いぞ! 焼き払――」


 命令を下そうとしたまさにその瞬間、小さくガラスが割れるような音と液体がこぼれたような音が聞こえた気がした。


 そう思った時には二階の窓際にいたひとりが膝から床に崩れ落ちている。彼の頭部は半分ほど綺麗になくなっていた。


「なっ――」


 声を上げた時にはふたり目が同じ目に、そちらに視線が向いた時には最後の三人目がやられていた。


「何をした!!」


 リーダーは巨漢に問いを投げた。


 正直、直感でしかない。

 だが、このタイミングで起きる事態に、


「テロリストにしちゃあいい勘をしてるじゃないか。気に入った、殺すのは最後にしてやる」


 状況を理解していないのかと疑いたくなる気楽さで巨漢が笑った。

 それがまたリーダーの癇に障る。


「笑わせるな! まだ貴様らは取り囲まれているのだぞ!」


 直感に優れるリーダーは、先に室内の人間を処理すべきと判断を下した。

 今の攻撃が外からのもので、窓を通して見える狭い範囲しか狙えないと瞬時に気付いたのだ。


「誰が取り囲まれているって?」


 どこまでも平静さと不遜さを保ったまま巨漢がそう不敵に笑った瞬間、二階の扉が音を立てて吹き飛んだ。


「!?」


 予期せぬ事態に、魔族たちの意識がそちらに持っていかれた。


 宙を舞いながらう一階へ落下する扉の向こう側から、三人の人間が飛び出してくる。

 ふたりの男が階段の手すりを滑り下りてくる中、手にした杖のようなものが小さく火を噴き、周囲の仲間があっという間に薙ぎ倒されていく。


「魔族め! よくもこのような弱きを狙う卑劣な真似を!」


 凛とした怒声が耳朶を打つ。

 剣を構えて爆発的な加速で距離を詰めてくるのは輝く金髪の女だった。


 手にした剣に宿る紫色の炎が強力な対魔族魔法と気付き、その正体に思い至る。


「あの魔法――」


 向かっていった仲間が真正面から炎に呑まれ絶叫を上げて倒れた。とんでもない魔力量だ。


「聖女候補筆頭、“火葬剣”のクリスティーナか!」


 ――すべては時間稼ぎ、本命はコイツらか!


「いいや違うね」


 まるで心を読んだような巨漢の反応だった。


「なにを――がっ!」


 彼の笑みとほぼ同時に、奥の廊下から飛翔してきた氷の槍がひとりの胸を貫いた。

 一撃で心臓を破壊されている。即死だった。


「ま、まだ新手がいただと……!」


 リーダーの全身を驚愕が衝撃となって襲う。


 人間が振るうには大きすぎる氷の槍だ。狙いが適当でも当たれば致命傷は避けられない。

 それを具現化したばかりか投射まで行えるとなれば相手は凄まじい魔力を有している。


 あの規模の攻撃魔法を使うとなれば――


「薔薇騎士団団長、“氷結”のヴァネッサ・マーズ・オルドネン参上! 貴様ら、人類の本拠地に殴り込んでくるとはいい度胸だ! 生きて帰れると思うなよ!」


 青い槍の群れの向こうから、猛烈な勢いで駆け寄って来たのはエメラルドグリーンの輝き。

 ついに騎士団長までもが現れた。これはあまりにまずい状況だ。


「流れは決した! 大人しく投降しろ!」


 間近の魔族を斬り倒し、剣を構えたクリスティーナが叫ぶ。

 この調子では奥に向かった部隊は壊滅したのだろう。


「黙れ!」


 負けじとリーダーが吼えた。

 瞬く間に包囲し返されたに等しい状況でもリーダーは戦意を失わなかった。

 自分たちの目的は聖女たちの抹殺であり、自分たちが生きて帰ることなど含まれていないのだ。


「我らに生き残るつもりなどない! 残念だったな! まだ人質がいるの――」


「だから、させねぇって」


 攻撃魔法から自爆魔法に切り替えようとリーダーが動き出した瞬間、突如として彼の目の前に巨漢が現れた。

 何の魔力的な流れもない動きに、彼はまるで対応ができなかった。


「がはっ――!」


 そう思った時には凄まじい衝撃が腹部に生まれ、肺の中の酸素が絞り出され呼吸ができなくなった。


 発動直前まで練っていた魔力も肺を潰されかけたことで霧散する。

 身体が浮かび上がる感覚を覚えた時には、すぐ近くにいた副官の頸部に肉厚のナイフが突き立つのが見えた。


 ――あれでは助かるまい。無念だ……。いったい、我らはどこで間違えたのだ……?


 完璧に上手くいくと思われた策は見事に砕け散った。

 そう悔やんだ時には、続く衝撃が頭部へと襲い掛かり、彼の意識はぷっつりと、そして永遠に消失した。





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