第181話 ニューカマー


 会議室を出てしばらくするとエリックの身体に柔らかな感触がぶつかって来た。


「エリック様!」


「……おい、何度も言っただろう。人目のあるところでひっつくなと……」


 二の腕目がけて抱き着いて来た聖女カテリーナに向けて、エリックは困惑交じりの声を投げた。


「よいではありませんかよいではありませんか」


 腕に頬ずりされる。いったい何の儀式だろうか。


「わかった。わかったから少し離れてくれ」


 拒絶しても仕方ない。エリックは軽く嗜める程度で済ませた。


 言うだけ言えばひとまず素直に離れてくれる。

 本人からすればスキンシップの一環なのだろう。本当に聖女――いや、尼僧なのかとすら問いたくなるが。


 ……ちなみに、ナイフを持っていたらいい具合に脇腹どころか内臓まで抉っていた角度では?とは考えないようにする。


「これはこれは聖女殿。“大事な人”をお借りしていました」


 カテリーナが腕から離れるのを待って、隣にいた同僚ハーバートが声を発した。


 当事者ではないからと好き勝手言ってくれる。

 エリックはポーカーフェイスの下でこめかみの痙攣を懸命に押さえ込んでいた。


「ありがとうございます、ケネディ様」


 カテリーナはにこやかに笑みを返した。

 隙あれば再びエリックとの距離を詰めようとしながらやるのだから器用極まりない。


「けれど職務ですもの、仕方ありませんわ。待つのも女の役目にございますれば」


「……いいヒトじゃないか。親密な間柄になるなんてお手柄だったな、マクレイヴン


 カテリーナの反応を見たハーバートが小声で語り掛けて来た。


「……おまえも同じく昇格しただろう」


 顔を向けずとも声色でわかった。

 ニコニコ――いや、ニヤニヤとした笑みを浮かべているのだと。


「いやいや、すっかり先を越されちまったよ。まさかこうなるなんてねぇ……」


 先ほどの会議でエリックがあまり言葉を発しなかったのはだいたいのせいだ。


 部下たちが率先して動いてくれるのもあるが、何か言えばこうしてハーバートにからだ。

 返せた言葉も虚勢とさほど変わりないものだった。

 

「戻ったか、ふたりとも」


 ここで新たな声がかけられた。


 ほぼ同時にカテリーナがそっとエリックの近くから距離を置く。

 ハーバートとエリックが敬礼をすると見越しての動きだった。こうした嗅覚はさすがと言わざるを得ない。


 向けた視線の先に立っていたのは、彼らと外見年齢の変わらない青年だった。

 紺色の制服の階級章には星が三つ並んでいる。


「お待たせいたしました、殿


 レイモンド・シュナイダー空軍中将。

 アメリカインド太平洋軍傘下の副統合軍にして在日米軍の司令官である。

 そろそろ将官が欲しいとロバートが叫んでからようやく召喚を決めたうちのひとりが彼だった。


 背は180cmほどでやや彫りの深い顔をしている。灰色の髪を短く整髪料で立てており、瞳に輝くスカイブルーは吸い込まれそうな印象を抱く。

 今から空を飛んでくると言われればついつい信じてしまいそうな活力が漲っている。


「問題ない。こちらの素敵なお嬢さんがたがお相手してくれたからな」


 レイモンドはさりげない仕草で控えるカテリーナたちを示した。

 気配りの仕方からも優れた武官だとひと目でわかる。


「あら、いやですわ。お嬢さんだなんてお上手ですこと」


 カテリーナが嫣然と微笑んだ。


 よく見れば護衛のふたり――ロミルダとゾーエもいる。

 微妙に疲れているのは“敵国”の真っただ中にいるからだけではなさそうだ。


 ――まぁ、“あの人”の相手をしていたのならな……。


「終わったのか」


 続く新たな声が上がった瞬間、にわかに場へと緊張感が生まれた気がした。


「「お待ちしておりました、閣下」」


 185cmほどの長身にオレンジ色に近い金髪に緑色の目、将斗あたりに言わせると銀河帝国の若き皇帝にでもいそうな風貌をしている。


 そして実際えらい。

 レイモンドの上、黒色の海軍制服には大将トップの証として星が四つ並んでいる。

 軍人の身でこれ以上となれば、長らく存在していない最高位の元帥(星五つ)しかない。


 パトリック・ラドフォード海軍大将。アメリカインド太平洋軍USINDOPACOM司令官だ。

 インド太平洋軍はアメリカ軍が有する九つの統合軍のうちのひとつで、最も古くから存在している。

 担当地域内で活動するアメリカ合衆国軍の各種部隊に対して最上位の軍事指揮権を持ち、彼よりも上位の存在はアメリカ軍最高司令官である合衆国大統領、および統合参謀本部の助言を受けた国防長官のである。


 そして、そのふたりもこの世界にはいない。

 いわば現時点における〈パラベラム〉最高位の人間と言えた。


 ちなみに、今回〈パラベラム〉内での昇級を決めた人間でもある。

 おかげでエリックたちも佐官から将官に引き上げられてしまったが。


「すまないな。時間がありそうだったので少し席を外して基地を見ていた」


 パトリックはわずかに相好を崩した。

 どうも周囲に与える威圧感から意図的にそうしているらしい。


「立ち話もなんだ、応接室を押さえてある」


 短く言ってパトリックは踵を返した。レイモンドがそれに続き部下たちを目線で促す。

 残るハーバートにエリック、それとカテリーナたちは黙って彼らの後に続く。


「よろしいのですか、わたくしたちがいても」


 少し距離をおいてカテリーナはエリックに小声で問いかけてきた。


「あくまでカテリーナたちを客として歓迎するつもりらしい」


 たしかにこの世界を知るにはもっとも手早いやり方だ。

 しかし、“着任”早々にやってのけるのはどう考えても並大抵の度胸ではない。


「以前からああいった御方だったのです?」


「そうそうお目にかかる相手じゃなかった。だが、こうして近くで会うと肌が粟立つ」


 軍でも最上位に近い存在を前にすると、傲岸不遜と陰口を叩かれるエリックですら緊張を覚えてしまう。


 いや、相手の地位に委縮しているわけではない。

 突き付けられているわけでもないのに抜き身の刃が近くにある感覚とでも言うべきか。身構えずにはいられない。


「……恐ろしい御方。先程までは世間話しかしておりませんでしたが今ならわかります。あの方なら魔王と名乗られても、わたくし驚きませんわ」


言及コメントは差し控えておく」


「まぁ。梯子を外すなんてひどいエリック様」


 注意深く観察しなければわからないが、カテリーナでさえ居心地の悪さを感じているようにも見える。

 大胆不敵が座右の銘としか思えない彼女でもそうなのだ。護衛のふたりはたまったものではないだろう。


「しかし……これじゃあ“勇者召喚”なんてするわけだな」


「どういう意味ですの?」


 ふと漏らしたつぶやきにカテリーナが小首を傾げた。

 仕草に反して目には探る気配があるのをエリックは見逃さない。


「他の世界は知らないが、こちらに来ると。素養がある人間を拉致同然に連れて来て戦わせるだけと考えれば、やめられない秘術だろう」


「なるほど……。


 カテリーナが意味深に微笑んだ。

 所属する組織の暗部に触れられたに等しいはずだが、恥じ入るような、あるいは俯く素振りは見せなかった。


「〈パラベラムあなたがた〉が来られた今、最早その程度では済みません。いえ、勇者を擁する教会の価値は相対的に下がるでしょうね」


 聖女の視線が自分からパトリックへ、都合四人の将官の間を流れていった。


 ――あれは“別格”だ。


 エリックはそう言いたかったが、カテリーナからすれば自分も似たような扱いに分類していそうだと気付いて止めた。

 それこそ会食の場でひと暴れしておいてその言い分は通じない。自分でもわかったのだ。


「どうかな。たとえそうでも、戦いの形が少しばかり変わるだけだ。剣や槍、矢や魔法が別のものになって、雑兵でも戦果を上げたりとかな」


「個人の武勇が大勢を決する時代はもう訪れないと?」


「かもしれない」


 少なくとも銃はこの世界に生まれた。

 仮に〈パラベラム〉がひとつの時代で消え去っても、あとは勝手に進化していく。そういうものなのだ。

 エリックはそう思う。


「ふふふ、時の砂を早めておかれながらまるで他人事のよう」


「俺は一介の軍人だ。世界の行く末になんて責任は持てんよ。生き残るだけで精一杯だからな」


「そうしたものでしょうか……」


 そんなものだろう。

 ただ、その動きが何かしらの流れを生み出すだけで。


「しかし閣下、会議に参加いただいてもよろしかったのですが……」


 ハーバートがにわかに歩を速め、先を進むパトリックへ言葉をかけた。


 今更であるがふたりの会話に興味を持たれないようにしたのかもしれない。

 たしかに世間話にしては少々危うい内容だった。


「問題ない。ろくに状況を理解していない我々が肩の星をチラつかせても皆を委縮させるだけだ。きちんと議論した後で報告がなされれば構わんよ」


 パトリックは鷹揚に頷いた。

 自分が関わるべきところとそうでないところを早くも意識しているのだ。


「お任せいただけるのは光栄ですが、経験者の存在に勝るものはないでしょう」


 困った様子でハーバートが眉を八の字にした。

 それを見たパトリックはゆっくりと首を振る。


「それこそ。ここは地球でもなければ合衆国ステイツでもない。立場を振りかざす前に知るべきことがある。情勢もそうだが、まずは組織の――」


「ねぇ! どうして避けるの、まーくん!」


 通路の向こう側から聞こえてきた声に全員の足が止まった。


 ――あの声はたしか……。


 エリックは記憶を辿る。


「その呼び方はやめてください、大淀少佐!」


 ほどなくして脳裏に浮かび上がった顔を裏付ける声が、通路の先を横切った影――将斗の口から放たれた。

 走るのに必死なのか、こちらにはまるで気付いていない。


「ここは自衛軍じゃないんだしいいじゃない! 待って!」


 将斗の後を追いかけるように姿を見せ、同じく消えていったのは作戦課の大淀少佐だった。

 怒りというよりは憤懣やるかたないとでも言わんばかり。会議での鉄仮面じみた表情は今はどこにも見られなかった。良くも悪くもメスの顔である。


「自衛軍じゃなくてもダメですよ! 今は勤務中でしょ……!」


「常識ぶっちゃって! さっきも会議でわたしと目を合わせなかったじゃない! なのにエルフとは仲良くなって……。わたしとは遊び――」


「ちょっとぉっ!? いつの話ですか!? それは子供の頃の話でしょう!?」


 逃げる者と後を追う者。

 漏れ聞こえてくる声だけでなんとなくふたりの関係性がわかってしまった。


 彼らにサブカル知識があればもう少し突っ込んだコメントのしようがあったかもしれない。

 しかし、残念ながら、あるいは幸いなことに、それを表す言葉は見つからなかった。


「ほほえましいですわね」


「「…………」」


 カテリーナの言葉に、ハーバートとエリックは何も返せない。


 彼女の召喚を決めたのは彼らふたりだ。

 選定に際して関係者がいるかまで考えてはいなかった。

 いや、仮に考えてもこうなるなんて予想できたとは思えない。


「あれは知るべきことか判断に迷うな、ケネディ准将」


「……見なかったことにしていただけますでしょうか」


 ハーバートはそう口にするのが精一杯だった。

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