第176話 Drop your weapons and kick them to me!!
異様な音が大きくなるにつれ、前線方面からも兵たちの悲鳴にも似た叫びが聞こえた気がした。
「あ、あれはなんだ!」
「そ、空に……!」
本陣近くにいた兵たちが騒ぎ出すのを受け、僧兵たちが視線を向けると正面から何かがふたつ近付いて来るのが見えた。
「まさか、味方が――」
若い僧兵の言葉に、一瞬カミッロ司祭も「ワイバーンが援護に来てくれたか」と思った。
しかし、よく見れば姿形も飛び方も記憶にあるものとはまるで違っている。
驚くべき速度で迫る謎の物体は、あらかじめそうするつもりであったようにカミッロたちの間近へと到達した。
「これ以上、何が起こるというのだ……」
食いしばった歯の隙間から漏れた壮年の声は、幸いにして誰の耳にも届かなかった。
すでに思考の許容量などとっくに超えており、隠すことすら忘れた本音である。
見上げる先には大きな鉄のトンボにも似た何かがふたつ、こちらを見下ろすように
「鉄の、羽虫……?」「あんなものが空を……」
討伐軍の兵たちから声が上がった。
得体の知れないモノを相手に多くが動けない。
「う、うわぁぁぁっ!!」
ひとりの兵士が叫び声と共に羽虫に弓を向けた。
本陣まで乗り込まれた衝撃と、このまま殺されるのではないかという危機感から恐慌状態に陥ったのだ。聞き慣れぬ羽音に神経がおかしくなった可能性もあった。
瞬間――猛烈なブレスが放たれた。
空から降り注いだそれは、兵士の身体を原形を留めない肉と血の塊へと瞬時に変えた。
竜の怒りの咆吼は轟音となり、ブレスには時折赤い光すら混じっている。
――恐ろしい。
カミッロ司祭は唾を飲み込んだ。
兵士や部下たちの目がなければ、ひれ伏してしまったかもしれない。
羽虫の音以外がなくなった。
今度こそ、誰も攻撃を仕掛けようとはしなかった。
ひとりの犠牲により冷静さが帰って来たのだ。
落ち着いて考えれば、前線の味方は包囲されつつある。
ここで暴れても殺されるだけと、我が身の保身を考えるのは当然のことだった。
「人が……」「な、なんなのですかアレは……」「私にわかるわけがないだろう!」
余裕がなくなりつつある僧兵たちもざわめきだした。気分悪そうにしている者もいる。
カミッロ司祭はそれらに同調しないが、内心では更に考えを巡らせ、魔族の軍勢が現れたのかと思っていた。
より一層血の気が引いていき、それに伴って思考も信じられないほどクリアになっていく。
これがある種の“奇跡”を引き起こした。
――いや、魔族ですらこのようなものを使うとは聞かぬ。もしや、我々は魔族以上の存在を敵に回したのでは……。
教会の権威ばかりに気を取られ、ついにはこれまで真面目に考えてこなかった“可能性”に行き当たったのだ。
そんな予感を覚えたところで、片方の羽虫が地上へと近付いて来る。
やはり未知への恐怖から兵士だけでなく僧兵の誰もが動けない。
「見ろ!」「ひ、人が乗っているだと!?」
幾度目かの驚きの声が上がった。
羽虫の側面に空洞があり、中に人がいると気付く。それもひとりふたりではない。
「お久しぶりですな、教会の皆様方」
地面ギリギリでホバリングする
教会側の誰も武器を向けようとはしない。
「「…………?」」
声をかけられた僧兵たちは見覚えがなく首を傾げた。
教会の使者たちを相手に
「私はロバート・マッキンガー。新人類連合を構成します傭兵国家〈パラベラム〉少佐、ヴェストファーレン駐留軍所属部隊の指揮官です」
気を取り直した戦闘服姿の男――ロバートが少しだけ眉を寄せながら問いかけた。
彼の周りには同じような格好の者たちが控えており、手には得体の知れないものを持っている。
彼らにはそれが何かはわからない。
おそらく武器だろう。精々理解できるのはそこまでだが、先程“羽虫のブレス”を目撃している。動けるわけがなかった。
――相手は将か。
対する兵士の誰もが尋常ではない目付きをしており、敵意が自分たちに向けられていることだけは理解できた。
生物としての本能的な部分でひとまず騒がないことを選んでいた。
「遥々大勢でお越しいただきましてありがとうございます。さて、我らの歓迎委員会はお気に召されたでしょうか?」
驚愕・恐れ・戸惑い・怒りといった視線を向けてくる僧兵たちに向けて、ロバートは軽い挨拶でもするような口調で問いかけた。
「ふ、ふざけるな! 何が歓迎だ!」
非常事態でありながら、それゆえに侮辱されたと感じた僧兵が怒りの声を上げた。
短気な者ほど、この発言は効果的だった。あっという間に周りへと伝染していく。
長年心の中にヘドロのように堆積した神の権威を嵩に振る舞う癖は簡単に抜けるはずもなかった。
「よくもやってくれたな! 蛮族の分際で!」
「思い上がりおって! 今に神罰が下るぞ!」
「教会が本気になれば貴様らなぞ!」
相手が言葉を介する――いわば、自分たちと変わらぬ人間だと理解した勘違いからか、僧兵たちは口々に罵りの声を上げた。
総大将のカミッロ司祭などはそれに乗じないものの、彼らと同じく血圧が上がり過ぎているのか顔が真っ赤になっている。
あるいは、我慢しているだけマシかもしれないが。
――何とも都合のいいものだ。所詮は負け惜しみじゃないか。
すぐに動けるよう左手で鞘を持ちながら控えている将斗は呆れるしかない。
さすがに憤死されても困るのでそこまで言うつもりもないが。
「はて、妙ですな。交渉の決裂からこの先、一向に神罰らしきものは下っておりませぬが」
ロバートはなおもやめようとはせず、煽る気満々だった。
「ぐぬぅ……! 我らに刃向かう愚か者めが……!」
かつて味わったことのない屈辱に、僧兵たちの顔も怒りで赤味をどんどん増していく。このままだと血管が切れるかもしれない。
「敗者であるあなた方と愚か者についての議論をするつもりはありませんが……」
無論、ロバートとてただ挑発したくてやっているわけではない。
相手から散々憎悪と非礼に満ちた言葉を投げかけられればこうした態度にはなるし、何よりも言い返さなければこちらの姿勢も伝わらないからだ。
もちろん、失言を引き出す意図もそれなりにあったが。
「神罰が下らないのも、蛮族ごときに負けるのも、御坊らの信心が足りないのではありませんか?」
どストレートの火の玉を投げつけた。
「「「ぐっ……!!」」」
ついにはおよそ人間が可能な上限レベルの赤さに到達した。
「き、貴様……! 我らを辱めるのが目的か……!」
ほぼ全員が怒りのあまり震えている。
この辺りだけ、世界でいちばん熱い夏となっているかもしれない。
「ご自身の立場を理解いただいているだけですよ。問答無用で殺さないだけ有情だと思って欲しいくらいです」
彼らは罪人なのだ。
交渉でどうにか決着しようと試みた中、国家の主権を無視するような不当な要求を並べ、さらには権威を傷つけられたと攻め入って来た。
これくらい言ってやっても、それこそ罰は当たるまい。
ここは舐められたら終わりな世界なのだ。
「ロバート殿、そのあたりでおやめいただけませんでしょうか?」
言葉で処刑が為されそうな空気の中、凛とした声が上がった。
野戦服の集団が割れると、奥から鎧に身を包んだひとりの少女が進み出て来る。
司祭たちが息を呑むのがわかった。
「教会討伐軍総大将のカミッロ司祭であられますね? わたくしはクリスティーナ・セイレス・ヴェストファーレンです」
「ま、魔女クリスティーナ……!」
黙っていればいいにもかかわらず、誰かが余計な言葉を漏らした。
しかも、声には隠し切れない憎悪があった。
まさしくこれは意識の問題だろう。
個人の資質にも依存するが、概ね教会関係者の多くはこのような感覚なのだ。
おそらく、「この女さえいなければ、今このような目に遭ってはいない」とでも思っているに違いない。
「……此度は新人類連合を代表する使者として参りました」
一瞬眉がヒクついたが、クリスティーナは平静を保って言い終えた。
このような使者代表の立場でなければ斬りかかっていたかもしれない。
昔の彼女を知る者からすれば、元々は聖女候補になったことに疑問を覚えてしまう程度に武闘派なのだ。
成長したのだろう。より武闘派でぶっ飛んだ
「使者だと……」
一方、クリスティーナの立場を聞いた僧兵たちの何人かが表情を歪めた。
先般、自分たちがその立場で来た時のことを思い出したのだろう。
そう、あの時とは打って変わり、今や罪人に等しい扱いを受けようとしている。
「皆さま方におかれましては武装解除の上、即時の降伏を推奨いたします。これ以上、教会の面子のために無関係の兵たちが死んでいくのは忍びありません」
「い、言わせておけば! 誰が貴様らなぞに! この魔女が! すべて貴様がぁっ!」
激昂したひとりの僧兵が剣を抜いて振り上げた。
“神の敵”と定めた相手から屈辱的な言葉を投げられたことで理性が保てなくなったのだろう。
さらには、これだけ人がいれば“羽虫のブレス”を撃てないと思ったのかもしれない。
その瞬間だった。
「――ぎゃああああっ!?」
剣を握ったままの右手が手首で千切れて地面に落ち、一拍遅れて絶叫が上がった。
『
通信回線にエルンストの声が流れた。
誰も上空で旋回するヘリから狙撃されたものとは気付かない。
突然の事態に思考すら追いついていないのだ。
魔法だとすれば――これもまたついぞ見たことのないもの。
やや時間をかけたそう理解した瞬間、彼らの血の気が急降下していく。
「同様の目に遭われたくなければ、迂闊に動かれませんように。繰り返しますが、我らとしてはこれ以上の犠牲者を出したくはありません」
眉ひとつ動かさず、クリスティーナは告げた。
“無益”と言わないところにそこはかとない本音が見え隠れている。
「ご返答やいかに?」
さらにここで彼女は僧兵たちに向けて微笑んでみせた。
その笑みはかつて“聖女候補筆頭”と呼ばれた者の名に恥じぬ、慈悲に溢れたものだった。
言葉の刃を喉元に突き付けられた者の心情は別として――
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