第175話 神の地上代理人が負けるなんて絶対に有り得ないと思っていたのに、追放したはずの聖女候補がとんでもなく強い連中を連れて来て負けちゃいそう。逃げ出したいけどもう遅い。


「敵の反撃を受けているだと!?」


 息を切らせた伝令の報告に、カミッロ司祭は思わず声を上げた。

 陶器の杯が地面に落ちて割れる。


 しかし、それを惜しむ声を上げる者もいない。


「誤報ではないのか?」「討伐軍の人選に問題が……」「いや、それよりも詳細を……」


 周りの僧兵たちも遅れてではあるが、にわかにざわめき立つ。

 衝撃のあまり、すでに紅茶の味など遠いどこかに吹き飛んでしまっていた。


「はっ! 敵は我らが思った以上の備えをしていた模様!」


 砦を築いていたのは知っている。

 だが、それだけのはずだ。


「さらに得体の知れない武器を使っており、攻撃部隊は敵防衛線を突破できず――」


「ええい、もういい!」


 怒鳴ったカミッロ司祭は最後まで聞かず外へ向かった。


 ――せっかくの気分に水を差しおって! なんだと言うのだ!


 自分の目で見なければ信じられない。

 天幕を出ようとする司祭に、側近の僧兵たちが続く。


 外に出ると初夏の陽光が降り注いできた。

 明順応を起こして視界が一瞬だけ白くなるがすぐに落ち着く。


 しかし、湧き上がる汗に今度は別種の不快感が生まれる。


「これは……!」


 湿度の混じった生温い空気が漂う中、カミッロ司祭の目に飛び込んで来たのは当初の予想――敵軍が蹂躙される光景ではなかった。


「どう、なっているのだ……」


 すぐ近くにいた若い助祭が呆然とした顔で呻きを漏らした。


 最前線方向から響き渡ってくるのは何かが破裂するような音。

 いくつもの白煙が生まれ、辺りを覆い隠すほど漂っている。

 そして、白煙を壁としたように騎馬兵がまるで進めておらず、混乱状態に陥っているのが見える。


「止められている……!? おかしいではないか……!」


 事態はそれだけではない。

 騎馬の後を追っていた各歩兵部隊の場所でも、腹を震わせるような重い音が上がり、地面と共に人間が吹き飛ばされていた。


 風に乗って漂ってきたのは――何かが焼け焦げるような、それでいて嗅いだことのない臭い。


 五感に押し寄せるものすべて、これまで小規模な戦に派遣された中では一度として経験したことのないものだった。


「バカな……! こんなことがあるか! あってたまるか!」

「そ、そうだ! 我ら神の軍が勝てぬわけがない!」

「我らの責任ではない! 討伐軍の怠慢だ!」

「指揮官は何をしているのだ! 役立たずめ!」


 受け入れがたい現実に、思わず悲鳴に似た怒声が僧兵たちから上がった。


 これらの発言は兵士たちのみならず、対魔族戦線で死闘を繰り広げている者への冒涜ともなるのだが、パニックを起こしつつある彼らはブーメランにまるで気付かない。


「それが……。前線との伝令が上手くいっておりません……」


 伝令兵が困惑を表情に浮かべて答えた。

 本来であれば彼ら以上に混乱しているに違いない。感情の多くをプロの意識で制御しているのだ。


「司祭様方が指揮をお取りになられた方がよろしいかと愚考いたしますが……」


 伝令兵は可能な限り婉曲表現で「そちらが指揮を取れば済むのでは?」と言った。


 そう。どのように喚こうともこれが現実であり、それは変わらないのだ。


「何を言うか! 将がいるだろう! ヤツは何をやっているのだ!」


 カミッロ司祭は責任を転嫁すべく実働部隊のトップを呼び出そうとした。

 この状況から自分が指揮を取れば全責任が来てしまう。周りの僧兵たちも助けようとはしないだろう。


 司令官はそれが時間を浪費するだけの悪手だとは気付かない。

 反撃を受けている中で総指揮官を呼び戻すなど常識的に考えて狂気の沙汰だ。


「将軍も騎馬隊の後方にいたため連絡が取れません」


 ここでさらに彼らを絶望に叩き落す報せが届く。


「報告! 敵部隊、防衛線より進み出て参りました!」


 新たな伝令が駆け込んで来た。

 とうとう僧兵たちの顔色が蒼白に変わっていく。


「なんだと!」「まさか!」「敵の牽制ではないのか!」


 最早悲鳴か絶叫だった。


 外に出たのだから視線を向ければわかるはずだが、「ここからどうすべきか」に思考のリソースを割かれている僧兵たちは戦況を眺めることすら頭から抜け落ちていた。

 巨大組織に属しておよそ困難に直面した経験がないのもあるが、そもそも彼らは軍事の専門家ではない。

 


「ご判断を!」


「なぜ我らがせねばならん!」


「各部隊の指揮官が軒並み死亡しております!」


 互いが吼えた。

 軍議を開いて大まかな方針を決めたものの、実際の運用は軍を派遣してきた国の貴族、さらに各部隊の指揮官に任せている。


 最早反撃ではなく反攻だ。それくらいは彼らにもわかる。

 心の冷静なところで我が身の危機を感じ取っていた。


 こうなれば仕方ない。


「命令を下せ! 我ら神の軍が退くことなどありえん! 今すぐに立て直しを命じ――」


 叫びかけたカミッロ司祭の言葉は途中で止まった。


 ようやく視線を戦場へと向ければ、事態はさらに悪化していた。

 騎兵部隊の逆撃を受けて主力はどんどん押し込められ、また左右に展開を始めた各種歩兵部隊に包囲されかけている。

 総兵力は討伐軍が倍近い規模であったが、勢いを殺された状態で得体の知れない兵器の攻撃を受けたため


「カミッロ殿、いかがいたします!」

「このままではこちらにも敵兵が……」

「ご指示を!」


 周りから司令官たる自分に縋るような視線と言葉が集中した。


 ――愚か者どもめ! それができるならこのような事態になってなどおらぬわ!


 カミッロ司祭は思わず怒鳴り散らしたくなるのを懸命に堪えた。


「討伐軍に死守を命じろ! 我らはする! 本部へ戻り、聖教軍を組織するための時間を稼ぐのだ! さすればあのような蛮族の群れなど――」


 捲土重来を叫ぼうとしたところでふと司祭は気付く。

 遠くからけたたましい音が鳴り響いてくることに。

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