第178話 湯煙の中には~後編~


「ちょっと待て。まだ戦の最中だぞ? 同僚のことが気にならないのか?」


 かつてないほど理性を総動員して、エリックは強引に話題を変えた。


 まさに幾多の特殊作戦に関わって来た経験の賜物である。


「もう、意地悪なエリック様……」


 カテリーナが接近が止まり、ややあってわずかに身を引いた。


 エリックは内心で大きく溜め息を吐いた。頬を伝った水滴は湯だけではあるまい。


「意地悪じゃない、事実確認だ」


「大変なお立場ですこと」


 皮肉は口にするものの、さすがのカテリーナも話の向き――空気を読んだらしい。

 もっとも残念そうな雰囲気は隠そうともしなかったが。


 ――そこは少しくらい隠せ。


 エリックは思う。


 あとひと押しというか、こちらが折れてしまえばカテリーナは嬉々として。それは目に見えていた。

 だからこそ、エリックは必死で話を逸らしてでも耐えたのだ。


「正直に申しますと――彼らは教義を歪めて解釈した愚か者たち。派閥も違いますし、わたくしには関係ございません」


「開き直るなよ、聖女だろ……」


 会話をしているうちに昂っていたアレコレも落ち着いてくれた。


「肩書だけですわ。聖女と申しましても、枢機卿や大司教の位階を与えられているわけではありません。少し発言力があるだけです」

 

「そんなことを言ったら俺だって大差はない。直接の部下なんて数えるほどもいないんだ。俺に絡んでもいいことなんてないぞ」


 カテリーナ個人に隔意を抱いてはいない。


 しかし、エリックにも立場がある。

 “元”という注釈は付くが、直属の部下の目――特にスコットあたりに「流された」と思われるのは何か負けた気がするのだ。


 けしからんことにヤツは少女ふたりを侍らせている。

 まだ手は出していないはずで、その状態で負けるわけにはいかないのだ。


 ――というか、時間を稼いでいるのに何故誰も来ない!? こういう時にこそ妨害しに来るものだろう!? 護衛連中は何をやっているんだ!?


 声に出せない心の叫びが虚しく胸中で迸った。


 彼もハリウッド映画なりのエンタメ知識はあり、そうした“お約束”も理解している。


 しかし、誰も来る気配はない。現実は非情だった。

 とんだ過大評価をしたものだ、あの百合娘サイコレズには。


「あら、ひどいですわ。司令官のひとりとして〈パラベラム〉の街を案内するとおっしゃってくださったのはエリック様ですわよ?」


「それは……そうだが……」


 エリックは言葉に詰まった。

 厳密に言えば、そうした方針はエリックではなくハーバートが勝手に決めてしまったからだ。


「わたくしとて理解はしておりますのよ? 当代聖女に戦場いくさば近くをうろつかれても困るとは」


 そうだ、流れ矢で死なれたら目も当てられない。

 いつかのように彼女を狙ってくる者もいないとは限らないのだ。


「かと言って、エリック様たちと教会は敵対状態です。他国の間者もそれなりに紛れている王都ヴェンネンティアに置いておくわけにもまいりませんでしょう。ですから、わたくしはエリック様にお相手いただいているのです」


「そこまで理解しているなら猶更だ。もう少し大人しくしていてくれ」


 今度こそ溜め息が漏れた。


 余計な諸々から聖女を“隔離”するための場所としてパラディアムが、その案内役としてエリックが選ばれたのだ。

 聖女という立場ビッグネームを考えると、ホスト役のできる者がエリックの他にいなかったのもある。


 その結果、今や貞操の危機だ。笑えやしない。


「心外ですわ。こうして大人しくしているではありませんか。勝手に出歩いたり、エリック様の望まぬ場所へ行ってはおりません。同格のハーバート様も今はこちらにはいらっしゃりませんし」


「アイツはな……」


 エリックは苦い声を出した。


 カウンターパートのハーバートは「戦を指揮するから」と挨拶だけすると早々に逃げていった。

 初めから押し付けるつもりだったに違いない。去り際に「しっかりやれよ」と言われたのもまた気に入らない。


「そういえば、戦いが終わったと聞き及びました。予想通り、エリック様たちの勝利でしたわね」


 仏頂面をしていたからか、カテリーナから話を変えてきた。

 気遣いだろうか。ならば乗るだけだ。時間を稼ぐ……のはもう無駄かもしれないが。


「当然だ――と答えたら傲慢に聞こえるか? だが、ここで負けるようでは異界から呼ばれた意味がないだろう?」


「それはまさしく」


 カテリーナは微笑む。


 この程度の報せなら、特に情報統制もしていない。

 護衛の誰かがパラディアム内に流れた情報を拾ってきたのだろう。


「しかし、何度も訊くようだがいいのか? 身内が負けたんだぞ。もう少しそれらしい態度をだな……」


 エリックは困惑交じりの視線を聖女へ向けた。


 敗北の報を気にした様子は見受けられない。まるで既定路線だったと言わんばかりだ。

 〈パラベラム〉のメンバーならまだわかるが、仮にも教会の聖女が取るべき態度とは思えない。


。公にはできませんが、思惑も方針も何もかもが異なります。実際、わたくしが邪魔になったか、ご存じの通り殺されそうになりましたもの」


 カテリーナは懸念を一蹴するばかりか組織の内情にまで触れた。

 エリックの視線に込められた意図を読み取ったようだが、身内をそこまで言っていいものか。あるいは、身の危険に晒されたことで叛意を抱いたか。

 

「そう言われるとどう返していいかわからなくなる」


 聖女の明け透けな態度にエリックは苦笑するしかなかった。


 薄々理解していたことだが、実際にこうも堂々と言われると困ってしまう。


 カテリーナの内心に組織への疑問があるとすれば、強大な組織の内部分裂を引き起こす好機だ。

 さりとて、カテリーナの真意を把握せず動くのはいささか危うい。

 出会ってまだそう長くないのだ。


「あら、エリック様はわたくしたちを守ってくださったではありませんか。あれがなければ命を落としておりましたわ」


「成行きだ。あそこで死なれたら厄介なことになっていた。それ以上でもなければそれ以下でもない」


 恩に着られても困ると軽く突き放した。


「そうでしょうね。ですが、あの場でお会いするまでにわたくしが死していたなら、特段関心も抱かれなかったのでは?」


 率直な言葉を投げられたエリックは言葉に詰まった。


 彼女の言う通り、言葉を交わしたこともない人間への感情などその程度だ。言葉にされてしまうと妙な後ろめたさを覚えなくもないが。


「……意地悪な問いをしてしまいました。申し訳ございません」


 沈黙をどう取ったか、すぐにカテリーナは謝罪の言葉を口にした。

 仮定の話だとしてもあまり褒められた物言いではないと思ったのだろう。


「こうしてエリック様と出会えたこと。信じられないでしょうが、わたくしにとっては思いがけない幸運と受け止めております。僧籍に身を置く者としては褒められた行動ではありませんが……」


 そう思うならもう少し控えて欲しい。

 喉まで出かかった言葉を、この時ばかりはエリックも空気を読んで飲み込んだ。


「自分にとって運命を感じるものだったからこそ、エリック様の心にわたくしは如何いかほど存在するのか、ふと問いたくなってしまいました。浅ましい女とお笑いくださいまし」


 カテリーナは小さく、そして恥ずかしげに微笑んだ。


 出会ってからの期間は短いが、今までの大胆にして艶やかな彼女の振舞いを見ていると、どこか不釣り合いな表情にも感じられる。


 いや――もしかすると、これこそが誰にも見せてこなかった等身大の姿なのかもしれない。


「迂闊だな。身を置く組織間で見れば、俺とは敵同士なんだぞ? 敵と通じてるなんて言われたら命だって危なくなる」


 熱に浮かされての行動ではないか。エリックは一歩引いて問いかけた。


 ただの男女であれば偶然の出会いからの情熱的な恋もあるだろう。


 しかし、お互いに立場があり、背負うべきものもある。


「先ほど申しましたでしょう? 教会と思想や方針が一緒だとは限らないと。それに、。小さい派閥ではなし得ないことです」


 今度の笑い方は聖女の仮面に戻っていた。


 どうやらはまったく心配していないらしい。

 女は怖い。強いのか弱いのか、手慣れているのか初心ウブなのかわからなくなりそうだ。


「わたくしは当代聖女の任を受けておりますが、教会や教皇聖下のためにその力を振るっているのではありません」


 その言葉にエリックは驚愕を禁じえなかった。


 とても人がいる場所では言えない発言だ。少なくとも自分のような相手に話していい内容ではない。


「魔族と戦い続ける戦士たちのため、また力なき民が戦火に巻き込まれないため、それらのために聖女として生きているのです。是が非でも聖剣教会が必要なわけではありません。あちらが不要と言うならば、相応の対応を取るまでです」


「……大した覚悟だ。恐れ入るよ」


 再び溜め息が漏れた。


 茶化すつもりなどない本音だった。

 それが伝わったのかカテリーナも小さく微笑む。


「ですから、今わたくしにできることはございません。仮に聖女として介入するとしても皆様のご判断を伺ってからでしょうし……」


 そう言うと、ふたたびカテリーナが距離を詰めてきた。


 静かに、それでいて今度はより圧が強い。本気らしい。


「……やっぱりこうなるのか」


 湯以外の温度を肌身に感じながらエリックは何度目かの溜め息を吐いた。


 逃げ出す機会は途中何度かあったが、そうしない時点で彼も少なからず覚悟を決めていた。


 行動を起こしたがゆえに狙われる立場となった身の上だ。情に絆されたところもあるだろう。

 言い訳するとしたら「貴人との人脈はあって困るものではない」だろうか。カテリーナを貴人と呼ぶことには少々疑問を覚えてしまうが。


 それとも――


 案外、自分はこの聖女様を気に入り始めているのかもしれない。


「よいではありませんか、せめて今くらいは。泡沫の夢ならば湯煙の中に消えてしまいます……」


 微笑んだカテリーナの顔が近付いて来る。

 頬が上気しているのは気のせいではあるまい。


「それは本来男が言うセリフだと思うんだがな……」


「なら、ちゃんと言ってくださいまし……」


 吐息同士が触れ合う距離となった。


 苦笑を浮かべたままのエリックはそれ以上抵抗しなかった。



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