第182話 偶然が いくつも 重なり合って


 将斗は逃げる。


 基地の中を、なるべく人のいないほういないほうへ――建物の隙間を抜けたり、階段を上がったり、あるいは駆け下りて逃走を続ける。

 足取りを緩めることはない。の追いかけてくる気配を背後にしっかりと感じているからだ。


「いい加減諦めてくれよ、仕事あるんじゃないのか……!?」


 我が事ながらよくもここまでできるものだと感心してしまう。


 ――いっそ本気を出して撒くか?


 ふとそんな考えが脳裏に浮かび上がった。

 そろそろ決着――諦めるか全力で振り切ってしまうか。

 どちらか選ばなければいけない。


「言ってどっちも微妙か、参ったな……」


 正直、振り切ってしまう方が楽には楽だ。


 この世界に来て信じられないほど上昇した身体能力を駆使すればいい。

 ビルの谷間の暗がりにきらりと光る怒りの目的な真似をすればアクロバティックに逃げられるし、パラディアムの街に出て人ごみに紛れてしまう方法もある。


 ただ、それを本気でやってしまうと後が怖い。

 特に後者はまずい。街の中に置いてくれば事情を知らない冒険者が翼に絡んだりするかもしれない。


 イヤだなんだと逃げ回っていても、将斗は翼のことを心配しているのだろうか。


 いや、違う。


 その程度のことで


「……しかたないか」


 将斗は小さく溜め息を吐いた。

 こうして逃げ回っていても根本的に解決なんてしないのだ。


 迷いを振り切り、予定していた進路を変えて屋上へ続く階段を昇っていく。


「よいしょっと」


 やや重たいドアを開けると、誰もいない屋上に出た。

 こちらの憂鬱な気持ちなど関係なく、頭上にはどこまでも澄み渡った青空が広がっている。


 地表に広がるのは二千メートルに及ぶ滑走路。

 脇の飛行場のハンガーではF-4Eファントムが整備を行っており、短距離空対空ミサイルを主翼下のハードポイントに取り付けている。

 これから訓練で飛ぶのだろうか。いつの間にか二機に増えている。


「飛んで逃げられれば楽なんだろうなぁ……」


 言っても詮無きことである。

 ここに来た時点でわかっていたが、近くに建物があるわけでもないためパルクールで逃げる先もない。


 目的は――


「やっと追い詰めた……!」


 背後から声が聞こえた。


 敢えて退路のない場所に逃げ込んだのだが、そう返しても相手を刺激するだけだ。口にはするまい。


 ――はぁ……。


 覚悟を決めた将斗はゆっくりと振り向く。


「どうして逃げるの、まーくん」


 不満そうな翼の視線が自分に向いていた。

 ホラー映画だったらおそらく鼻先数センチのところにまで迫っていたに違いない。そうなった場合は九割九分DEAD ENDルートである。

 もっとも、それを差し引いても真面目を絵に描いたような美人がひたすら追いかけてくる光景は十分にホラー感があるが。


「どうしてって言われても……いきなり血相を変えて来られたら驚くでしょうが……」


 衆人環視のところで問い詰められるのは精神衛生上非常によろしくない。

 特に悪いこともしていない……はずだ。


「自分だけ異世界に来てわたしを除け者にするなんて……」


 子供かよ。反射的にそう口走りそうになる。


「ちょっと待って。そっちとは経緯が違うんだよ、翼ぇ。自分で選んだわけじゃなくて、勝手に連れて来られたんだ」


 思わず昔の呼び名が出てしまった。


「まーくんの言葉でちゃんと聞けなきゃ納得だってできない」


「わかった。俺だって全部わかってるわけじゃないけど――」




『――なわけで……』


「おい、ミリア。これは盗聴じゃないのか」


 ロバートが困ったような声を出した。


 食堂の隅に置かれた受信機から流れてくる音声の内容は、間違いなく職務に関係ない。

 実際、“レイヴン”チームのメンバーは人目を避ける形でこっそり聞いている。

 遠巻きに何事かと休憩中の兵士から視線が向けられるが、さすがに特殊作戦チームの行動に干渉してくるわけでもない。


「何を言っているんですか。チームメンバーのピンチ、非常時ですよ」


 絶対そうは思っていないのがまるわかりだった。


 その証拠に、表情に浮かぶのは心配するフリだけで、目は隠し切れない興味の色に輝いている。

 勘働きとでも言うべきか、ふたりの間に「何かある」と踏んだミリアがこっそり将斗に盗聴器を仕掛けたのだ。


 ――人間味が増すのも良し悪しだな。これは判断に迷うところだが……。


 腕を組んだロバートはそう思う。


「いや、たしかに言う通りかもしれないが……」


 答えに迷うロバートの歯切れは悪い。

 それを見透かしたようにミリアは小さく微笑む。


「難色を示す割にはロバートさん、止めようとしないじゃないですか」


 痛いところを突いてくる。


「……放置してマサトに何かあっても困る。すぐ動けるようにしておくべきだ」


 表情に出ないよう、努めて平静を装って答えた。行動理由はさておき指揮官の鑑である。


 正直、異世界に来て皆娯楽に飢えている。

 地球と比べてしまえば何もないに等しいのだ。下世話と言われようが何だろうが、人の色恋沙汰など格好の興味の対象だった。


「ははぁ、“本音”と“建前”というやつですね」


「はっきり言ってくれる。反応に困るだろうが……」


 ロバートは反論もなく、ただ苦笑するしかなかった。それが答えのようなものだ。


「興味が先行しているだけで、一般論として好ましい行動でないとは理解してますよ。でも、わたしもこうやって心を通わせたいと想う相手がいるのは羨ましいと感じてしまいます」


「そういうものなのか?」


 黙って聞いていたスコットが小首を傾げた。


 たしかにこの男にそういう悩みは似合わない。無神経というよりは個性と呼ぶべきかもしれない。

 なにしろ異世界に来てこの方、マイペースに戦いと現地人との交流を楽しんでいるのだから。参考にならない外れ値とも言うが。


「地球、あるいは国家という寄る辺を無くされた皆さんを引き合いに出すのも違うかもしれませんが、わたしには自己を確立するための諸々がありませんから……」


 少し寂し気にミリアは笑った。

 自分たちとは違う生い立ちとも言うべき部分に誰も続く言葉が見つからない。

 エルンストですら言葉に詰まった。彼にはコピーであれ自分を形成する“歴史”がある。


「そんなの、これから作っていけばいいんじゃないかな」


 沈黙を破ったのは意外な人物だった。


「ジェームズさん……?」


 ミリアを見る張本人――ジェームズは、至って真剣な様子だった。


 いつになく何かを目論んでいるという風でもない……とはさすがに陰謀大好き英国人ブリカスへの風評被害かもしれないが、少なくとも彼なりの考えに基づいて発言しているとわかった。


「ミリアはこの世界で俺たち――〈パラベラム〉をオペレートするため生まれたのかもしれなけれど、僕たちだって正直あまり変わらないと思うんだよ」


 言葉は選んでいるものの、境遇に同情してそれらしい慰めをしている様子でもない。

 続く真意を探る視線が向けられる。


「だって、“本体”は地球にいるわけでしょ? そう考えたら、この世界を動かすために生み出されたようなものじゃないか」


 誰も積極的に触れようとはしないが、召喚時までの記憶をそっくりそのまま受け継いで作られた泥男スワンプマンなのだ。

 アバターも変わっており、自己同一性アイデンティティでも実のところ担保されていない。

 互いに相手の名前と昔を知っていて、見た目だけ変わった成り立つ奇妙な組織なのだ。


「極端なことを言えば、僕たちが本当に地球の自分のコピーだって保証もない。そういう風に辻褄を合わせた高性能AIが管理する情報を元に作られた、SF要素がないとも言い切れないんだから」


 敢えてジェームズは誰もが言及したがらない場所に踏み込んだ。

 ひとつ間違えば精神に異常を来たす恐れもあるだろうに、青年にそれを忌避する気配はない。


「自分が何者か。気にしないのは難しいと思う。心に穴が開いているような気がするんだと思う。だけど、これから僕たちと生きていくうちにミリアはいくらでもその穴を埋められる。僕はそう信じているよ」


「時間だけじゃなく経験が人を形作る、か……」


 腕を組んだまま聞いていたロバートが頷いた。


「あの大淀少佐だって、たぶんなんでしょうね。これからは前線で戦った経験を持つ人間だけが来るとは限らない。精神メンタルのケアも必要になると思います」


「まぁ、道理ではある。俺たちが馴染み過ぎなだけか……」


 スコットが小さく鼻を鳴らした。


 ジェームズの言葉通りだと仮定すると、翼が真面目そうな風貌から想像できない言動を見せているのも納得できる。

 なまじ優秀であるがゆえに、「自分が本当に自分でなのか」と確信が持てず、その保証を見知った将斗に求めているのだろう。


『あの勧誘メールにはまーくんがいるって書いてあったから、そんながあっても面白いかもって受け入れたの』

『本当に来れたんだから、それでいいじゃないか』

『そうじゃないの。アバターを設定してみたけど、変わった自分が本当に自分なのかわからなくなった。まーくんは昔の姿と変わらないから、ゆっくり話してみたかった。でも、わたしのことなんて忘れたみたいになってて……』

『……そう思ってるなんて知らなかった。ごめん、翼姉ぇ……』


 余人に聞かれているなんて思いもしないがゆえに翼の口からが本音が漏れ、将斗もそれを受け止める。


 ヤンデレ丸出しの発言だが、異世界に放り込まれて心細いところに(おそらく)昔の想い人が他の女と仲良くしていたら心中穏やかでいられるはずもない。

 ここで素直に謝れた将斗の技術点は高いと言えた。

 さすがはニンジャかサムライだ。何人かはそう思ってすらいた。


「……まぁ、どうにかまとまりそうだしここで終わりにしておこうか。偶然がいくつも重なり合って二人は出会えたんだし。あとはふたりの態度でわかるでしょう」


 ミリアに言うべきことも言ったし、将斗が刺される未来も回避できた。

 万事丸く収まったと言いたげにジェームズが話をまとめにいった。


「で、本音は?」


 いいことを言った気になって油断していたのだろう。

 すっと絶妙のタイミングで入り込んだエルンストの問いかけにジェームズは笑ったまま答える。


「そりゃあ他人の修羅場は見ていて楽しいからね! ……あ」


「安定のブリカスで俺ァ安心したよ」


 最後の最後に、狙撃手スナイパーがすべて持っていってしまった。


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