第190話 愛の力は無限大
「この泥棒猫がぁぁぁぁっ!!」
――この世界でもそういう言い方をするのか。
思わずエリックは感心してしまったが、怒声とともに剣を抜いた相手を前にいつまでも呆けてはいられない。
「ヴァネッサ! 待ちなさい!」
カテリーナが手を掲げて制止の声を上げたが“本職”相手には遅い。
いや、そもそも無駄だった。
ヴァネッサと呼ばれた女騎士は一瞬カテリーナの方に目を向けるも、止まる気配は微塵も感じられない。
それどころか、双眸に宿る憤怒以外のもの――興味の色があった。
――コイツ……!
エリックは瞬時に意識を戦闘モードに切り替えた。
ようやくカテリーナが離れてくれたと思いながら、エリックは立ち上げると同時に後ろ腰に仕込んでいたナイフを引き抜く。
「覚悟ッ!」
こちらの反応を見て女騎士の双眸が輝いた。
――やはりな。
エリックは確信した。
こういう手合いは平然と斬ってから悪びれかねない。ある種の確信犯だ。
間違いなく自分がカテリーナの“いい人”に相当すると見抜いており、自分の要求水準に達していなかったら始末するつもりでいる。最初の怒声にしてもただの威嚇だ。
ただ、打算というよりもナチュラルにやっている感じだ。それだけに、ロミルダなどてんで比較にならない本物の
「天罰ッ!」
上段から唐竹に振り下ろされる両手剣の一撃を、エリックは厚みのあるサバイバルナイフで正面から受け止めた。
刃と刃が激突する音が部屋に響き渡る。残るは金属同士の擦れ合う音のみ。
「…………!?」
刃の向こう側で、女騎士の表情に驚愕が混じった。
「やるな、色男……!」
言葉とともに見定めるような視線がエリックを射抜く。
「……よく聖女サマだと気付いたな」
エリックが語りかけると同時に、刃に込められた力がわずかに緩んだ。
寸止めするとわかっていたが、万が一失敗すれば頭部が両断されていた。そうした事実を気にした様子はない。
とんでもないヤツだ。
「当然だ。お姉さまの匂いくらい、気付かないようでは護衛騎士失格だ」
堂々とカテリーナの方を見て言った。やはり悪びれる気配はない。
セリフの内容が残念極まりないことはさておき、こうも正面から目線を逸らすとはなかなかにいい度胸をしている。
もう少し穏便に済ませても良かったが、不必要な加減をして侮られても面白くない。
エリックはわずかに力を込めて女騎士の剣を押し返す。
「…………!」
ヴァネッサの反応は速かった。
今度こそ表情は驚愕のみとなり、膝の力を抜いてこちらの力に乗る形で後方へと軽く飛んだ。
力で対抗しても無駄だと判断したのだろうが、軽装とはいえ騎士鎧を身に纏っている。
にもかかわらず素早い身のこなしだった。実力も悪くない。
「たいした忠誠心と言いたいところだが……犬じゃないんだぞ……」
間合いが空いたことでエリックは息を吐いた。
右手のナイフを順手から逆手に持ち替えて左掌を前に出し、DEVGRU仕込みのCQBの構えを取る。
さすがに今回ばかり呆れ返って本音を漏らしてしまった。挑発と受け取られなければいいが。
「忠実な部下と呼んでもらおう。余人に走狗と呼ばれようがわたしには関係ない」
どうやら誉め言葉と受け取ったらしい。堂々としているため忠義溢れる言葉に聞こえなくもないが、中身は本当に救いようがないほど残念である。
「まぁ、ご要求があればどんなところでも舐め――」
「「ステイ」」
トーンは異なるが、エリックだけでなくカテリーナの声までもが重なった。
よく見れば聖女の顔は真っ赤になっている。
珍しいことだと感心しかけるが、理由に気付いて視線をヴァネッサに戻した。
――ああ、なるほど。
いざオトコができたらこれまでの行動を客観視できるようになったわけだ。
「エリック様、何か今失礼なことを考えませんでした?」
「いやまったく」
詰まることなく即答した。
どのみち、自分の中では失礼でもなんでもない。詭弁と言えば詭弁だが、貫き通せばそれは真実である。
だから問題ない。ないのだ。
「どうもそうは思えませんが……」
釈然としない様子のカテリーナだったが、それは今重要でないと思い留まったらしく不承不承ながら女騎士の方を向く。
「ヴァネッサ、この方はわたくしの大事な――お客様です。騎士団団長のあなたといえど無礼は許しませんよ」
珍しくカテリーナは話す相手を睨んだ。
水を差したくないのでエリックは「は? コイツが団長?」という感情は全力で押し殺しておく。
「失礼いたしました」
ヴァネッサは剣を鞘に収めて軽く頭を下げた。
眉を寄せていたあたり、本心からでないのは丸わかりだった。
不快には思わないが、さりとてあまりいい気分でもない。
とはいえ理由もわかる。
単純に気に入らないのだ。カテリーナに特別扱いされているぽっと出の男が。
中身を知っての反応ではないのがせめてもの救いといったところか。
理由差はあれ、軍人をやっていれば似たような経験はそれなりにある。怒りを覚えるほどのものでもなかった。
だが、その態度をカテリーナはよしとしない。
「……ちゃんと名乗りなさい。あなた、団長である以前に伯爵家の子女でしょう?」
聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調だった。
――時折感じるオカン的な雰囲気はこれか。
エリックは妙に納得してしまった。
普段からこんなことをやっているのだろう。そう考えると彼女の周りは必然的に問題児揃いになる。
あまり知りたくない事実だった。
「マーセナ王国、伯爵家のヴァネッサ・マーズ・オルドネンだ……です」
なるほど。何番目の娘かは知らないが、たしかに上級貴族の出身には見えない。
教会に入れられる貴族の子女など、多くはワケアリだ。
何らかの問題で嫁に出すわけにもいかず……百歩譲っても「政略結婚よりも教会との縁を優先すべき」と家族・親族から評価を下された者になる。
そして、彼女を見れば――「まぁ、そういうことなのだろう」と思う。
今のような感じで斬殺される犠牲者が出なかったことを喜ぶべきかは判断に困るところだが。
「新人類連合、傭兵国家〈パラベラム〉、ヴェストファーレン王国王都ヴェンネンティア駐留部隊司令官、エリック・D・マクレイヴン准将だ」
「新――? パラ――? 准――?」
ヴァネッサが眉を大きく寄せて言葉に詰まった。
聞き慣れない名称が並んだだけで、けして長くて理解できなかったわけではないと思いたい。思わせて欲しい。
「……教会に敵対している組織の将軍だ」
ほどほど面倒くさくなったのでエリックは極めて端的に答えた。
当然、ヴァネッサの手は再び腰の剣に伸びる。
「ちょっと! 誤解を招く――いえ、この
カテリーナが声を上げた。顔を青くしたり赤くしたりと忙しい。
それよりも、先ほどヴァネッサに向けた言葉も幾分か雑な気がするのだが……。解せぬ。
「こほん! ……エリック様は教会討伐軍を撃退、総大将を命じられた司祭たちを捕縛した軍の重鎮でいらっしゃいます」
部下がまた暴走しないよう、カテリーナは要所だけをかいつまんで話す。
それはそれで教会関係者相手にはどうなのかと思う内容だったが、やはりカテリーナの周囲に“敬虔な信徒”はいないのだろう。
「ああ、あの生臭坊主どもを」
予想通り、ヴァネッサの手はあっさり剣から離れた。「なんだそんなことか」と納得した表情だった。本当にいいのかと思わずにはいられない。
「一応訊いておくが……お仲間だろう?」
「大まかな組織が同じなだけだ。あんな拝金・権威主義の連中と一緒にしないでもらえるか」
いつぞやのカテリーナとほとんど同じ言葉だった。もう少しヴァネッサらしいというか、気に入らない者に対して遠慮のない物言いとなっていたが。
「へぇ、難しい言葉を知っているんだな」
感心するあまり本音が漏れてしまった。「しまった」と思うがもう遅い。
「……もしかして、わたしをバカだと思っていないか?」
問い返したヴァネッサは右手を開いたり握ったりしていた。
痺れたりしたのではなく、剣の柄に手を伸ばしたいのを我慢しているのだ。まるっきりの脳筋思考ではないらしい。もちろん、騎士団長としては及第点以下だ。
「逆に訊くが、主人が連れて来た客人相手にいきなり斬りかかる相手がまともだと思うか?」
「何を言う。お姉さまに悪い虫がついたかもしれんだろう。これこそ愛のなせる
純粋に、心底そう思っていると目でわかった。
推定無罪などという言葉がないにしてもやり過ぎだ。
「そういうところだぞ」
さすがにこれくらいは言っても許されるだろう。
エリックは半分開き直っていた。
呆れた。実に呆れた。何が
これで斬りかかってくるなら格の違いを教えてやるだけだ。その方が話も早い。
物騒なことを考えながら溜め息を吐き出した時、小さく建物が揺れた気がした。
「…………?」
流そうかと思ったが、カテリーナは怪訝そうに、ヴァネッサは辺りを見回している。どうやら自分の錯覚ではないようだ。
エリックはいつでも動けるよう意識を引き締める。
何に反応しているかまではわからないが、これまで培ってきた“勘”が盛大に警鐘を鳴らしていた。
「今度はなんだ、愛しのお姉様に懸想したお仲間が騒いでいるのか?」
ひとまず関係者に訊ねる。
ここは“こういう連中”の巣窟だ。ヴァネッサ同様、匂いを嗅ぎつけたヤツが暴れ出してもおかしくない。
エリックはすでにそう考えはじめていた。
「そのような予定はない。こんなにも早くカテリーナ様がお戻りになられるなど、誰も想像していなかったからな」
間接的に「事前に知っていたらその限りではなかった」と言っていることに気付き、一瞬エリックは心底イヤそうな表情を浮かべかける。
だが、それよりも優先すべきことがあった。どうも妙に胸が騒ぐ。
「やれやれ、歓迎されてないな……。じゃあこれは――」
『准将、緊急事態です。ロビーが何者かに占拠されました』
将斗から通信が入る。イヤな予感が当たった。
「“敵襲”か」
淡々とつぶやきつつ、エリックは小さく鼻を鳴らす。
肩から吊るしたもうひとつの得物――
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