第186話 死神と亡霊の足音
「お嬢さんへの答えが遅くなったが……。教会はすぐには揺らがない。戦に負けようが、たとえ当代聖女が離反しようがな」
遥か先を見通したようなパトリックの口振りだった。
「先ほどまでなら戦だけの話でしたが、カテリーナ様が離反されてもですか?」
ロミルダは納得いかないといった様子だ。隣のゾーエからもわずかにそんな感情が読み取れた。
新人類連合への亡命が最後の手段だとすれば、カテリーナの動き次第で教会は懐柔策に移ると思っていたのかもしれない。
――暗殺を仕掛けて来た人間がいる組織に戻るもクソもないだろうに。
エリックはそう思う。
やや稚拙な部分はあるが、彼女は彼女であらゆる可能性を天秤にかけているのだ。
「そうだ。いかに慢心していようが、教会は現実に魔族の侵攻を食い止めている。これは“揺らがない事実”だよ」
「あっ、前線の精鋭軍……」
ここでロミルダではなく、隣に立つゾーエが理解したと声を上げた。
「そう。巨大な組織だからこそ、末端と大元は別物と分けて考えるべきなんだ。戦果と歴史を積上げてきた組織は侮っていいものではない」
「歴史ですか……」
やはりロミルダはいまいちピンときていないらしい。
護衛という立場で最前線に立った経験がないこともそうだが、ほとんど教会の外に出ていないため理解できないのだ。
このあたりは軍事的センスも関係すると思われるが、同時にアメリカ軍のように全地球規模での配置転換が可能な軍隊とは異なることも意識しなければならない。
この場の将官にその心配はなさそうではあったが。
「すくなくともここ数年、魔族に侵攻を許していないのだろう? 最前線に有能な人間がいて戦線が無理なく維持できている限り、組織が簡単に傾くことはない。本部が彼らを使い潰そうとしているなら話は別だが」
もしそうなら教会の終焉は近く、人類史も遠からず同じ運命を辿るだろうが、おそらくそうはならない。
そもそも、破滅が見えている末期状態なら“管理者”とやらが外の世界から新たな者を呼ぶはずがないのだ。
「あそこは一種の治外法権です。過去に前線へ送られた政治力のある僧侶の多くは戦死したと聞いています」
代わりにゾーエが答えた。相棒より理解が進んでいるらしい。
「なるほど。限定的でも自浄作用はあるようだ」
レイモンドが笑みを深めた。
戦場の敵は前だけではない。それくらいでなければ張り合いもない。そう言いたげだった。
「教会も魔族も惰性で戦い続けているならそれでもいい。だが、もしそうなら我々が呼ばれる必要性がない」
「たしかに、それなら勇者だけで事足りるという話になりますわね」
カテリーナが頷いた。
ここで彼女が口を開く意味はあまりない。
つまり“敢えて”ということになる。
――しっかり姉貴分をやってるじゃないか。
エリックには〈パラベラム〉を信じていいか迷う少女たちに言い聞かせているようにも見えた。
「その通りです、聖女殿。勇者を切り込み要員と考えるなら、それ以外はワイバーンのような存在で片付く。しかし、今のところそうなってはいない」
「余計な手間を増やしたくない以上、探すのは“落としどころ”……ということでしょうか」
カテリーナの言葉はほとんど溜め息だった。
思わず護衛のふたりが主人を見る。
「我々もそう考えています。人材が払底していない――いえ、する前に教会は和睦を選ぶ。その程度の計算はできるでしょう」
「それは魔族との戦いが?」
「基本的にはそれと自分たちの治世を守るためでしょう。それには他所からこれ以上の戦力を抽出すれば間違いなく不具合が生まれる。その先は……彼ら次第ですね」
ハーバートが補足した。
目的を見誤って身動きが取れなくなるのは本末転倒なのだ。
ただ、切り捨てたものが間違いない、また意図しない諸々を零さずに進めるかは別問題というだけで。
「それが教会にできるのでしょうか?」
ロミルダはなおも問いを重ねた。
おそらく、彼女は教会に不信感を抱いている。
聖女候補筆頭を言われたクリスティーナが陥れられ、カテリーナも暗殺されかけたからだ。
これでは何を信じていいかわからなくなる。
だからこそ、敵対者である〈パラベラム〉がどのように認識しているか知りたいのだろう。彼女の背後にいる者も同様のはずだ。
「そうした判断を下せる者はいるはずだ。いい意味でも悪い意味でも教会は一枚岩でない」
パトリックは迷わず頷いた。
教会の人間とはいえ、誰もが教義や選民意識に染まりきっているわけでもない。別の利益を求めて動く者はいるのだ。
「何もおかしな話じゃない。総意としては元から魔族戦線以外に貴重な
パトリックは一度言葉を切った。
まだこちらへ来たばかりなのにと思いながら、頭に詰め込んだ情報の中から適切なものを取捨選択して考えをまとめていく。
「これに派閥が絡むとおかしな話になる。そうした中で、勢力を伸ばしたい連中がクリスティーナ殿下を内々の企みで処理しようとした。これなら人材の消耗も最低限に抑えられるから総意にも反していない。薔薇騎士団も同じ扱いだな」
当代聖女の喪失も騎士団解体と併せれば代用が利くと思っているのかもしれない。
「でも、目論見が狂った。〈パラベラム〉の登場によって」
続けたカテリーナの声はどこか愉快そうに聞こえた。
自分だけでなく、
「ちょっとした悪夢でしょうね」
パトリックは控えめな言葉で笑った。
彼女たちの心が離れつつあるとはいえ、あまり悪し様に言うのは良くないと考えたようだ。
「だから、将来のことはさておき、短期的には手打ちにできる場所を彼らは探るわけです」
「そして、その生贄となるのがあの司祭たちと?」
さすがに興味を抑えきれなかったのか今度はゾーエが口を開いた。
教会が単なる脊髄反射で討伐軍を差し向けたのではない。そう気付いたのだ。
また、〈パラベラム〉もそうした思惑に気付いたから司祭たちを生け捕りにしたはずだ。
「元々“厄介払い”したかったのかもしれないがな。話を聞いただけだが、他国との交渉にあんな連中を連れて来ること自体が本来は異常だ」
「ふふ、皆様なら初めから気付いていらしたのではありませんか?」
カテリーナは今一歩踏み込んで問いかけた。双眸には興味の色が浮かんでいる。
一瞬考えたパトリックは准将たちを見た。「任せる」と言いたいらしい。
「可能性は考えていた。どちらに転んでも得をするように動くと」
当時、自ら交渉に参加したエリックが紅茶を飲みながら淡々と答えていく。
「まぁ、あの大司教の仕込み――政治に巻き込まれたんだろうが、連中も出世欲のために命を
言い終えてからふと気付く。
話すのに夢中ですっかり紅茶が温くなってしまった。
――食堂の兵士を捕まえて用意してもらったが、もう一度淹れて来てもらうか?
そうエリックが考えたところで不意に遠くから甲高い音が聞こえて来た。
――ちょっと出来すぎなタイミングだな。
エリックは笑い出しそうになって杯の中身を呷る。
彼はすぐにわかった。タキシング状態に移った
ターボジェットエンジンの音にほとんど飲まれているが、たしか先行して
聞き慣れない音にカテリーナたちは何事か視線を動かすも、話の途中で勝手に席を立つわけにもいかずそわそわするしかない。
仕方なくロミルダは興味を問いの形に変える。
「それでも尚……教会が将来雌雄を決しようとしたならば……?」
真っ向から向けられた言葉に、パトリックもレイモンドも、そしてハーバートにエリックも揃って笑みを浮かべる。
少し芝居がかった感じだが、時にはこうした“ハッタリ”も大事だろう。
「簡単だ、完膚なきまでに叩き潰す。それこそが我ら〈パラベラム〉がこの世界で求められる役目だろう」
不敵に微笑んだパトリックの言葉が終わるとほぼ同時に、待っていたかのような轟音が生まれた。
今度こそ耐えきれず、カテリーナたちは視線を窓の外に向ける。
先にリーパーが、それからやや時間を置いて猛烈な音を立てる鋼鉄の鏃――ファントムⅡがアフターバーナー全開で離陸していくのが見えた。
「教会になり替わるつもりなんてない。だが、生き残るために――我々は譲歩も妥協もしない」
――どこまでも淡々と……。本当におそろしい方々。この世界は、いったいどうなってしまうのかしら……。
総司令官の言葉と大気を震わせる爆音に呑まれ、カテリーナたちは知らぬ間に大きく身震いしていた。
純粋な恐れと、閉塞した何かを破壊してくれるのではと思える期待の感情に。
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