第189話 高度に発展した魔法は医術領域を侵食する


 ――DCに潜伏しているテロリストはいつもこんなことを考えているんだろうか?


 大っぴらには口には出せないし、通信回線に留めても危険極まりない言葉だった。

 そもそも、自分のような立場の人間が軽々しく考えていいことではない。


 しかし、現実問題として、目の前に無防備極まりない“敵”の本拠地がある。

 上空を飛んでいるMQ-9《リーパー》なら、ヘルファイア四発とペイブウェイ二発でかなりの打撃を与えられるはずだ。これを考えるなという方が無理に近い。


「悪い顔になってますわよ、旦那様」


 小声で囁かれ、エリックは少しだけ心臓が跳ねた。


 表情には出ていないはずだがよくわかったものだ。

 まるで本物の女房ではないか。そんな雰囲気も出ているような気がする。絶対に言えないが。


「あいにくと、この顔は生まれつきだ」


 とりあえず無駄かもしれないが、適当に誤魔化しておく。


「はぁもう……。子供のようなことをおっしゃられて……。行きますわよ」


 呆れたような溜め息を吐かれた。解せぬ。


 しばらく言葉は交わさないままカテリーナの案内に従って歩くと、聖堂の並んだ区域から少し外れた場所に出た。

 先ほどに比べれば巡礼者の姿もいくらか減っている。


「最初はこちらです」


 建物に入ったカテリーナがエリックにそっと声をかけた。


 なんとなく雰囲気が聖堂とは違う。

 なんというか全体的に陰気……まるで病院のような……。


「ここは?」


「“治療院”です。各国から集められた聖女候補たちが修行をしている場ですわ。傷病人の治療は治癒魔法の良い研鑽になりますので」


 説明を聞いていくと、軽い傷や単純な骨折程度なら治せるらしい。


「魔法とひとことで言うが、どういう原理で直しているんだ?」


 ミリアに聞いた方が早いのかもしれないが、彼女たちの考え方を知りたかった。


「神のお知恵をお借りし、傷や病の治りを促すのです。そこに聖女候補の才覚や技量が差として生まれます」


 古代人の遺産と残っていないあたり、やはり宗教組織といったところか。

 カテリーナに言うことでもないのでエリックは黙って頷いておく。


「腕が良くて才能のあるヤツに診てもらうと治りが早いと」


 まるで東洋医学の鍼灸のようだ。


「ええ。他にも内部の――」


 身体を直そうとする力を外部から促進させるわけだ。たしかに魔法の範囲だと納得できなくもない。

 聞けば同じように内科――病気にしても内臓が弱っている程度なら魔法でどうにかなるとか。


「大したものだ」


「ただ、いわゆる死病のようなものは治せません。重い病でも才と技を持ち合わせた者の術であれば効くとわかっていますが……」


 カテリーナは言い淀んだ。


「何か問題でもあるのか?」


「継続的な施術が必要になります。その恩恵を受けられるのは各国の王族や高位貴族のみで、とても民には……」


 拝金主義のようでイヤになるのだろう。


 いずれにせよ、何らかの要因がある病は相当高位の治癒魔法でないと難しいようだ。

 つまり、身体の内部は免疫力を高めて治る範囲しか効かないとも言える。たしかに魔法でもなければ不可能かもしれない。


 菌やウイルスといったものが認知されていないからだろう。

 それでも技量次第である程度どうにかなるのだから魔法とは恐ろしい技術だ。


 正しく発展させれば、失われた古代文明が出来上がるのだろう。

 もっとも、正しく発展させきれなかったから今があるのかもしれないが。


「なるほどな。それにしても――」


 聞きたいことを聞けたエリックは話を変えた。


 これ以上の専門的な話はカテリーナを困惑させるだけだろう。エリック自身も医官ではないのだ。


「いかがされました?」


 建物の中に入ってあまり言葉を気にしなくてよくなったはずだが、依然としてカテリーナはべったりである。

 こんな場所に来てまで新婚感を出さなくていいと思う。


「周りからの視線がな……」


 聞かれたくない情報をやり取りするにはいいのだが、先ほどから男女関係なく視線が鬱陶しい。


「エリック様は長身ですし目立ちますわ」


「バカ言うな、俺じゃない」


 彼らの注目を浴びているのはカテリーナだ。

 変装に加えて男装までしているせいか、男からの視線だけでなく女からの視線も集まっている。


 どちらも揃って「なんでこんな格好いい美人に惚れられているんだ」という怨嗟でもこめられていそうな視線だった。


「細かいことを気にしても仕方ありませんわ。精々見せつけて差し上げればよろしいではありませんか」


「気楽でいいな……」


 遠回しに離れてもらおうしたのだが、当のカテリーナはまるで意に介さない。


 ――対魔族でまとまってるから、比較的“そっち”には大らかな宗教なんだろうが……。


 嫉妬、色欲、強欲……。

 仮にも一大宗教の聖地で他人に向けていい感情か?

 敬虔なクリスチャンからは程遠いエリックですら疑問を覚えてしまう。


「で、誰に接触するつもりなんだ?」


 付き合いきれないので再び話を変えた。


「あら失礼。説明足らずでしたわね」


 カテリーナは「いけない」とばかりにコツンと頭を叩いた。

 あざとい。なぜか周りからの視線が強まった気がした。


「この治療院が当代聖女の居城なのです。聖女候補たちの日中の警備もかねているため、騎士団もこちらに詰めておりますわ」


「言っとくが俺たちだけじゃなく、そちらも変装しているんだぞ。ちゃんと騒がれずに気付いてもらえるんだろうな?」


「お任せください。いちいち説明せずとも非常時のための符丁がございます」


 それなら納得できる。

 カテリーナの使者が来ているとなればそれなりの人間が出て来るはずだ。


「当院へようこそ。どうされました?」


「すみません、“日差しが強くて身体が参ってしまいました”」


「――それは大変ですね。“よく眠れますか?”」


「そこは“朝までぐっすり”です」


「わかりました。専門の人間を呼びます。こちらへどうぞ」


 わずかに目を細めた受付が奥へと引っ込み、案内の人間を連れて来た。

 今のが符丁なのだろう。なんとなく季節とかで内容を変えていそうだ。


「すんなりいったな。向こうも急いでくれてるみたいだ」


「そうそう使わないモノですから」


 奥へと案内されながらふたりは聞こえない程度に言葉を交わす。


『護衛は付いて行けそうにないですね』


 ロバートの声が入ってきた。


『ここで無理をするのはよくないかと』


 ジェームズは慎重に行くべきだと思っているらしい。


 彼の言う通りだ。

 何事もなく進んでいるため勘違いしがちだが、今は敵地のど真ん中にいる。一歩間違えればたちまち包囲されてしまう。


「痛かったら声を上げるからその時は頼む。近くにいてくれ」


 マイクを叩き、カテリーナに向けたものと勘違いしてもらえそうな言葉を並べて部下たちに指示を出す。


『自分と大淀少佐でバックアップに控えます』

『我々もなるべく近くにいます』


 自分だけでも後れを取るつもりはないが、白兵戦で圧倒的な強さを誇る将斗とスコットがいてくれればより心強い。


 程なくして建物の奥、治療に使うであろう区域とは明らかに異なる部屋に遠された。


「茶か水くらい出してくれてもいいんじゃないか?」


 そこそこのソファに腰を下ろしたエリックが声を上げた。

 誰か覗いていてもいいよう聞こえよがしだ。


「ふふふ、手配をした受付嬢がわたくしには気付かなかったのでしょう」


 悪戯が成功した子供のような笑みだ。見た目の凛々しさとそのギャップがなんだかおかしい。

 エリックは少しだけ心臓の鼓動が大きくなった気がした。


 しばらくするとドアが叩かれた。少々乱暴だがノックのつもりらしい。


「待たせたな。しかし、緊急の符丁を使って接触してくるなんてどういった用件だ?」


 そうして気だるげに室内に入って来たのは剣を腰に佩いたひとりの騎士だった。


 ショートカットのエメラルドグリーンの髪、意志の強そうな瞳は薄い茶色をしている。全体的な印象はがさつ――もとし男勝りな感じだ。

 変装しているカテリーナとは別の意味で女受けしそうな男装寄りの風体だった。薔薇騎士団にはふさわしいのかもしれない。


「ああ、こちらは――」


 二の腕に抱き着いているカテリーナの姿を見咎めた瞬間、女の形相が激変。

 同時に殺気が膨れ上がった。


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