第183話 SHOGUN


 将斗と翼の痴態――もといドタバタ劇は見なかったことにして、エリックたちは用意されていた応接室に入った。

 その間無言でいたのも、せめてもの情けからだろう。

 人は時として過ちを犯す生き物なのだ。それを皆何も言わず己の胸に刻んだ。


「さて、あらためて自己紹介からとしましょうか。正式な名乗りはまだでしたね」


 机を挟んで〈パラベラム〉側と教会――“聖女側”が向き合った。


 どうしてもカテリーナが横に座ろうとするので、エリックは無理矢理引き剥がす形で護衛のふたりに渡した。

 ロミルダもゾーエも実に申し訳なさそうな顔をしていたのが少し哀れだった。


 聖女に振り回されるを共有する者同士、もう少し仲良くなれるかもしれない。

 エリックはふとそう思った。


「私はパトリック・ラドフォード。海軍大将など自身の肩書きを表す言葉はいくつかありますが、ここはひとまず〈パラベラム〉総司令官と思っていただいて構いません」

「では私も。レイモンド・シュナイダーです。空軍中将の階級を持っていますが、同じく〈パラベラム〉副総司令官と覚えていただければ」


 総司令官と副総司令官がそっと一礼した。

 どちらも甲乙つけがたい、流れるような所作だった。


「「まぁ、どちらも“新参者”に過ぎません。あまりかしこまらないでいただきたい」」


 そして、仕上げとばかりにふたりの将軍の言葉が重なった。


「お初にお目にかかります、両将軍閣下。わたくしは聖剣教会で当代聖女の任を仰せつかっております、カテリーナ・ミネール・インフォンティーノ。こちらは護衛のロミルダとゾーエでございます」


 カテリーナが優雅に一礼すると、護衛のふたりもそれに続く。

 いずれも相応の身分出身らしく、高位の人間に対するぎこちなさはほとんど見られない。


 ――緊張するなというのは無理か。


 よく見ればわずかに気圧されているように感じられる。やはりこのふたりの雰囲気を前にすればそうなるのも仕方ない。


 エリックが先ほど言及したように、長年軍人として積み上げた諸々が、この世界では覇気となって滲み出ているのだ。

 そう考えれば、とても言葉通りの新参者と扱えるはずがなかった。


「おかけになられてください、インフォンティーノ猊下げいか。当方、武骨者ゆえ非礼がありましたら申し訳ありませんが、こうしてご尊顔を拝する栄誉に与れたことを光栄に存じ上げます」


 パトリックは迷う素振りすらなく最上位に近い礼を見せた。

 会談が非公式なものであること、また新参者として情報不足から許される範囲を瞬時に見抜いて動いたのだ。


「尊称は不要ですわ、ラザフォード閣下。わたくしには僧としての位階があるわけではございませんので」


「左様でしたか。しかし、教会のような大きな組織で聖女の名を戴く以上、何ら影響力を持たないわけではありませんでしょう」


 あくまでもにこやかに、自然な流れで発せられた言葉だった。

 穿った見方をすれば「何もない人間がこうして動くとは思えない」と投げかけているに等しい。


「さてどうでしょうか……。あっても精々、飾りのようなものでございますれば……」


 対するカテリーナは曖昧に微笑み、将軍の言葉を躱した。


 やはり、お互いの立場を明らかにしたからには政治的な駆け引きは避けられないのだ。

 もっともこの程度はごくごくでしかないが。


「フム、いささか無思慮な発言でした。警戒されるのも無理はありません」


 ここでパトリックは笑みを深めて言葉を一度切った。


「しかし、我々に御身を政治的に利用するつもりはない。これだけは断言しておきますのでご安心を」


 迷う素振りも見せず、殊更に見せつけるわけでもなくパトリックは一歩引いた。

 あまりにも唐突であったため、周りは一瞬言葉の意味を理解できない。


「……わたくしは捨て置かれると?」


 きょとん。そんな言葉が当てはまるほどカテリーナは目を丸くした。

 取り繕う間もなく、本心から驚いたのだろう。


「それは早計というもの。あくまで御身は“賓客ゲスト”であり、いくさを選んだ張本人ではない。たまたま近くにおられて巻き込まれたためお越し願ったと認識しております」


 聖女の戸惑いを他所にパトリックは淡々と語ってのけた。 

 カテリーナの背景――教会のために何らかの形で動かざるを得ないと理解した上で、彼はとぼけているのだ。油断ならないどころではない。


「教会との交渉ですが、まずは責任者の処遇について話し合われるでしょう。もしその際、御身が動かれるなら止めはしません。元よりそのつもりでしょう」


 カテリーナは驚きに息を呑んだ。


 ――ここで自分を取り込み、交渉を有利にしようとしないの? 最低でも不確定要素とならないよう根回しくらいはするでしょうに……。


「閣下、わたくしから申し上げるのもおかしな話ですが……あなた方の内情を漏らすとはお考えになりませんの?」


 カテリーナは消化できない不安を疑問に変えた。


「この場に招いている時点で、そこは考慮に入れております。ただね――」


 パトリックはわずかに苦笑して隣の副総司令官を見る。


「少々人手が足りないだけで物資は豊富、軍事力ではいつでも教会本部を破壊できるばかりか、魔族にもそれなりに打撃を与えられる。――?」


 総司令官の代わりにレイモンドが指を立てて見せた。

 本来であれば隠すべき実力を、「なんということはない」と彼は言ってのけたのだ。


「……すげなくあしらわれるでしょうね。教会を動かしている主流派がまともに受け取るとは思えません」


 カテリーナは溜め息を堪えきれなかった。


 改革派のアズラエル枢機卿ならまだしも、今の彼にそこまでの権勢はない。

 すぐさま根回しをしたところで、失脚を恐れて果断な動きは期待できないだろう。


 実際、カテリーナでさえ、未だに心のどこかでは荒唐無稽な話だと思っているのだ。

 〈パラベラム〉を知らない頃にこうした話を聞いたなら、おそらく一笑に付していたはずだ。


「であればおすすめはしません。掛け合った御身が『願望と現実の区別がつかなくなったのか?』と言われるだけ。それは見るに忍びありません」


「残念ながら、現実リアルを知らない者に今後の趨勢を想像するのは難しいでしょう。武器・兵器の話なら別かもしれませんが、そちらはそちらで短期で対策はできないはず」


 レイモンドとパトリック、それぞれが言葉を並べた。


 旗幟を明らかにしろと決断を迫る気配はない。

 あくまでも決定権はカテリーナに委ねておくつもりらしい。


「……なるほど。いかに情報の価値が高くても、受け取る側がそれをどのように扱うかは別とおっしゃられるのですね?」


 カテリーナの声がわずかに震えた。


 脅されているからではない。

 彼らが語る内容が事実だと理解できるから背中に汗が浮かび上がるのだ。

 対応を間違えれば本当に教会が滅びかねない。


「然り。ですから、我々は淡々と交渉を行い、然るべき要求を相手に伝える。これだけで十分なのです。あなたがどう動こうと、有利にこそなれど不利にはならない。そう考えます」


 ――わたくしを勘定に入れるのではなく、どちらであっても事態を進められると。おそろしい方々……。


 ある種の余裕だ。カテリーナはそう思った。


 でなければ、半ば手足を縛られた状態で戦い、そしてその事実を絶対的な味方と言えない自分に開示などしないはずだ。


 ちょっとの興味からとんでもないところへ足を踏み入れてしまった。

 後悔はしてないが、いささか自分の手に余る。

 反面、どこかで事態を楽しんでいる自分もいた。胸が、そして下腹部が熱い。未曾有の経験に自身のすべてが昂っているのだ。


「…………」


 こんな時、せめて手が届く距離にいて欲しかった。カテリーナはエリックを見て一抹の不満を覚える。


「とまぁ、これらは建前ですがね。せっかく聖女殿とよしみを結べたのです。そうしたえにしは大事にしたいと考えているのですよ。そうだな、マクレイヴン准将」


「はっ……」


 エリックはいつもの無表情でそっと頷いた。


 カテリーナにはそれが少しだけ困惑しているようにも見えた。で顔を見た経験がなければ気付けなかったかもしれない。


「あなた個人の感情だけでなく、政治的な人脈。これらを少々戦で勝った程度で失うわけにはいきません。我々の偽らざる本音です」


 。カテリーナは内心で唸る。

 この男たちの前では、最早自分の政治力など飾りに等しい。そう諦めるしかない。


「わたくしもです。せっかく皆様方と知り合えた縁を無駄にはしたくありませんわ」


 エリックへの感情は自分でも制御しかねる部分もあるので置いておくが、今回自分が動いたことで本格的に排除される可能性もある。それを考えると、最悪の場合は新人類連合に亡命することも考えねばならない。

 これはまだ誰にも言えないことだ。


 もっとも、エリックだけでなく、元々クリスティーナとの繋がりもある。当代聖女の立場からも悪いようにはされないだろう。


「――さて、だいたいこんな感じだと思うが、会議の内容と相違はあるかな、ケネディ准将?」


 パトリックが流れを引き継いで前任者に問いかけた。


「いえ、ありません」


 思わずハーバートは「御慧眼恐れ入ります閣下」と言いかけたが、向けられる視線から望んでいないと理解して言葉を切った。


 しかし、召喚されてから間もない時点でここまで読んでみせた実力は世辞を抜きにして凄まじい。

 政治的な部分のみならず、カテリーナ個人との関係も損なわず動こうとしている。

 これは容易にできることではない。


「ラザフォード閣下、僭越ながらお聞かせ願いたいことがございます。よろしいでしょうか」


 それまで黙って話を聞いていた護衛のロミルダから問いが発せられた。

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